ジュネ夫君の幸福
街を出た二人は、まずはかつてルイムの王都であったルナイハイムを目指した。乗合馬車を使うとルイムまで容易に進むことが出来た。
賢者の脅威が去ったルイムの街は噂に聞くほど治安は悪くなく、人間達が自らの手で街を復興させようと努力をしていた。
4年ほど前、親の仇だと思っていたザハンを探し回っていた頃とは明らかに様子が違っていた。
ジュネは心を打たれ、故郷の姿を見に来てよかったと感極まった。
そして二人は王都ルナイハイムにある月の神を祭る神殿へと赴き、ジュネの父と母の情報を聞き出そうとした。聞き出すまでもなく、母親ローラはその神殿にいるようだった。
国王が亡き今、残された妃であるローラが今のルイムを陰ながら支えているようだった。訪問者が後を絶えず、ゆっくりと話がしたかったジュネは夜になり神殿が閉鎖されるのを待った。
かつて賢者が支配し、魔術師の力が強かったルイムでは教会の力は弱く、神殿もごく質素な作りだった。
まるで倉庫のような無骨で飾らない外観の建物の中の大広間の両脇に、太い柱が数本打ちたてられている。中央奥の壁の窓から神の象徴ともいえる月が顔を覗き、段差の上に祭られている神像を淡く神秘的に照らしていた。
その神像の脇に置かれている椅子にローラは座っていた。数年ぶりに見た母の姿は昔と変わらず美しいままだった。
銀色の長い髪は後ろに緩やかに束ねられ、静かな光を放っている。その姿はまるで神像に形取られている月の女神の姿そのものだった。
「久しぶりね、ジュネ」
ローラは優雅に微笑んだ。彼女は立ち上がり、ゆっくりと息子のもとに歩み寄った。コータは思わず彼女の姿に見とれてしまい、呆けてしまった。
息子も美しいが、母親もまた美しい。彼女が身にまとう厳かな空気に威圧され、ジュネは自分の母だというのに恐縮して跪いた。コータもジュネに合わせて慌てて跪いた。
ローラはそんな二人の肩を軽くたたき、立ち上がらせた。
「あなたたち、婚約したのね」
まだ何も言う前から言われ、ジュネとコータは驚いて目を見開いた。ローラはくすくすと笑い出した。
「ガーラに聞いたわ」
そういわれてジュネは急に血の気が引いた。自分よりも先にいつのまにかこの地にきているというのか。
そんな心境を察したのか、ローラは二人を神殿の奥へと誘った。
ローラの私室と想われる部屋の奥に、床に魔法陣が書かれた場所あった。
その魔法陣は不思議な青い光を鈍く発している。
ジュネは一目見てそれが何なのかわかった。
「テレポーター……!」
かつて自分が住んでいた城にも多数存在していた。
それは場所と場所をひとつなぎにし、遠く離れた場所に瞬時に移動するための魔法を発動するものだった。
「ザハンのおうちに繋がってるわ。
ここから帰りなさい。
ガーラが心配しているわよ」
ローラは魔法陣を指し示した。コータは初めて見る高度な魔法に息を飲んだ。
ジュネは言葉に詰まってしまった。
何故ガーラはこれを自分に黙っていたのかと。
自分に内緒で母親と会っていたのかと思うと、急に悔しさのようなものがこみあげてきた。
「なんで兄さんは何も教えてくれないんだ……」
ジュネは俯き、恨めしそうに言葉を吐き捨てた。ローラはそんな息子の頭を優しく撫でた。
「仕方ないわ、最近作ったばかりだもの。
あなたを心配したガーラに頼まれて、ザハンが作って行ったのよ」
「またあの兄貴か!」
ジュネよりも先にコータが大声を発した。
「俺たちはこんなもんに頼らねえで、自分の足で帰るからな!」
むきになって怒り出したコータにジュネは嬉しくなり、顔を上げて微笑んだ。
しかしその時テレポーターの魔法陣が青白く光った。空間のゆらぎが生じ中から人影が現れた。
現れたのは兄のガーラだった。
ガーラはジュネの姿をいち早く確認すると、飛びつくような勢いで駆け寄った。
「ジュネ! ジュネじゃないか!」
もう何年も会っていないような口ぶりでガーラはジュネを抱擁した。
「心配したよジュネ、お前にあんなことを言って済まなかった。
俺は気が動転してどうかしていたんだ」
いつだってどうかしてるじゃないかとジュネは思ったが、口には出さずに仕方なく黙って抱擁を受け入れた。
相変わらず弟にべったりの兄の姿を見てコータは苛立ちを隠さなかった。
「馬鹿兄貴が!」
コータにそう言われてガーラは怒り出すどころか、逆にコータに微笑みかけた。
「ああ、弟がひとり増えたんだったな」
ガーラは嫌がるコータを無理矢理に抱きしめた。
「せっかくだからここで結婚式をあげたらどうだい?
俺が式を執り行おうじゃないか」
ガーラは滅多に働かないが、一応神官としての実力は高かった。
暫く談笑した後、彼らはゆっくりと話が出来る客室に移動した。ローラはルイムの情勢の近況を3人に話した。
コータにはあまり分からない話も多かったが、彼も黙って聞いていた。
賢者が倒された後、彼らが掌握していた鉱脈やガス田などの地下資源が公正に取引されるようになり、街の復興に勢いをつけているようだった。
治安はまだまだ理想的とは言いがたかったが、昔に比べてだいぶ良くなってきているという。
しかし隣国サントアークやワートへ流れる移民も多く、まだまだルイムはまともな国家としては機能できない状態だという。
そして憂える事態も起こりつつあった。
隣国のサントアークが移民を受け入れる代わりに、国家の再形成に関わろうとしているのだ。
治安を良くしようという名目で、騎士を送り込もうとしてきている。賢者の脅威が去ったというのは同時にルイムの防衛力を低下させていた。
このままサントアークの影響力が大きくなればそれは脅威である。
ルイムはサントアークの植民地と化し、森は伐採され貴重な地下資源は安く買い叩かれてしまうだろう。
「何故それを教えてくれなかったんだ」
ジュネは自分の知らないところで起きていた事実に歯がゆい思いをした。ローラは俯いた。
「あなたたちには親の勝手で苦労をさせてしまったわ。
これからは自由に生きてほしい。
だからザハンにあなた達のことを頼んだのよ……」
「母さん……」
ガーラはそんな母親を気遣うように肩に手をかけたが、対照的にジュネは険しい表情をしていた。
「国民が苦労しているのに、知らないで楽に生きるなんて、そんなのは嫌だ。
俺はルイムの王子として、責任を果たしたい」
頼もしい息子の言葉に、ローラははっと息を飲んだ。自分の知らないところで子供は強くなっていた。
「ジュネ……あなた、強くなったのね」
涙を滲ませる母親に、ジュネは励ますように笑顔を向けた。そしてそのまま兄の顔を見つめた。
「な、なんだよ」
ガーラは嫌な予感がして、ジュネを睨み返した。ジュネは笑顔のまま、ガーラに言った。
「国王に即位するんだ、兄さん」
「ええ!?」
嫌な予感が的中して、ガーラは思わず席を立って声を上げた。
「お前が即位すれば良いだろう?
俺は父さんの元でぬくぬくと楽に生きて行きたいんだ」
「だって俺次男だし」
反論するジュネにガーラは必死になって抵抗した。
「そもそも俺はルイム王家の血を引いていないし。
間違いで王子になったみたいなもんだぞ」
「そもそも兄さんが父上を倒したんじゃないか。
父上の弔いの為にも責任を取れよ」
「な、なんだと!」
ふたりはいつのまにか喧嘩腰になっていた。ジュネも立ち上がってガーラとつかみ合いになったところで、ローラが二人の間に割って入った。
「いいのよ、王政でなくても国はやっていけるわ」
ローラの言葉にガーラはほっとしたように表情を和らげたが、ジュネは険しい表情をしていた。
「兄さんはサントアークの王子とデキてるから、表に立ちたくないんだろう?
まだ彼と遊びたいのかい?」
弟の悪辣な言葉にガーラはかっとなり、再びジュネに掴みかかった。
「お前だってあの将軍のせがれのことが気になってるんだろ?
お前が国王になったら奴の要求はなんでもホイホイ聞いてルイムはどんどん衰退していくだろうな!」
勝ち誇ったように言うガーラに、それまで黙ってみていたコータがぼそりと声をかけた。
「だったらやっぱり兄貴が即位した方が良いんじゃねえの?」
ガーラは一瞬固まった後、大きなため息をついてうなだれた。そして俯きながら力なく呟いた。
「俺は国王を殺した罪人なんだぞ……。
人の上に立てるわけが無いじゃないか……」
「ガーラ……」
ローラは気を沈めてうなだれるガーラの背中を優しく撫でた。そして申し訳なさそうに言葉を続けた。
「あなたには本当に苦労をさせたわ。
言わない方が良いかもしれないと思って黙っていたけど、ラージャは……
今も生きているわ……助かったのよ……」
ガーラは拳を握り締め、微かに震えだした。
ジュネは息を飲んで、兄の肩に優しく手をかけた。
コータは事情が良く分からずに、ぼけっとしてそのやり取りを見ていた。
「親父が生きてて良かったな」
詳しいことは知らないが、父親が助かっていたならそれは良いことなのだろうと思い、コータは二人に励ましの声をかけた。
ジュネは嬉しそうにコータに微笑み返したが、ガーラはうなだれたままだった。そしてガーラはそのままの姿勢で呻く様に低く呟いた。
「殺してやる……今度こそ……確実に……!」
「兄さん!」
ジュネはたまらずガーラの肩を揺すぶった。そして急に殺気立ち始めたガーラの感情を必死で抑え込もうと説得した。
「兄さんは何も悪くなかったんだ。
人殺しにならなくて済んだんだよ……!」
続けてローラもガーラに声をかけた。
「そうよ、ガーラ。あなたはこれ以上苦しむことは無いわ。
ラージャにはあなたを傷つけた罪を償ってもらうわ。
今も地下牢に閉じ込めて、死んだ方がマシと思えるような責め苦を与えているわ……」
うっすらと微笑みを交えながら話すローラを見て、ジュネとコータはぞっとした。
ジュネはせっかく生きていた父親が地下牢に閉じ込められているという事を残念に思った。
しかし兄の憎しみの深さが自分の予想をはるかに超えていることを考えると、それも仕方のないことなのだろうと思った。
ガーラは肩を震わせ、涙を流し始めた。
「俺はもう、あいつの影に怯えなくて良いんだな」
声を喉に詰まらせながら言うガーラを、ローラはそっと優しく抱きしめて涙を拭ってやった。
「そう、あなたはもう自由なのよ」
ガーラの表情が和らいだのを見計らって、ジュネは彼に声をかけた。
「だから兄さん、国王になってこの国を導いてくれ」
「嫌だ」
即答だった。
「なんでそんなに嫌がるんだ!」
むきになってジュネも反論する。
「お前こそが国王になるべきだ!」
ガーラもかっとなってジュネに再び掴みかかった。
「みっともねえからもうよせよ!」
コータがたまらず間に割って入った。すると兄弟は揃って静まり、コータの顔を見つめた。
「そうか」
ガーラがなにかに納得したように呟いた。続けてジュネもコータの肩に手をかけた。
「君がいたか」
嫌な予感がしてコータは思わず後ずさった。
「コータ君、君がやるんだ」
兄弟に同時に言われ、コータは更に後ずさった。コータの額には冷や汗が滲んだ。
「じょ、冗談じゃねえぞ!
俺はついこないだまで道路工事とバーテンやってたしがない一般市民だぞ!?
国王なんて勤まるわけが無いだろうが!!」
「まるで問題ないね」
力説するコータに冷たくガーラが言い放つ。続けてジュネも笑顔をコータに向ける。
「君は王になるべき器をもった男だ。
はじめて見た時からそう感じていたよ」
コータは眩暈を起こして気を失いそうになった。
救いを求めようとして彼はローラのほうを仰ぎ見たが、彼女もなにか期待に満ちた目でコータを見つめていた。
「あ、アンタら……。
アンタらには王家の誇りってもんがないのかい!?」
「ないね」
またしてもガーラが即答した。
コータはテーブルに両肘を突いて頭を抱えた。
彼はもう何も考えたくなくなっていた。
強引に押し切られる形で、コータが新しいルイムの国王に即位することになった。
突然現れた新しい国王を国民は歓迎した。かつての権力者や賢者となんの関係も無かったことがかえって人々を安心させたようだ。
根が真面目で働き者のコータは、なんだかんだ言いつつ立派に国王としての仕事をこなしていった。
ジュネはコータを支え、彼の傍らで国の復興に力を注いだ。
ジュネは表立って行動することは自分の性分で無いと幼い頃から思っていた。
誰かに尽くす行為に彼は幸せを感じていた。
やがてルイムは立派に復興し、サントアークとも友好的な関係を築いていった。
しばらくは神殿を拠点としていたが、王城の再建築も始められた。
ルイムは新しい時代を迎えようとしていた。