引き合う存在
夜の街外れで少年は空を見上げていた。
少年はその顔を隠すように、頭から羊毛の肩かけを被っている。その奥から、長い金色の髪が流れ垂れている。
彼が立っている場所からさほどない距離には小さな古城がそびえ立っている。
彼は宿でまだ十二歳になったばかりの幼い妹と弟が寝ている隙にこっそり外出し、賢者が住むといわれる古城を訪れようとしていたのである。
少年はその古城の天守閣に何かが飛び移るのを見逃さなかった。
「ザハン……!!」
憎しみと怒りのこもった口調で漏らす言葉。
彼は古城を目指して駆け出した。
風に煽られ、頭にかけられた布が翻り頭部からずれ落ちる。とたんに彼の素顔が月明かりに照らされ露にされた。
長く淡い金色の髪、大きめの碧い瞳のまつ毛は長く、まるで少女のような容貌をしていた。
しかしその表情は険しく、まっすぐに天守閣を睨んでいた。
間もなくして城の門に辿り着くと、そこには尋常ではない光景が広がっていた。
正門は解放され、城の使用人達は取り乱した様子で一目散に逃げ出している。
騒ぎに紛れて少年は城の内部へと侵入した。
城の内部に入ってすぐの大広間で彼はむせかえる程の血の臭いと凄惨な光景を目の当たりにする。
折り重なる人型の肉塊に飛び散った血飛沫の跡がまるで地獄絵図のように少年の目に焼き付いた。
しかしここで踏みとどまっている訳には行かなかった。
彼は天守閣を目指し、階段を駆け登っていった。
外から見るよりも城の内部は広く感じられ、天守閣へたどり着くまで数分を要してしまった。
目的の場所にたどり着いた時には既にそこも殺戮の跡が残されていただけだった。
「つかさ!! しっかりしろオイ!!」
部屋の物陰になっているところから、誰かの声が響く。
犠牲者の生き残りかと察した少年は声の方へ駆け出していった。
そこには少年が二人いた。
全裸の黒髪の少年が、倒れている上半身の衣服がボロボロになってしまっている少年の肩を揺さぶっていた。
倒れている少年……つかさは苦しそうに唸っている。普段使わない力を使ったことによって、その反動が肉体に響いているのだ。
「大変だ!」
金髪の少年は唸っている人物が広間の殺戮の犯人だとはつゆ知らず、両手で印を切ると、神聖なる言葉を紡ぎだした
つかさの体が淡い光に包まれ、すうっと回りの空気にその光が解けこんで消えていった。
つかさの全身を襲っていた苦痛は消え去り、彼はゆっくりと上体を起こした。
「つかさ〜!!」
黒髪の少年……コテツが酷くうれしそうにつかさに抱きついた。その光景を見て少年は安心したように微笑みをもらした。
コテツは満面の笑みで、少年に礼を言った。
「ありがとう!!
きれいなおねえちゃん!!」
瞬時に少年の中で何かが弾けた。
「俺は男だ!!」
「…………」
コテツは笑顔のまましばらく固まってしまった。
さっきの男のくせに女の言葉をつかう不快な男を思い出す。
このひとは女のくせに男のふりをしているのだろうかと連想する。
この国の人々はみんなおかしくなってしまっているのだろうかと連想する。
「あんた……ここの城主の仲間?」
コテツが不意に漏らした言葉に、少年は過剰に反応する。
「仲間だなんて冗談じゃない!!
俺はこの国の元王子のジュネという者だ!!
親のカタキを追ってここに来たんっす!!」
仲間と思われたのがよほどの衝撃だったのだろう、少年は賢明になって否定した。
コテツはほっとしたように表情を和らげた。オカマに襲われるのはもう御免である。
しかし、彼の名前を聞いたつかさは驚いたように固まっていた。
「元王子って……あんたガーラの……弟?」
つかさの呟きを聞いて、今度は少年……ジュネが驚愕したように固まってしまった。
「……に、兄さんを知っているのか!?」
ジュネはつかさの肩に掴みかかった。
綺麗な顔に熱く見つめられて、つかさはなんとなく赤面した。
「ガーラは俺の……友達だから……」
こいつに友達がいたのか……。と驚くコテツをよそに、つかさはジュネにことの詳細を話した。
一年前にガーラが記憶を失って村へ流れ着いたこと、そして一年の療養の後、兄弟をさがして東へ旅立ったこと……。
ジュネは小さく震えながらその話を一句も漏らさずに聞いた。
コテツはよく喋るつかさに驚愕して一句も言葉が出なかった。
「兄さん……生きてたんだ……」
ジュネは涙した。ただひたすらに復讐を誓い親の仇を追って荒んでた心に光が差したような気がした。
「東の自由都市、俺達もそこに行くんだ。
おねえ……にいさんも一緒に行こうよ」
コテツが励ますようにジュネの手を握った。ジュネはしばし考えた。
親の仇……ザハンは必ず生き残りの賢者のもとに現れる。その数はもう少ない。
今回は一刻遅かったが先回りして待ち伏せしていれば必ず対面が叶うのである。
しかし……はたして仇を討つことができるのだろうか。
相手は強大な『魔』なのである。これほどまでに凄惨な実態を見たのは初めてである。
自分は果ててもいい。しかし残されたまだ幼い弟と妹はたとえようのない苦難の人生を歩むことになってしまうだろう。
叶うことのない復讐の暗い願望を追うよりも、今はただ生きているという兄に会いたい……。
ジュネはやさしくその手を握り返し、力強く頷いた。
「ありがとう……」
ジュネの碧い瞳に大粒の涙が滲んで流れる。彼にとって国を滅ぼされてから初めての『暖かい涙』であった。
でもコテツには旅立つ前にやるべきことがあった。とりあえず何か着るものを物色せねばならない。
彼らは部屋を出て城のあちこちを探索した。
頻繁に転がる死体がつかさの手によるものだと解ると、ジュネとコテツの二人はこころなしか彼から離れて歩くようになった。
そして彼らはジュネの弟と妹と共に、あくる日からルイムから東の国、ワートを目指した。
ジュネ達は一応元王族なのだが、一般市民には顔を知られてはいないようで、割と堂々と昼間も行動することができた。
もともと太古から賢者が実権を握っていた国である。王族の復興を望む声は聞かれなかったし、ジュネもそれを望んではいなかった。
お前達は自由に生きるんだ。
それがジュネが聞いた兄ガーラの最後の言葉だという。
兄が授けてくれた自由な体で兄を救いに行こう。
ジュネはそう心に誓い母国を後にした。
(あのうさぎ……一体何者なんだ)
つかさはひとり悩んでいた。
村を襲った女といいうさぎといい、自分の知らない者が自分の名前を知っている。
俺は一体何者なんだと、そんな疑問すら涌いてくる。
父親が、なにか厄介なものに巻き込まれたのは事実である。
だからといって自分に何か出来るかといえば、なにも出来ないのである。
今はただコテツに命を寄せることにした。
何にも負けることなく強く生きていこうと心に誓った。
そして、いつかコテツをいただいてやるとこっそり心に誓った。
突然自分の家から投げ出されて数年、一人で旅をしてきたコテツは旅の変化を感じていた。
今まで仲間をつくると弱くなる気がしていた。
しかしそれは全くの子供独特の意地であったことを知る。
誰かを守ろうとする力がかけがえのないものだと感じていた。
今まで自分がしてきた、ただ一人で生き続ける人生、それは人間らしい生き方ではない。
あの雪の日に悪魔を拾ったのは間違いではなかったと、コテツは今後の冒険に期待を寄せた。
母親のあの日の涙の訳もいずれ解る日がくるのだろう。
コテツは一歩前へと歩き出した。