喧嘩上等家来君
家出中のサントアークの王子様ルインフィート(偽名、エストファール)のお守をしている騎士のハルマース(偽名、マディオラ)はえらく不機嫌な面を構えて一人総合食品売り場で買い物をしていた。
いましがたわがままな王子が些細な事で逆上して自分の元を飛び出していったのである。
喧嘩の原因はハルマースにあるといえばそうなのかもしれない。
しかしたかがオヤツに野菜を混ぜただけですごい剣幕で怒られるのはあまりにも腹立たしかった。
野菜が嫌いな王子がニキビ一つないスベスベでぷりぷりでもちもちのお肌を保っていられるのもすべてハルマースの陰ながらの努力の賜なのである。感謝されてこそ、怒られる筋合いは全くないのである。
どうせ腹が減れば夕刻に戻ってくるだろう。次はどんな手を使って野菜を食ってもらおうかといろいろ思案に暮れながら買い物篭に食品を入れていった。
とりあえず今日は一応ご機嫌を取るために王子の大好きなラーメンを作ることにしようとハルマースは考えた。
スープの出汁は何にしようか、考えながら彼は精肉コーナーへと向かった。目の前には形まんまの毛をむしり取られた鶏がつるされている。
鳥がらにしよう……そう思ってハルマースは肉屋のおやじに声をかけようとした。
しかし脇から突然入り込んできた男に、先を越されてしまう。
「おっさん、生きてるやついないの?」
鶏を指さして男は言う。ハルマースはその男のよく見知った風貌に今直ぐにでも走り去りたい衝動にかられる。
「コ……コテツ……」
ハルマースは彼が苦手だった。どうにもこうにも、つかみ所のない奴だからだ。できれば私的なことでは関わりたくない人物だった。コテツの篭の中には、豚の頭や蛙の干物や、得体の知れないもので蠢いていた。
背の高いハルマースを、コテツは「うん?」と、見上げた。
「おおー!! お前!!!!」
例のごとくコテツは満面の笑みでハルマースの肩を叩く。
「お前、こんな所で何してるんだよ!!
さっき、お前の連れがたいそう暇そうに、締まりのないにやけたまぬけ面をさげてふらふらと糸の切れたタコみたいにうちに来たんだぜ!!」
コテツの言葉に悪意はないのは彼の輝かしい笑顔を見ても明らかだ。しかし善意を感じるほどでもないどうしようもない事実ほど嫌味たらしい物はない。
ハルマースはひきつりながらも精いっぱい彼の笑顔に応えた。
「そうか、迷惑かけたな。今直ぐ連れ戻しにゆくよ」
しかしコテツは首を横に振った。
「これから『おもてなし』するんだよ!
お客さんにはおもてなしするのが、和の心だからな!
毒をくらわば皿までよっていうだろ?
たとえ毒でも皿まで食えそうな位うまい料理を出さないとな!」
コテツの意味不明な哲学にハルマースは思考が混乱していくのを止めることが出来なかった。これだったら無口な方の彼の片割れといた方がまだましだ。ハルマースはつかさよりもコテツの方が苦手だった。
だいいち、彼に料理が出来るのだろうか。ハルマースは彼が生の物以外の食べ物を食べているのを見たことがなかった。
ぐるぐると混乱しているハルマースに構わずに、コテツは話を進めていった。
「もちろんお前も来るよな。
大事なお前の片割れが寂しそうに一人でぼさっとしてるからよ。
仲間割れは良くないぜ、お兄さん」
その言葉を聞いてハルマースはぎくっとなった。
この時コテツの顔は笑ってはいなかった。この男の不思議な威圧感は一体なんなのだろう。胸の内を見透かされるような黒い眼差しに、ハルマースはたじろいだ。
彼に従い、ハルマースはついていくことにした。
彼らの部屋に戻ると、ルインは畳に横になって眠っていた。つかさとの交流が保たれずに息切れしてしまったのだろう。
つかさは洗濯物をたたみおえたようで、ふてくされているルインをほったらかしにして一人でお茶をすすっていた。
「客が増えたぞー」
コテツはニコニコしていたがつかさはあいかわらずむっつりと黙って視線をハルマースに向けた。
客が増えたと聞いてルインはごろりと身体を返してまぶたを開いた。
「あっ、何だよ!! 何でおまえがくるんだよ!!」
ルインは飛び起きると、今だ機嫌が直っていないようでぷんっとハルマースにそっぽを向いて見せた。
その態度がまたハルマースの癪に障ったらしく、ハルマースもルインからふんっと視線を逸らした。
仲良くしない二人に、コテツはいぶかしげな表情を見せる。不審な眼差しでハルマースの顔をのぞき込んだ。
「なんだよ、お前こいつの事嫌いなのかよ」
その言葉にぴくりとルインの肩が動いた。ハルマースは率直な問いかけに、何故か返答に戸惑ってしまった。
「いや、嫌いって訳では……」
むむっと、コテツは唸った。
「だったら好きなんだろ? なんで仲良くしないんだよ」
とっても単純なものの考え方に、ハルマースは彼が羨ましいと思った。彼らは喧嘩したりしないのだろうか……。
などと思案に暮れている隙にコテツはまた勝手に話をすすめだした。
ルインの肩を叩き、そっと耳打ちする。
「あいつお前のこと好きなんだって」
「わ――――ッッッ!!!」
やめてくれ!と言わんばかりにハルマースは顔を真っ赤にしてコテツをルインから引きはがした。
追い打ちをかけるように無口なはずのつかさがハルマースに声をかける。
「照れるなよ童顔好き」
それはお互い様だろうとハルマースはつかさに向かって叫んだ。
尋常じゃないハルマースのうろたえように、ルインは笑いを抑えることが出来ずにいた。
「はっはっは!! ハルマース!
お前俺が好きなんだな?」
先ほどまでの機嫌の悪さも吹き飛んだのだろう、にこにこしてルインはハルマースに抱きついた。
「こらっ! よせっ……!!」
嫌がりつつも、ルインの腕を振り払うことは出来なかった。
「よし、仲直りだな!!」
コテツがにこにこと二人の肩をぽんと叩いた。
「やっぱり人間素直じゃないといかん!」
すっかり彼らの粋な計らい(というかただのちょっかい)により、ルインとハルマースは仲直りを果たしたのだった。
元もとの喧嘩の理由が些細なことである、彼らが手を貸さずとも仲直りは果たせたのだろうが……。
そしてルインとハルマースはこのあと地獄を見ることになる。
二人にもてなされた料理、のようなものは壮絶を極めていた。
ちゃっかりつかさは自分の食べる分だけ自分で作ってとっととたいらげてしまった。
肉も野菜も魚も生で出され、ルインはこの時ハルマースの手料理のありがたみを知る事になった。
「おまえらなまっちろい顔してるからな〜、このレバ刺しでもたんと食ってけよ!!」
色が白いのはお互い様じゃないかとルインは吠えた。
そしてコテツの正体は既に知っている。
こんな血の増えそうなものばかり食わせて一体どういうつもりなのだろうと二人は恐怖した。
栄養を取らされた所で噛みつかれでもしたらたまらないので、彼らは逃げる様にしてこの家から去っていった。
この日からルインはハルマースの料理に文句を言わなくなった。
酷い目に遭ったが、ルインが少し成長してくれたようで、ハルマースは彼らに心の中で感謝した。