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嫌な男
 やわらかな朝日が部屋の中へと差し込んで、二人を穏やかに目覚めさせた。ハルマースは部屋を出て、朝食の準備を整えようとした。
 慣れた手つきで野菜を刻み、鍋に放り込む。朝食は手早く、重くない食事がいい。暖かいスープを用意しようと、彼は塩が入れられている瓶を手に取った。
「あれ……」
 瓶を降っても中身が出てこない。ふたを開けてみると、中はからっぽだった。
「どうした? ハルマース」
 起きて、寝室から出てきたルインフィートが彼に問いかける。ハルマースは苦笑した。
「塩を切らせてしまったようです。これでは味付けが出来ません」
 ルインフィートはぼんやりと、鍋の中を覗きこんだ。鍋の中で野菜がぐつぐつと煮えて、いい匂いを漂わせていた。
「じゃあ、買って来ようか?」
 ルインフィートが穏やかに笑顔を浮かべて、外へと出て行こうとした。ハルマースは慌てて彼を引き止めた。
「いえいえ! あなたはゆっくりしていてください。俺が買いに行きますから」
「え、でも、鍋……」
「一旦火を止めて行きます。すぐに戻ってきますから、待っていてください」
 彼は鍋にかけられている火を消して、もう一度彼のほうに向き直り、両手で肩を掴んだ。
「俺が居ない間、部屋を出たりしないように。誰か来ても決して部屋に入れちゃダメだ」
「う、うん……わかったよ」
 ハルマースはぽかんとしているルインフィートを置いて部屋を飛び出した。

 ハルマースは走った。すぐ近くに、年中無休で一日中営業している店がある。生活用品はそこへ行けば何でも手に入った。
――愛する王子のために、いち早く朝食を用意せねば
 ハルマースはひたすら走った。長い手足で朝の街道を駆け抜けた。
 しかし角を曲がったところで突然、物凄い衝撃と共にに彼の身体は地面へと叩きつけられた。
「あいたた……な、なんだ?」
 砂埃が舞い上がり、周りが良く見えない。煙の向こうでうめき声が聞こえる。
 どうやら人とぶつかってしまったらしいことを悟り、ハルマースは冷や汗をかいた。
「す、すいませ……」
「いってえな……ちゃんと前見て歩けよ!」
 突然誰かに乱暴に胸倉をつかまれる。引き寄せられた先にあったその顔は……。
「え……え、俺……?」
 目の前に現れたその顔、その姿は、まさしく自分そのものだった。そしてその自分の姿をした者も、驚きの表情を浮かべている。
 ぶつかった二人はほぼ同時に、自分の身体を見て着衣を確認した。
 ハルマースはいつの間にか白い法衣のようなものを着ていた。そして、彼は自分の長い髪が無いことに気がつく。
 しかも、額にかかっている前髪は銀色で……。
「な……俺は……も、もしかして……」
 建物の窓に自分の姿を映してみると、そこにはガーラが映っていた。
「な、なんてことだ!」
 どういうわけか、身体が入れ替わってしまったらしい。ハルマースの姿をしたガーラのほうも苦々しい表情を浮かべていた。
「大変なことをしてくれたな!」
 ハルマースの姿をしたガーラが、ガーラの姿をしたハルマースの肩を掴んでゆすぶった。
「す、すまない、急いでいて……まさかこんなことが起こるとは」
 背の高い自分に睨まれると、嫌な迫力がある。ハルマースはガーラの顔を引きつらせた。
「よりにもよってお前で試す事になろうとは……」
 ガーラがぼそりと呟いたそのひと声を、ハルマースは聞き逃さなかった。
「試すって……お前なにかまた、いかがわしいことを!」
「俺のせいじゃない! 父さんが悪いんだ!」
 ガーラがハルマースの声で悲痛に叫んだ。

 ガーラはどうしてこんなことが起こってしまったのか、ハルマースに説明をした。
 どうやらガーラは昨晩家族とボードゲームで遊び、負けてしまったらしい。
 その罰ゲームとして、父親ザハンに『最初に触った人物と一日身体が入れ替わる術』をかけられてしまったらしい。

「な、なんという迷惑行為を……お前の父親は頭がおかしいだろ!」
 ハルマースが自分の姿をしたガーラに掴みかかった。ガーラはハルマースの身体で、わなわなと震えて涙を零しはじめた。
「みんな俺を避けるんだ。だから俺は家を飛び出して……ルインのところに泣きつこうと思ってたんだ」
「お、俺の姿でみっともなく泣くな!」
 ハルマースはたまらず、ガーラの腕を掴んで強引に歩き出した。
「こうなってしまった以上は仕方が無い……この姿で一日を過ごすしかない。とりあえず塩を買って王子に朝食をお作りしなくては」
 ガーラは黙って、ハルマースの買い物について行った。

 店で塩を買い帰路についたところで、おとなしく黙っていたガーラが足を止めた。
「いい事思いついた。せっかくだからこの状況を楽しまないか?」
「どうせお前の考える事なんてろくなことじゃない。行くぞ」
 ハルマースはガーラの腕を引っ張って、再び強引に足をすすめた。ハルマースの姿のガーラが、ハルマースの肩に腕を回してきた。
「気持ち悪いな、くっつくなよ」
「まあまあ、お前にとっても悪い話じゃない……。いいか、良く聞けよ」
 ガーラがハルマースの耳元に顔を近づけて、歩きながら囁いた。
「お前さ……いつもこんなふうにコキ使われてて、ストレス溜まってるんじゃないか? たまにはアイツをネチネチといじめてやろうとか思ったりしないか?
 お前今俺の姿をしているんだぜ。アイツのことを陵辱しても恨まれるのは俺だ。縛ったり、目隠ししたり、口を塞ぐのもいい。オモチャを突っ込んで放置するのもアリだな。
 イカせない様に根元を縛って、嬲るんだ。きっといい顔して泣くとおも」
 ガーラが囁いている途中で、ハルマースは彼を突き飛ばした。まるで自分が囁いているかのように見えて嫌悪感が増幅される。
「心の底からお前を軽蔑する!」
 ハルマースは肩を震わせながら叫んだ。ガーラの意識を纏った自分の身体をそのままに、自宅へと走り出した。
 こんなわけのわからない術に巻き込まれた上に卑猥な言葉を吐かれて、サワヤカな朝が台無しだった。
 自分達の部屋の前まで走り、扉を開けると、ルインフィートが待ちくたびれたという顔で玄関に現れた。
「あれ……? ガーラじゃないか。何しにきやがった」
 いつもは自分に笑顔で接してくれるルインフィートが、険しい顔をしている。ハルマースはあまり見た事の無い彼の表情に戸惑い、言葉を詰まらせてしまう。
「あ、あの、実は……」
「もうそろそろハルマースが帰ってくるよ。誰も部屋に入れるなって言われてるんだ。悪いけど、彼が帰ってくるまで外で待っててよ」
 ルインフィートは聞く耳を持たず、強引に彼を部屋の外へと押し出した。
「ああ……なんてことだ」
 ハルマースは頭を抱えてしゃがみ込んだ。ガーラの姿をしているというだけで、こんなに冷たくあしらわれるとは予想外だった。話を聞いてもらえないとどうにもならないので、再び部屋の中に押し入ろうとドアの取っ手に手をかけた。
 しかし鍵をかけられてしまい、開けることが出来なくなっていた。
 いつもの自分なら合鍵を持っているので入ることが出来る。しかし今はガーラの姿で、彼の服を着ているので鍵は無い。
「困ったな……」
 少し悩んだ後、彼は思いついた。身体はガーラでも中身は自分である。ひょっとしたら魔術は普段どおりに使えるかもしれない。
 ハルマースは鍵のかかった扉を開ける魔術を習得していた。地下迷宮探索の際に使うことがある術で、一般の民家に対して使ってよいものではない。
「禁じ手だが、この際仕方ない!」
 自宅の鍵を開けるのだから問題ないだろう。そう自分を説得して、ハルマースは取っ手に手をかけて、魔の言葉とともに鍵を開けた。
 扉の向こうではルインフィートが驚いて固まっていた。
「どうやって開けた……」
「王子、俺の話を聞いてください。俺はハルマースです!」
 ハルマースは一気に彼と距離を詰めた。まっすぐにルインフィートを見つめて、両腕を掴む。
「は、離せよ。なにワケのわかんないこと言ってるんだよ」
 ルインフィートはハルマースの手を振り払い、ハルマースから視線を逸らした。しかしハルマースはめげずに、もう一度彼の手を掴んで顔を合わせた。
「王子、お願いですから信じてください。俺はガーラと身体が入れ替わってしまったんだ!」
「……」
 ルインフィートは少しの沈黙の後、深々とため息をついた。
「そんな見え透いたウソをよく平然とつけるもんだな」
「ウソじゃない!」
 ハルマースは悲痛に叫んだ。しかしルインフィートは全く彼を信用しない様子で、再び彼を部屋から追い出そうとしていた。
「どー見たってお前はガーラじゃないか。ヒマだったらハルマース探してつれてきてよ」
 ルインフィートの力は強く、腕ずくで無理矢理また家の外へと追い出されてしまった。
「ああ……」
 ハルマースは扉にもたれて、悲嘆にくれた。ガーラの姿をしているというだけで、世界が全く変わってしまった。
 話も聞いてもらえず、信用も無い。いつも優しく笑顔を向けてくれる彼が、全く遠い存在になってしまった。
 愛する王子がおなかを空かせて自分の帰りを待っている。直ぐ側に居るのに、気がついてもらえない。
 しかし悲しい気持ちと同時に、少しの安心感もあった。ルインフィートはガーラに対して結構冷たいと言う事を身を持って知ったからだ。
「なにニヤニヤしてるんだよ」
 いつの間にか、目の前に自分……ガーラがいた。これから探してつれてこようと思っていたので、彼のほうからここに来てくれたのはありがたかった。
「お前の信用が無いせいで、締め出しを食らってしまった。王子は俺の話に耳を貸さず、中に入れてくれないんだ」
 ハルマースがそうこぼすと、ガーラはハルマースの顔でふふふとキザに笑った。ハルマースは何故だか、そんな自分の笑顔にものすごくムカついた。
「お前がそう躾けたんだろう? いい事じゃないか」
 嫌味な微笑みを浮かべたまま、ガーラは部屋の扉ごしに声を掛ける。
「王子、お待たせしました。帰ってきましたよ」
 すぐさまに扉は開けられた。ルインフィートが笑顔で、ハルマースの姿をしたガーラに擦り寄っていく。
「遅いじゃないか。俺もうおなかペコペコだよ」
 ルインフィートはハルマースの姿をしたガーラの腕を掴んで、部屋の中へと引き入れた。ガーラはルインフィートの腰を引き寄せて、身体を密着させる。
 その勢いで、ガーラはルインフィートの額に口付けをした。ルインフィートの頬がばら色に染まり、彼は照れたように黙って微笑みを浮かべた。
 ハルマースにとってそれははらわたの煮えくり返る光景だった。

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