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ジュネ夫君の後悔
 ある日いつものように二人は仲良く仕事場である酒場へと向かった。その日はいつもと違い、酒場の前にちょっとした人だかりが出来ていて、人々はざわついていた。
「誰か! 神官を!」
 ジュネの耳に誰かの助けを呼ぶ声が入った。
「何かあったみたいだ」
 ジュネはコータにそういうと、先にその人だかりへと駆け寄った。
「俺、神聖魔法がつかえま……」
 言いかけて、ジュネは言葉が止まった。人だかりの中にあったものは、良く見知っている人物の体だった。
「は、ハルマースさん……!!」
 ジュネは慌てて彼の身体を起こした。呼吸も脈も既に酷く弱々しくなっている。
「な、なんで……こんなところに……!」
 発作を起こして倒れてしまったのだろう、ジュネは瞬時に状況を理解した。
 いつも一緒にいるはずのルインフィート王子はどうしたのだろう。ジュネはそう思ったが、一刻も早くハルマースを助けないといけないと判断した。
 ジュネは彼の胸に手をあてがい、出来うる限りの力を込めて神に祈った。ジュネの手のひらが光り、その光はハルマースの胸の中へと消えていった。
「う……うう……」
 ハルマースは低くうめき声を発し、うっすらと瞼を開いた。しかしすぐに目は閉じられ、力なくかくりと頭が下がった。
「ハルマースさん……!!」
 ハルマースの症状は良くならなかった。自分の力では彼を治せないことを悟る。
 そして、ある人物のことが強く脳裏に焼き映された。
「兄さん……
 兄さん……助けてくれ……!」
 ジュネは今度は持てる力の全てを出して、倒れているハルマースの身体を抱え上げた。
 しかし自分よりだいぶ背の高い青年を抱えるには無理があった。足元がふらつき、よろよろとした足取りに見物人たちはどよめいた。
「ジュネ!」
 コータが慌ててジュネに駆け寄った。
「無理すんな! そんなでけぇ奴オメーに運べるわけねえだろ!
 俺が持ってやる!」
 コータはジュネからハルマースを奪うようにして担ぎ上げた。
「コイツをどこへ持ってきゃいいんだ!?」
 担いだはいいが、自分よりも背の高い男の身体はやはり重く、コータも一瞬ふらついた。しかし倒れないようにしっかりと地面を踏みしめた。
「ありがとう……コータ君! 俺についてきてくれ……!」

 ジュネは早足でかつて自宅だったところへ向かった。様々な思いが頭をよぎって行ったが、考える時間は無かった。
 コータはハルマースの重みに耐えながら、やっとついていった。
 やがてあの物々しい外観の塀が見え、そのまま門をくぐりぬけ家の扉の前へと到着した。開けようとしたが、鍵がかかっていた。
 ジュネは必死で呼び鈴を鳴らし、助けを求めた。
「兄さん! 俺だ、ジュネだよ!
 お願いだ! 彼を助けてくれ……!!」
 突然の騒動に慌てて扉が開けられた。
「うるさいわね!!
 そんなに大声出さなくても聞こえてるわ!!!」
 中から出てきたのは、気の荒い妹の方だった。ジュネは言い様の無い絶望感に襲われた。
「た、助けてくれ……ハルマースさんが……」
「バカ家来がまた倒れたの!?
 もういい加減息の根止めちゃった方がいいんじゃない?」
 ローネは息絶え絶えのハルマースを一瞥し、鼻で笑った。
「おっかねえ女だなおい」
 コータは身を竦めて怯えるふりをした。
「とりあえずコイツ寝かせてやってくんねえかなぁ」
 ずっとハルマースを担ぎっぱなしのコータが訴えた。虚無感に襲われ放心していたジュネははっとわれに返った。
「そうだ! ごめんコータ君!」
 ローネと話していても助けてもらえないと判断したジュネは、彼女の横を通り過ぎて家の中へと入っていこうとした。しかし通り過ぎざまにジュネはローネに冷たく告げられた。
「あんたのせいで、そいつは身体をますます悪くしたのよ」
「えっ……?」
 その言葉にジュネは凍りついた。
 ローネは更に不機嫌そうに言葉を付け加えた。
 ジュネが家を出て行ってからハルマースは酷くジュネのことを気に病んでいたという。ハルマースの体調は心の状態にも影響するらしく、しょっちゅう具合を悪くしていた。
 特に最近は「ジュネ」という名前を聞いただけでも具合を悪くし倒れてしまったという。
「アニキと王子を呼んでくる。一緒のはずだから」
 ローネは家の外へと走り出した。ジュネは黙って妹の背中を見送った。


 ジュネは二階の一室に寝台を用意し、ハルマースをそこに横たわらせた。意識は戻らず、その身体は冷たく冷え切っていた。
 ジュネは言いようのない不安に駆られ、ハルマースの手を取り握り締めた。何度も回復の祈りを捧げてみるが、まるで効果が無いようだった。
「ハルマースさん……」
 ジュネは肩を落としうなだれた。
 コータは黙ってジュネの背中を見つめた。事情が全く飲み込めなかったが、黙っていることにした。

 やがてローネが二人を連れて家に戻ってきた。
 ガーラは血色の無い青白い顔をしていたが、ルインは真っ赤で腫れぼったい顔をしていた。しかもルインはガーラに支えられてやっと立っている状態だった。
 ここ数日、ルインは高熱に冒され寝込んでいたという。
 横たわっているハルマースの姿を確認するや否や、ルインはハルマースにふらふらしながら早足で駆け寄った。彼はハルマースの肩をつかみ、揺すぶり、ひどくしわがれた声でハルマースに問いかけた。
「ばるばーず、おでだ、ゲホッ……」
 ※訳(ハルマース、俺だ)
 すると不思議なことに、今までどうやっても意識が戻らなかったハルマースが目を覚ました。
「う……うう……俺は……確かネギを買いに行こうとして……」
 うわごとの様にハルマースは呟いた。ルインは風邪のせいか、鼻水をすすりながらハルマースに覆いかぶさった。
「もどだないがだ、じんばいじだぞ」
 ※訳(戻らないから、心配したぞ)
 ハルマースは腕を伸ばし、ルインの肩を抱いた。
「すまない……酒場の前でジュネさんの噂話が耳に入って……
 それから急に胸が痛くなって……」
 ジュネは目の前が真っ暗になったような錯覚に襲われた。自分の行動がこんなにも人に影響するとは思いもよらなかったのである。
「俺は何て馬鹿だったんだ……!」
 ジュネは自分が許せなくなった。勝手に恋をし、勝手に兄と喧嘩をし、勝手に出て行ってしまったことを悔やんだ。
 ハルマースがこんなにも自分のことを気にしてくれていたとは思ってもいなかった。
 どうせ彼は王子のことしか頭になく、自分のことなど忘れるのだろうと思っていた。
 ジュネはハルマースの姿を直視することが出来なくなり、部屋を飛び出してしまった。
「ジュネ!」
 ガーラとコータが同時にジュネの名を叫び、後を追って部屋の外に出た。ジュネは部屋の扉のすぐ前で立ちすくんでいた。
 そんなジュネを励ますように、コータが彼を背中から抱きしめた。
「な、誰だお前は!」
 ぎょっとしてガーラはコータに怒鳴りつけた。コータは横目でガーラをにらみつけた。
「何がなんだか俺にはサッパリワカンネーが、ジュネは悪くねえ!
 決して悪くねえからな!」
 そしてコータはジュネに向き直り、肩を掴んで睨む様に見つめた。
「行き倒れはなんとかなったみてえだし、仕事行くぞコラ!!」
「ダメだ! もう俺は……!」
 尻込みするジュネを、コータは有無を言わさず抱え上げた。ガーラはまたしてもぎょっとして更にコータを怒鳴りつけた。
「おい! 勝手に人の弟を……!」
「うるせー馬鹿!」
 ガーラの制止を聞かずにコータはジュネを抱えたまま階段を駆け下り、家を出て行こうとした。しかしガーラが彼らを追い越し、出口の前で立ちふさがった。
「ジュネを離せ……。ここは通さない」
 ガーラがそう言うや否や、玄関の扉は外から空けられた。扉をあけたのはセリオスとライだった。どこかに外出していて今家に戻ったところらしい。
 セリオスは目の前の兄の背中のその向こうの人物を見て、きょとんとして固まった。
「あれっ? コータ兄ちゃん」
 コータもまた一瞬呆気に取られた。
「こ、コゾー! ここの子だったのか」
 コータとセリオスはちょっとした顔見知りだった。
 そんなことは全く知らないガーラはぎょっとしてセリオスのほうを振り返った。その瞬間、コータはガーラを突き飛ばし、家の外へと脱出した。
 ガーラは背中から突き飛ばされ、前につんのめって側に居たライに向かって倒れこんでしまった。
「な、なんて野郎だ! セリオス! 追え!」
 ガーラはライを下に敷きながら、セリオスに指示を出した。
 しかしセリオスは動かなかった。
「なんで?」
 セリオスはしらばっくれて、あさってのほうを向いた。
「クッソ! つかえねーガキだな!」
 ガーラは立ち上がって自分で追おうとしたが、襟首を何者かにつかまれ、動けなくなった。
 後ろにいつの間にかローネが立っていた。
 彼女は鬼のような凄い形相で兄を睨みつけていた。
「ライを押し倒すなんて……」
 ローネはライのことを溺愛しており、彼に危害を加えようものなら大変なことになる。
 ガーラは背筋が凍る思いをした。今まで何度いわれの無い理由で妹に暴力を振るわれたか考えるだけでぞっとした。
「倒されたのは俺のほうだ!」
 次の瞬間、ガーラの身体は宙に舞っていた。
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