ジュネ夫君の初恋
毎朝日も浅いうちから早起きして家族の朝ご飯を作る。それが終われば次は皆の洗濯物を処理する。ようやく自ら朝食を摂ると今度は部屋の掃除に追われ、昼がくればまた食事の支度をする。
彼はそんな主婦のような日常を送っていた。
家の連中はことさら身勝手な連中が多く誰も彼の仕事を手伝おうとはしない。彼もその作業を特に苦にはしておらず、ごく自然に毎日文句の一つもいわずにこなしていた。
彼の名前はジュネ。
一見美女と見間違えるほどの美貌の持ち主である。しかし彼は美貌を持ちながら自らは全くその事に気づいていない。彼は特に意識して鏡を見たりしないのだ。自分の身だしなみを整える余裕もないほどに彼は主婦業に追われていた。
そんなある日の事である。
風の強い日だった。
しかし空は快晴で、洗濯物日和の朝に彼ははりきって庭の物干し竿に洗濯物を干していた。金色の長い髪が朝日に煌いて流れるその姿はまさに天女の様である。男に生まれてきたことがつくづく惜しまれるであろう。風の精霊も彼の美貌を妬いたのか、彼の腕から一枚の洗い立ての兄ガーラの下着をはぎ取ってさらっていった。
「うわわっ」
ジュネは折角洗った物をまた地面の土で汚してはシャレにならんと全速力で風に舞う布を追った。洗濯物を追うジュネの視界に、不意に一人の青年が割り入る。洗濯物は青年の手の中に収まった。
「おはようございます」
背の高い青年はジュネにぺこりと会釈した。
「どうぞ」
「す、すいません〜」
ジュネはぺこぺこしながら青年から洗濯物を受け取った。その青年のことは見知っていた。兄と一緒に旅をしてきた二人のうちの一人、サントアークの王子様の付き人の方である。
名前はマディオラ。本名はハルマースというらしいが、冒険者仲間の間ではマディという名で通っていた。生真面目な性格でわがままな兄と王子様の世話には苦労させられていたに違いない。全身から『苦労しているぜ』という雰囲気が漂っている。
彼が朝早く家を訪れるということは、そのご主人様が無断でこの家に泊りにきているからなのだろう。彼の顔色は優れない。
(ああ……お気の毒に……)
ジュネの喉元にその言葉が通りすぎて外に出ようとしたが、それは相手にとって少々失礼な言葉である。すんでのところでジュネはその言葉を飲み込んだ。
「すごい量の洗濯物ですね」
青年はじっと篭にうずたかくつまれた衣類を眺めていた。彼の表情もまたジュネに『お気の毒に』と伝えている。
「た、たいしたことないっすよ……」
ジュネはなんとなく照れくさくなって慌てて首を横に振って見せる。恥ずかしい物を見られてしまったという心持ちである。
しかしその仕草が余計に健気に青年の目に映ったのだろう、彼は物干し場へと歩きはじめてしまった。
「マ、マディオラさん!」
慌ててそう呼び止めるも青年は手慣れた手付きで次々と洗濯物を干し始めている。彼の束ねられた長い髪が干した布とともに風に揺れている。
ジュネの目には何故だかそれがとても勇壮な物に映った。
「す、すいません!あのっ、俺、大丈夫っすから!」
あわてて止めようとするももう大分洗濯物は片付けられてしまった。ジュネはただすいませんすいませんと彼にぺこぺこするしかなかった。洗濯物を片付けた青年は自らの上着の懐からなにやら小さな丸い缶を取り出し、ジュネに手渡した。
「手が荒れているようですから……」
小さな贈物にジュネはきょとんと固まってしまう。
「保湿乳液です。よろしければ使ってください」
青年はジュネにそう告げると家の玄関へと去っていった。ジュネは缶を手渡されてそのまま、青年がご主人様をつれて家を出ていくまで固まっていた。
「ちょっと、見てよ、あのヒト」
最初に次兄の変化に気づいたのは妹のローネだった。鏡を前に丹念に髪をとかす次兄の様子を奇異な目で見ている。鼻歌まで交えながら上機嫌に手荒れの手入れなんかもする始末である。
ローネは隣にいる自分と年の変わらない少年にひそひそと声をかけていた。少年の名前はライ。いつもにこにこしている柔和な少年だ。彼すらも次兄の様子に小首を傾げている。
「なんか、兄さん変だねぇ。セリちゃん」
ライはさらに隣の自分と同じ顔をしたセリオスという少年に話しかける。顔は同じでもいつも悪さばかりしている素行不良の少年である。
「急に色気づきやがって。男でもできたんじゃねーの」
セリオスはひゃひゃひゃと下品に笑っている。少年好きの趣味がある人間が飛びつきそうな可愛い顔が台無しである。
そしてそのセリオスの背後にもう一人、顔面蒼白で次兄の様子を見つめている男がいた。
長兄のガーラである。
「なんてことだ……!!」
綺麗な弟の変化に衝撃を受けているようだった。ガーラは昼間いつも外に出る時はジュネを連れて歩いていた。飾らない美しさを持つジュネと一緒にいるのはなんとなく気分がいいのである。
しかし弟の成長を見守りたい気持ちもあってガーラは葛藤していた。もやもやする気持ちをぶつけるようにガーラは目の前のセリオスを背中から強く抱き抱えた。セリオスはぎょっとして暴れ出す。
「なっ、何する気だよアニキッ!」
「うーん、セリちゃん、どうしたらいいと思う?」
どうしたもこうしたも好きにすればいいじゃねぇかとセリオスは思った。とばっちりを食らうのは御免である。
「それにしても、やっぱり男に惚れたのかしらね?」
ローネの言葉を否定する声はなかった。ガーラにはなんとなく心当たりがあった。もしやあいつじゃあるまいな……と。
兄弟の動揺に気づかずにジュネはその日から身だしなみに気を使うようになった。ひどかった手荒れも随分と良くなった。
以前にも増して家事に励むようになった彼が男に惚れた事を誰も咎めようとはしなかった。
ジュネにとってそれははじめての恋だった。そして初恋は実らないからこそ美しい思い出になる。
それを実感してしまうのはまだ後々の事である。
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