王子様のおつかい
 ルインフィートは、風邪薬を買いに、町外れの薬局へ向かった。
 しかしルインフィートは薬局の中で戸惑い、固まってしまった。どの薬を買えばいいか全く判らなかったのだ。
 とりあえず店員に聞こう……そう思ってルインフィートは店の奥に進み、そして再び固まってしまった。
 財布を持ってこなかったのだ。
 身の回りのことはいつもハルマースが面倒をみてくれるので、ルインフィートは満足に一人で買い物もできないのだ。
 そのことを思い知ってルインフィートは深くため息をついた。
 ルインフィートはとりあえず財布を取りに戻らなきゃと思い、店を出ようとした。
「おい」
 不意に、横から声を掛けられた。声のほうを見ると、そこには知った男が立っていた。
 茶色の髪に灰色の瞳。その男は不機嫌そうな面構えでルインフィートを睨みつけていた。
「つ、つかさ君」
 ルインフィートは一刻も早くその場から立ち去ろうと思った。彼はつかさのことがあまり好きではなかった。
 つかさもいま買い物を終えたところで、その手には鉄剤と書かれた袋を持っていた。
「貧血か?」
 なんのけなしに、ルインフィートは呟いた。
「……ちょっと、来い」
 ルインフィートはつかさに腕を掴まれて、強引に店の外へと連れ出された。
「な、なんだよ! 離せよ!」
 ルインフィートはつかさの腕を振り払い、彼を睨みつけた。しかしつかさはまたしても強引にルインフィートの腕を掴む。
「いいから、きてくれ! お前の助けが必要なんだ」
 思わぬ言葉がつかさの口から出てきたので、ルインフィートは呆然としてしまった。
 つかさという男は一見平凡で地味な外見だが人間ではなく、魔族の血を汲む魔人なのだ。彼は人間嫌いで有名で、その彼が人に助けを求めるなど想像もつかないことだった。
 つかさの真剣な眼差しに気圧され、ルインフィートは仕方なく彼についていくことにした。

 しばらく歩くと、彼らの借りている共同貸間へとたどり着いた。その家は鬱蒼とした大きな樹木の陰にひっそりと立っていた。
 つかさはルインフィートを部屋に上げて、いきなりその身体を敷かれていたふとんに押し倒した。
「な、なにす……」
 ルインフィートが抗議の声を上げる間もなく、つかさは彼をふとんで簀巻きにした。
「ぎゃー!」
 ルインフィートは肩から上だけ見える状態にされ、全く身動きが出来なくなり、必死で首を横に振った。
「俺をどうするつもりだ!」
 ルインフィートの声を無視して、つかさは「ふすま」を開けて隣の部屋へとルインフィートを転がした。
「コテツ、エサだ!」
 明かりをともさず暗闇に包まれている隣の部屋の隅っこに、黒髪の男がうずくまっていた。
「こ、コテツ君……!」
 コテツの眼がギラリと紅く光った。ルインフィートはこんな状態のコテツを今まで見た事がなかった。
 コテツという男はいつもはありえないほど元気でサワヤカな好青年なのだ。しかも、眼の色は赤ではない。
 ルインフィートは危険を肌で感じた。コテツは吸血鬼の血を汲む魔人なのだ。
「ああ、美味そうなエサだなあ」
 コテツがゆらりと立ち上がり、ルインフィートに近づいた。顔を首筋に近づけ、くんくんと臭いを嗅ぐ。
 ルインフィートはぞわぞわと鳥肌が立ってくるのを実感した。
 コテツはルインフィートの肩を掴んだ。ルインフィートは覚悟して、ぎゅっと目を強く瞑った。
「だ、めだ……」
 コテツはルインフィートを突き放して転がした。
「コテツ!」
 つかさが悲痛な声を出して、コテツに駆け寄った。コテツは肩でゼーゼーと息を切らし、非常に辛そうな状態だった。
「ヒト……はくわねえ」
「こ、コテツ君……」
 コテツの酷く辛そうな表情がルインフィートの目に焼きついた。
「意地を張るな。コテツ。人間はエサだと思え」
 非情なことをぬけぬけというつかさに、ルインフィートはぞっとした。
「魔族なんか全部狩ってやる!」
 簀巻きにされた状態でルインフィートが空しく吼えた。
 つかさが再びルインフィートコテツの元へと転がした。
「俺達の敵だ。やれ」
 しかしコテツは首を横に振る。
「俺はヒトとして生きるってかーちゃんと約束したんだ。
 絶対に……ヒトの血は飲まねえ」
 コテツは辛そうに息を吐きながら、ふとんを広げてルインフィートを開放した。
「行け」
「コテツ君……」
 ルインフィートは立ち上がり、コテツの姿を見つめた。顔色は青ざめて、ぺたりと地面にしゃがみこみ、非常に苦しそうに肩で息をしている。
 弱っている姿がハルマースのそれと重なり、いたたまれなくなってルインフィートはコテツを抱きしめた。
「コテツ君、いいよ、吸えよ」
 しかしコテツは辛そうにルインフィートから目を背け、必死に耐えようとしている。
 ルインフィートはコテツに言い聞かせた。
「あのねコテツ君、人間ってのは、足りなくなった血を人から貰うって事もあるんだ。
 で、血が余ってる奴は足りない人の為にあげたりする。
 だからまー、フツーのことだから気にしなくていいんじゃないかな」
「……そうなのか?」
 ルインフィートの言葉に、コテツの表情が僅かに和らいだ。
「うん」
 ルインフィートはコテツに笑いかけた。
「……いいのか?」
 コテツがごくりと喉を鳴らした。ルインフィートも固唾を呑み、頷いた。
 傍らではつかさが二人のやり取りをイライラした様子で見つめ、今にも掴みかかりそうな雰囲気を出していた。
「ごめんな……」
 コテツの瞳から一筋涙が零れ落ちた。そして彼はゆっくりとルインフィートの首筋に噛み付いた。
「くッ――」
 首筋に小さな痛みが走り、ルインフィートは短く唸った。そして噛み付かれている首筋から、とろけるような甘美な高揚感が湧きあがってくる。
「あぁ……はぁ……」
 ルインフィートは悩ましげに息を吐いた。コテツはルインフィートの首筋を舐め上げ、その血を一滴も零さずに飲み込んでいた。
「チッ……」
 つかさが面白くなさそうに舌打ちした。二人から目を逸らして下を向く。
 コテツが首筋から離れたのを感じ、ルインフィートはコテツの頬に手を添えてその表情を伺った。
 コテツの顔色は紅く上気して、いつもの黒い瞳に戻っていた。
「大丈夫かい? コテツ君」
「お前こそ……」
「もういいだろ」
 つかさが見詰め合う二人を引き剥がした。途端にルインフィートの足元がふらつき、ぺたりとしりもちをついてしまった。
「大丈夫か」
 咄嗟にコテツが駆け寄って、ルインフィートの肩を抱いた。
 ルインフィートは笑顔を作り、ふらふらとしながらも立ち上がる。
「ちょっと貧血を起こしただけだ。数日もすれば戻るよ」
「お前、いいやつだなあー」
 コテツが再びルインフィートをぎゅっと抱きしめた。
「いちいちくっつくなよ」
 いちいちつかさが機嫌を悪くして、ルインフィートとコテツを引き剥がした。
 ルインフィートはにやにやといやらしい笑いをつかさに向けた。
「おまえコテツ君のことがす」
「うるさい黙れ!」
 つかさが脊椎反射のようにルインフィートの口を手でふさぎこんだ。
「これをやるから、帰れ!
 世話になったな!」
 とても人に礼を言う感じではない態度で、つかさはルインフィートになにやら紙袋を渡した。
 それは先ほど彼が薬屋で購入したものらしく、鉄剤と書かれていた。
「そうだ、こんなところでぐずぐずしてる場合じゃなかった」
 ルインフィートは本来の目的をようやく思い出した。
「ハルマースが風邪で寝込んでるんだ」
 その言葉を聞いて、コテツががっちりとルインフィートの肩を掴んだ。
「ヨシ、俺達が力になってやろう! 看病手伝ってやるよ」
「コテツ君……」
 二人はまた抱き合い、そしてつかさに引き剥がされた。

 ルインフィートの部屋に上がりこんだコテツとつかさは、彼の為に怪しげな薬を煎じた。
「風邪なんかコレで一発だぞ」
 とても人が飲めそうな色ではない液体が、ハルマースの目前に差し出された。それは怪しげに発泡し、顔を背けたくなる異臭を放っていた。
「こ、こんなもの飲めるか」
 ハルマースは液体を突き返した。しかしコテツはニコニコしながら、再びめげずに突きつける。
「つかさ、奴を押さえつけろ」
 コテツの命令に従い、つかさはハルマースを羽交い絞めにした。ハルマースは引きつりながら液体を無理矢理押し込まれた。
「ハルマース、頑張れ!」
 傍らでルインフィートが期待に満ちた瞳でハルマースを見守っていた。
 この世のものではないというような謎の液体の味に、ハルマースは気絶するところだった。
 喉元を通り過ぎた後も、灼熱のようなものがこみ上げてくる。
「ううう……」
 ハルマースはますます具合を悪くしたようで、そのまま寝込んでしまった。

 しかし次の日、怪しげな液体が効いたのか、ハルマースの体調はケロッとよくなっていた。
 狐につままれたような感覚にハルマースは小首をかしげながらも、コテツに礼を言った。
 ルインフィートとコテツは友情を深め、サワヤカな挨拶を交わして、また何かあったときはお互い助け合おうと誓った。

おわり



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