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ジュネ夫君の決意・前
 しばらく酒場に向かって進んだところでコータはジュネを降ろし、後ろを振り返り遠くのほうを仰ぎ見た。陽は既に沈み街灯が道を淡く照らし出している。
「奴ら、追ってこねえな」
 人影もまばらで二人の長い影が細長く路面に映し出されている。コータはぼんやりと立ちすくんでいるジュネの腕を掴んだ。
「行くぞ」
 ジュネは動こうとしなかった。一刻でも家に帰ってしまったのが災いしたのだろう。
 ジュネは家族への想いに捕らわれ動けなくなってしまった。やつれた兄の姿を見て、やはり自分が面倒をみなければいけないんだと思い始めていた。
「コータ君、やっぱり俺、家に帰らなきゃ……」
「おい!」
 弱弱しく言うジュネの声を怒気の孕んだ声でコータが遮った。コータはジュネの両肩に手をかけ、真正面からその瞳を睨むようにして見つめた。
 ジュネはどきりとして目を見開いた。
「お前はなにか目的があって家を出たんだろ?
 旅に出るんじゃなかったのかよ」
 コータの眼差しがジュネの心に痛々しく突き刺さった。ジュネはコータから目を逸らし、小声で呟くようにコータに言った。
「もう、いいんだ。
 俺は突然勝手に家を出てきてしまったんだ。
 そのせいで兄弟や友人を心配をさせてしまった」
 ジュネは自嘲した。
「逃げたかっただけなんだよ……」
「ジュネ!」
 コータは再び彼を怒鳴りつけた。
「ふらついてんじゃねえよ、しっかりしろ!!
 一度心に決めたことはやりとげるのが筋ってもんだろ!
 お前の人生はお前のもんだ!
 第一いいトシした兄弟がいつまでも一緒じゃおかしいだろうが!」
 目の覚めるような言葉にジュネははっと息を飲み込んだ。
「コータ君……」
 ジュネは目頭に熱い物がこみ上げてくるのを必死にこらえた。強い言葉で叱ってもらえた事が逆に嬉しかった。
 いつも兄弟の世話に追われ、尽くしてきたジュネは自分の事などあまり考えたことなど無かった。
 ジュネはコータの胸に飛び込み強く抱きしめた。
「コータ君……君にはホント……
 ……惚れるよ」
「ちょっ、おい!」
 コータは照れてしまったのか顔を真っ赤に染め、あたりをきょろきょろと見回した。幸いこの夜道に、他に人はいなかった。
「い、行くぞ! どえらい遅刻だ!」
 コータはわざとらしく早足でジュネを引っ張るようにして酒場へと歩きはじめた。


 一時間以上も遅刻をしてしまったが、事情が事情だっただけに誰も彼らを責めたりしなかった。
 ジュネは客や仕事仲間に、倒れていた彼は知り合いなのかといろいろ聞かれたりもしたが、はぐらかして詳しくは答えようとしなかった。
 ジュネは自分がこんなに人に注目されているとは思ってもいなかった。倒れているハルマースを見つけたとき、思わず彼の本名を叫んでしまったことを後悔した。
 考えたくは無かったがもし彼の本名と素性を知る人間がこの街に紛れていたとしたら……考えただけでぞっとした。
 コータもそんなジュネの気持ちを察しているのか、ハルマースについては一言も尋ねはしなかった。
 やがて二人は酒場での勤めを終え、自分達の部屋へと帰った。部屋に帰るや否やジュネはコータに話しかけた。
「コータ君、今日はいろいろとありがとう。
 疲れただろう?」
 コータはハルマースとジュネを担いで歩いたのだから相当疲れているに違いないとジュネは彼を気遣った。
「どうってことねえよ」
 コータはぶっきらぼうに言い放った。予想通りの反応にジュネは自然に微笑がこぼれた。
 しかしコータは神妙な面持ちでジュネの目を見ようとはせず、軽くため息をついた。
「コータ君?」
 ジュネはコータの方に歩み寄り、顔を覗き込んだ。コータは少し思いつめたような表情をしていた。
 少しの間沈黙し、その後彼はジュネを抱きしめた。
「さっきはあんな偉そうなことを言ってすまなかった。
 俺はただお前に帰ってほしくなかっただけなんだ」
 そう告げるコータの声にはいつもの張りが感じられなかった。彼は弱弱しくうなだれている。
「俺には家族ってもんが居ねえんだ。
 お前がいなくなったら俺はまた……独りだ」
 ジュネから見るとコータは自分よりもよっぽど自立している男に見えていた。働き者で男らしく頼もしい彼に弱い部分を見せられて、愛おしさがどっと込み上げてきた。
 ジュネはいてもたってもいられなくなり、コータの頬に手を添えて軽く口付けをした。
「君を独りにはしないよ」
 ジュネの言葉にコータは首を横に振った。
「お前は旅に出るんだろう」
 ジュネはコータの手を強く握り締め、熱いまなざしを送った。
「君と出逢ったのも何かの縁だ。
 一緒に行かないかい?」
 コータは困惑の表情を浮かべたがジュネは構わず話を続けた。
「故郷の地を君と二人で歩きたい。
 素敵な人を見つけることが出来たって、父の墓前に報告したい」
 ジュネはコータの肩に腕を伸ばし、顔を引き寄せた。
「そうだ、俺が君の家族になるよ。
 結婚しよう、コータ君」
 少しの間沈黙が支配した。コータは固まってしまい、ぴくりとも動かなかった。
 彼の脳がジュネの言葉の意味を理解するのに数秒かかった。
「けっ……けこっ……結婚!?」
 驚いて目を見開くコータとは対照的に、ジュネは真顔そのもので彼を見つめていた。
「な、なに突然寝言言ってやがる……!」
 突然求婚されてコータは戸惑った。冗談なんじゃないかと思った。
 しかしジュネは身体を彼に寄せ、腕をコータの背中にまわしてくる。
「男同士で結婚なんてできるか!」
 コータはジュネを引き離した。第一出逢ってからまだひと月ほどしか経っていないのである。
「俺の国では同性の結婚も認められていたんだが……」
 ジュネは残念そうに肩を竦めて見せた。動揺しているのか、コータはジュネと目を合わさなくなり、そのまま無言で一人風呂場へと行ってしまった。
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