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ジュネ夫君の再出発・前
 朝日が部屋に差し込み、眠る二人を優しく包み込んだ。二人は裸で寄り添い、けだるくも心地よい朝の空気を肌で感じていた。
 今日は二人とも仕事は定休日で、すぐには起きずに寝台の上でのんびりと過ごした。コータは大きなあくびと共に背伸びをした。
 男と一線を越えてしまった事に後悔はしていないようで、寄り添うジュネの頭髪を優しく撫でていとおしい眼差しで寝顔を見つめた。
 伏せられたまぶたの睫毛は長く、薄く開かれた口元は薄桃色の花びらのようにほんのりと色づいている。
 コータはジュネに思わず見とれて息を飲んだ。
 奇麗な顔をした男だとは思っていたが、これほど至近距離でゆっくりと顔を見つめたことなどなかった。
 この美しい男が昨晩自分を翻弄し、ひどく淫猥に乱れたことを思い出すとコータは妙に恥ずかしくなってジュネから顔を背けた。

 コータが少し動いたのを感じたのか、ジュネはうっすらとまぶたを開いた。
「コータ君、おはよう」
 ジュネは身体を少し起こし、横たわるコータの頬に軽く口づけをした。
「……よう」
 まだ眠そうにごろりと寝返りをうったコータをジュネは優しい眼差しで見つめた。ジュネはコータの頭をひと撫でし、寝台から降り立った。
 一糸まとわぬ姿が朝日に照らされてコータの目に焼きついた。
 ジュネは下着を身につけ、軽い上着を羽織ると収納の引き出しからコータの衣服を出して寝ているコータの脇にそっと置いた。
「着せてあげようか?」
 ジュネはくすくすと微笑んだ。コータはムキになって起き上がった。
「こ、子供じゃねーぞ俺は!」
 コータの反応にジュネは声を出して笑い出した。

 普段ならとっくにコータは出勤している時間にようやくふたりは朝食を摂った。
 ジュネはにこにこと微笑んでいたが、コータは気恥ずかしくてそわそわしてしまった。
 しかし急に何か思い出し、ジュネに話しかけた。
「お前の兄貴に挨拶しにいかねえとな」
 急に言われてジュネはスープを飲む手を止めてきょとんと固まってしまった。
「え、なんで?」
「だって……け、結婚するんだろ?」
 言われてジュネは持っていたスプーンをかしゃんと床に落とした。
「なに驚いてるんだよ!
 驚きすぎだろ!!」
 コータもジュネの反応に驚き立ち上がってしまった。
 ジュネは慌てて落としたスプーンを拾い上げた。しどろもどろの口調でコータに弁明する。
「ご、ごめん。本気にしてくれるとは思わなかったんだ」
「なんだと!?」
 コータはまた自分はからかわれていたのかと思い少し身を引いてしまったが、ジュネはすぐさま彼の手を掴んだ。
 ジュネはコータに顔を近づけ、微笑みかけた。
「ありがとう、嬉しいよ。
 俺のモノになってくれるんだ」
「な、なんだと!?」
 コータはムキになって反論した。自分が嫁に貰われる様な言い方が気に障ったのだ。
 反論を続けようとしてコータは大きく息を吸い込んだ。しかしその口はジュネの口によってふさがれてしまう。
「んん−ッ……!」
 濃厚に絡みつかれ、コータは否応なしに昨晩の行為を思い出し身体が熱くなるのを感じた。
 ジュネの唇が離され、コータは必死に呼吸を整えた。なかば睨み付ける勢いでコータはジュネを見た。
 ジュネの余裕の微笑みが心憎く感じられた。
「俺は自分の姓を捨てられない。
 これからもこの名前を背負って生きて行きたいんだ」
 ジュネはコータの首筋を撫で上げ、薄く生やされた顎鬚を弄んだ。コータは真意をつかめずきょとんとジュネを見つめなおした。
 ジュネの姓は今まで聞かされていなかった。流れ者の冒険者が多いこの街では自分の姓を持っていないものが多く、ジュネもそういう者なんだと勝手に思っていた。
 ジュネは一層優雅な微笑みをコータに見せ、右手を差し出した。
「俺はルイムの王子だった。名前はジュネ・ルイム。
 父親……国王を殺されて今は流浪の身だ」
「ルイムの王子だと!?」
 コータは目を見開いて驚きの表情を見せた。
 この掃除と洗濯と炊事が特技の男が、どこぞの国の王子だなんて思いもよらなかった。
 冗談を言ってまた自分をからかっているのかとコータは一瞬思ったが、こんな冗談を言う理由も見つからず本当なのだと実感した。
 コータは微笑むジュネの肩をがっちりと掴んだ。
「そんな身分の人間がこんなところで何してるんだよ!」
 コータはルイムという国のことは噂に聞く程度に知っていた。
 妖しい魔術が盛んで、邪悪な魔族が支配するという背徳の国。国王が殺害され、壊滅状態の現在は前にも増して荒れ果てて危険な場所だという。
 その国の王子様がこんなところで一般市民に紛れて暮らしているなんて誰が気づくだろうか。
 ジュネはにわかに表情を曇らせた。
「俺たちルイム王家は常に賢者の支配下にあった。
 自由になった今でも何をすればいいかなんてわからないんだ」
 ジュネは今までコータに黙っていたことを語りだした。
 自分の家族構成や生い立ちに至るまで語り、一時は兄と離れ離れになり探して旅をして回ったことも彼に話した。
 賢者に復讐を誓ったりもしたが宿敵であったはずの賢者ザハンがそのほとんどを倒してしまい、今兄弟はそのザハンの世話になっているという事も語った。
 しかしかいつまんで話したジュネの言葉をコータはうまく理解することが出来なかった。
 だけれどもジュネが今後の自分の生き方をどうすればよいか、迷っているという事は理解することが出来た。
「俺は流されやすいんだ。
 君が支えてくれないか?」
 ジュネはコータを真正面から見つめた。
 コータは黙って頷いた。
 ジュネは嬉しくなり、表情を和らげて彼に飛びつくように抱きついた。
「ありがとう!」
 コータはジュネの身体を力強く受け止め抱きしめた。
 なんだか自分はとんでもない男を掴んでしまったのかもしれないとコータは一瞬思ったが、成り行きとはいえこうなってしまったのも運命だと割り切り、生涯彼の伴侶となることを心に誓った。
「よろしくな……」
 コータはジュネの頬に手を寄せ、口付けをしようと顔を近づけた。
 ジュネは静かに瞼を閉じて、自らもコータに顔を寄せた。
 その時不意に、部屋の呼び鈴が鳴らされ来訪者の訪れを知らせた。
 いい雰囲気だったのにとジュネは残念そうにため息をついた。

「誰だ!」
 面倒くさそうにコータは玄関に行き、扉を開けた。目の前に現れた人物の背の高さにコータは一瞬圧倒された。
 コータは自分よりも背の高い人間なんてそうそう見た事がなかった。
 詰襟のキッチリとした服を着込み、脇には緩やかに湾曲した剣……刀というものを携えていた。そして左手にはなにやら紙袋が握られていた。
 青年の顔を見てコータははっと息を飲んだ。
「オメーは……昨日の行き倒れ!」
 コータは一歩後ずさった。何故かは自分でも分からなかった。青年はコータに深々と頭を下げた。
「昨日はあなた方が俺を助けてくれたようで……。
 礼を言いたくて訪ねさせて頂いた」
 見るからに生真面目な青年は右手を差し出し、コータに握手を求めてきた。反射的にコータも手を出して彼の手を掴んだ。
「は、ハルマースさん……!」
 コータの後ろからジュネが声を上げた。
 コータは振り返りジュネの顔を見ると彼は頬を染めていた。心なしか目が輝いているようにも見える。
「お、おい!」
 コータはぎょっとしてジュネに声をかけた。
 しかし既にコータの声は届かなくなってしまっているようで、ジュネは何も言わずに青年の方へと歩み寄って行った。
 コータはまた振り返り、青年……ハルマースのほうを伺うと、彼もまた微妙に微笑みを浮かべていた。しかし直ぐにその表情は固く苦渋に満ちた表情に変わった。
「俺はあなたを大変傷つけてしまったようだ。
 あなたが失踪したと聞いて俺は……
 どう責任を取ったらよいか悩みました。
 無事でよかった……本当に……」
 ハルマースはジュネにも深々と頭を下げた。そんな彼を見てジュネは慌てて首を横に振り、彼の顔を上げさせた。
「とととととんでもないです! 責任だなんて!!!
 俺のほうこそ勝手に家出なんかして……。
 心配かけて申し訳ないです!!」
 ジュネはハルマースにぺこぺこと頭を下げた。そしておもむろに彼の手を掴み、部屋の中に入るように促した。
「立ち話もなんですから……一緒にお茶でもどうですか?」
 ジュネの様子にコータは苛立ちを覚え始めた。明らかに浮き足立ち、自分とは違う態度を彼に示している。
 抗議をしようと手を出しかけたとき、ハルマースが苦笑いをし自分の腕と手のひらを前に少し差し出し拒否の意を表した。
「申し訳ない、王……私の連れが風邪で寝込んでしまっているもので。
 失礼ですが、のんびりしてはいられない。帰らなければ」
 コータは話しかけるタイミングを逃し、固まってしまった。ジュネは明らかに落胆した表情を見せ、しかし直ぐに神妙な面持ちになった。
「そ、それは大変ですね。
 あの彼が風邪だなんて……」
 心配そうにジュネが言うと、ハルマースはうつむいて表情を曇らせた。しかし彼はすぐに顔を上げ、笑顔を作り脇にぼんやりと立っていたコータに手に持っていた紙袋を手渡した。
「では俺は失礼させていただく。
 これはつまらないものですが」
 流されるままにコータは紙袋を受け取った。
「俺を担いで歩くなんて凄い体力だな君は。
 是非サントアークの傭兵に……
 いや、なんでもない、失礼した」
 はにかんだ笑顔でハルマースに言われ、コータは紙袋を持ったままぽかんと固まってしまった。
「あなた方に助けられて本当に感謝している。
 命の恩人だ。ありがとう。
 ではまた」
 そういってハルマースは一礼し、去っていった。ジュネは何も言わずに彼を見送った。
 足音が聞こえなくなると、ジュネは深々とため息をついた。落胆しているジュネの背中をコータは軽く叩いた。
 しかしジュネは頬を染めたまま、瞳をうるうるさせて心ここに在らずと言った様子だった。
「おい!」
 たまらずコータが怒鳴りつけると、ジュネははっとわれに帰った。しかしまた深々とため息をつく。
「なんなんだよ!」
 コータは苛立ち、更にジュネを怒鳴りつけた。ジュネはぼそりと呟いた。
「馬鹿でも風邪はひくんだね」
「はぁ!?」
 コータは呆れた声を出した。ジュネは構わず、言葉を続けた。
「あの人は俺の初恋の人なんだ」
「はぁぁぁぁ!?」
 コータは更に呆れた声を出した。そして苛立ちを隠さずに、ジュネにまくし立てた。
「ていうか、お前今でもアイツのことが好きなんじゃねえか!?」
 コータはジュネの両肩を掴み、顔を覗き込んだ。ジュネは急に素に戻り微笑むと、コータの背中に腕を回し抱きついた。
「妬いてくれるのかい?」
「そ、そらそうだろ!」
 コータは否定せずにジュネを離した。一緒になることを決めたばかりなのに、別の男のことを想われていてはたまらない。
「浮気すんなよ!」
「どうかな? 俺は惚れっぽいからな」
 ジュネは意地悪く笑って見せた。
「おいおい……」
 そのうちジュネが自分の国では多妻もアリだと言いそうでコータは背筋が寒くなった。
「それよりその包みは何なんだい?」
 話を逸らそうとジュネはコータが先ほど渡された紙袋の中からお洒落な包装紙に包まれた四角いものを手に取った。その包装紙はこの辺で有名な高級菓子屋のものだった。
「か、菓子折りかよ!」
 コータは思わず声が裏返ってしまった。しかしジュネはひとりでまたしてもキュンキュンしていた。
「ハルマースさん……」
「おいおい!」
 コータはあからさまに苛立ちジュネの背中をかるく小突いた。
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