ジュネ夫君の再出発・後
朝食が途中だったことを思い出すと二人は軽くいがみ合いながらも仲良く食事を済ませた。
コータは最初に自分で決めていた通り、ジュネと共に彼の兄弟へ挨拶に行くことにした。本気かどうかいまだに真意を掴みかねていたが、一応婚約をしたのである。
コータはこういうことはきちんと家族にも知らせておかないと気がすまない性格だった。
昨晩は勢いとはいえコータはジュネの兄を突き飛ばしてしまった。今度は自分が謝る番だとコータは気持ちを引き締めた。
部屋を出て、ジュネに導かれるままコータは彼の住んでいた家と思わしき物々しい外観の屋敷へとたどり着いた。塀の至るところにトゲが仕込まれていて見るからに怪しい屋敷である。
ジュネが屋敷の門の前に立つと扉が勝手に開かれ、中へと進むことが出来た。
ジュネは懐かしむように庭を見渡し、物干し場と思わしきところを見つめて軽くため息をついた。
思えばあそこでハルマースに洗濯物干しを手伝ってもらったことから不毛な恋心が芽生えてしまったのだ。
初恋は実るものではないとジュネはやるせない気持ちになった。
しかし自らが巻き起こした騒動のおかげでコータという素敵な人物と出会えたことを、ジュネは幸運な事だと思った。
ジュネはコータに寄り添い、腕を組み彼に微笑みかけた。
「な、なんだよ急に」
急に微笑みかけられ、コータは照れくさくなった。
二人は恐る恐る屋敷の呼び鈴を鳴らすと、扉が開かれ中からセリオスが出てきた。
「ウッ!」
仲睦まじく腕を組んでいる二人を見てセリオスは真っ先に絶句し、一歩引き下がった。
ジュネはそんなセリオスをみてくすくすと笑ったが、コータは少し気まずそうに引きつっていた。
ジュネはセリオスの頭を軽く撫で問いかけた。
「セリオス、昨日はありがとう。
兄さんいるかな?」
セリオスは目が少し泳いでいたが、慌てて何度も頷いた。
「い、いるともよ……」
ジュネとコータは屋敷に上がりこみ、兄の部屋へと向かった。階段を上りかつてジュネの部屋だったところの向側に兄ガーラの部屋はあった。
ジュネは彼の部屋の戸を軽くたたき、声をかけた。
「兄さん、俺だよ。
入っていいかい?」
しかし中から返事がなかったので、ジュネは勝手に扉を開けた。
ガーラは部屋の中でいまだ寝台に横たわり、顔を伏せていた。しかしちらりとジュネではない者の姿を確認すると、急に起き上がって声を上げた。
「き、貴様よくも昨日は俺を突き飛ばしやがったな!
おかげで俺は昨日ローネにボコボコに……!」
ガーラは声を荒げてコータに怒鳴りつけた。
ガーラは突き飛ばされたという怒りよりも、ライを押し倒したと勘違いされローネにこっぴどく暴力を振るわれたことが腹立たしかったようだ。
コータははにかみながらガーラに頭を下げた。
「悪かったな、兄貴」
コータの言葉にガーラはまた声を荒げた。
「気安く兄貴呼ばわりしないでくれ。
俺はお前の兄じゃないぞ」
ガーラは寝台から立ち上がり、コータににじり寄った。しかしジュネが二人の間に割って入った。
「俺たち結婚するって決めたんだ」
時間が止まってしまったかのように、ガーラは目と口を開いたまま固まった。ジュネの言葉がガーラの思考に反芻した。
一瞬の沈黙の後、彼の頭脳はようやく言葉の意味を捉え、震えた声が絞り出された。
「け、結婚って……お前…………」
呆然と立ち尽くすガーラに追い討ちをかけるように、コータが彼に声をかけた。
「よろしくな! 兄貴!
俺の名前はコータだ。
これからジュネと一緒に暮らすと決めた」
コータはがっちりとガーラの肩を掴んだ。そのあまりの力強さにガーラは怯んだ。
しかしすぐにガーラはコータの手を振り払い離した。
「お前ら、頭がおかしいんじゃないのか?」
ガーラはわざとらしく大きなため息をつき、やれやれと肩を竦めた。しかしめげずにジュネは更に言葉を続けた。
「ルイムでは同性の結婚だって認められていたじゃないか。
おかしなことなんてなにもないよ。
俺たち愛し合ってるんだから」
ジュネはコータの側に寄り添い、腕を組んで見せた。その光景を見てガーラは深々とため息をつき、首を横に振った。
「愛というものがどういうものかお前にはわかっていないな。
お前らはただ恋に浮かれているだけだ。
そして、誰よりもお前を愛しているのはこの俺だ」
ガーラはジュネを強引に自分の元へ引き寄せ、強く抱きしめた。
「お前が家を出てから俺は生きた心地がしなかった。
一日がまるで千日のように長く感じられ気が狂いそうになった。
お前がいない日々は灰色に彩られ全てのものが死滅してしまったかのように空虚で……」
「兄さん……」
兄の自分を心配する想いが感じられ、ジュネは目頭が熱くなった。
コータは傍でその光景を黙って見ていたが、そっけなくガーラに言い放った。
「兄貴、頭やられてるのか?」
ルイムでは近親相姦も合法なのかと言わんばかりの光景にコータは少し呆れていた。
コータの言葉にジュネははっとわれに帰り、兄の身体を離した。ガーラはコータのほうに向き直り、彼をにらみつけた。
「お前には弟を想う兄の気持ちが分からないのか」
「おかしいとしか思えねえな」
コータはぶっきらぼうにあっさりと言い放つ。
「なんだとこの……!!」
「いつまでも弟にべったりひっついてみっともねえぞ。
俺に任せとけよ、ジュネを必ず幸せにしてみせる」
いきり立ったガーラの言葉を遮って、コータは強い口調で言った。
そしてコータはガーラの両肩を掴み、真正面から睨みつける勢いで彼を見据えた。
「男の約束だ」
コータの力強い言葉にガーラの心は揺らいだ。
ジュネもそうだったが、ガーラもコータみたいな性格の男とは接したことがなかった。ガーラは直球で投げ込まれてくる熱い言葉に当惑した。
「そう、か……」
ガーラは吐き出すようにやっと言葉を発した。
「君はいい男だな、ジュネが惚れるのも頷ける」
一人でうんうんと頷くと、ガーラは急にコータに笑顔を見せ始めた。そして舐めるような視線で彼の身体から顔までまじまじと見つめなおす。
コータは何故だか背筋に薄ら寒いものを感じた。一歩引き下がってしまったコータの前に、そっとジュネが歩み寄った。
「兄さん、いやらしい目で彼を見ないでくれ。
彼は俺のモノだ」
ジュネはわざとらしくコータに寄り添い、彼の背中に腕を回した。
その様子をガーラはまたしてもにやにやしながら見回した。そして手を伸ばしコータの顎を軽く掴んで撫でた。
「今夜にでもまた俺の部屋においで。
男の語らいをしよう」
「兄さんやめてくれ!」
ジュネはたまらずガーラに抗議した。兄の性癖は良く分かっている。
気に入らない奴は無理矢理縛り付けて性的に苛めるのが好きなのだ。
「何を怒っているんだいジュネ。
俺は新しい家族を歓迎しようと心に決めたんだ」
ガーラはにこにこしながらジュネに言った。その笑顔はやけにうそ臭く目に映った。
ガーラは怪訝な顔をしているジュネに構わず、勝手に話を進めはじめた。
「これほどめでたいことはないな。
今夜は仲間を呼んで歓迎パーティーをしようじゃないか」
先ほどまで散々嘆いていた人物とは思えない朗らかな口調で、ガーラは急に生き生きとし始めた。
「わざわざ俺に挨拶に来てくれるなんて、なかなか礼儀正しいじゃないか。
気に入ったよ、さっきは失礼した。
気を悪くしないでくれ」
胡散臭い笑顔でガーラはコータの肩を叩いた。そして続けてジュネの肩も叩く。
「で、お前もまたここの家に戻ってきてくれるんだろう?」
兄の問いにジュネは首を横に振った。
「当分戻るつもりはない」
ジュネは静かに、しかしはっきりと言葉を発した。
「俺たちは旅に出るんだ。
ルイムへと……」
ジュネの言葉にガーラはみるみるうちに顔色を変えた。
「ルイムだって……!?」
ルイムは今無政府状態に陥り、混沌としていて非常に危険な場所である。ありとあらゆる犯罪がはびこり、街は恐怖と暴力で支配されているという噂が囁かれていた。
ガーラの表情は悲しみに曇り、笑顔は消え失せていた。先日残されていた書置きの言葉を思い出し、声を震わせた。
「墓参りに行くというのは本気なのか。
ラージャに墓なんてないぞ。
あるとしたら崩れた城が墓標代わりだ」
そしてガーラは部屋の扉の前に立ちはだかった。真剣な面持ちでジュネを一睨みする。
「どうしても行くというのならこの俺を倒してから行け」
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