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ジュネ夫君の暴走・前
 或る日のことだった。
 美貌の青年ジュネは、地下迷宮に赴くために装備を整えていた。地下迷宮には数多の怪物どもが棲み付き、冒険者を餌食にしようと待ちかまえている。
 しかし同時に迷宮には数多くの財宝が埋もれており、いくばくかでも手にすることが出来れば生活の糧になるのである。
 しかし根無しの風来生活を送っていた前とはちがい、家族の生活費などはどこでどう稼いでくるのかは不明だが、家主たる魔術師のザハンが用意してくれている。
 危険な地下迷宮探索は、いまや己の鍛錬の為の行動になっていた。

「用意はまだなのか? もういくぞジュネ」
 家の玄関で、ジュネの兄ガーラが支度を終えて待っている。
 ジュネは丹念にとかしていたその金の美しい髪をなびかせて、兄のもとに足早に歩み寄っていった。
 地下迷宮探索は到底、二人で出来るものではない。
 これから彼らは行きつけの酒場に赴き、いつも行動を共にしている仲間と合流するのである。
 彼らの仲間は、西の大国サントアークの家出王子様と、その世話役の騎士である。
 これから危険な冒険に赴こうというのに、にこやかでどこか嬉しそうな素振りを見せるジュネを、ガーラは複雑な心境で眺めていた。
 日に日に、その男であることがもったいないような美しさを増してゆく弟。
 彼は恋をしているのだ。
 ガーラはその恋は決して実らないということを確信している。
 ジュネが想いを寄せているのは、王子の騎士の青年である。
 男に男であるばかりか、その騎士は言葉には出さないものの王子のことを溺愛していると、ガーラは読んでいる。
 いつも共にしているジュネにだってそのことがわからないはずがないというのに、ガーラは心ときめかせている弟のことが可哀相でならなかった。

 あいつを想っていても、不幸になるだけだ。
 弟を想う余り、ガーラはジュネに行き過ぎた保護を施すようになっていた。
 もう一人の弟、セリオスに指示をし、ジュネと騎士ハルマースの事を監視させた。
 しかしそれでなにができるわけでもない。
 奥ゆかしいジュネのこと、決してハルマースに言い寄ったり、関係を迫ったりはしないだろうし、相手方もしかりである。
 単純に、見守っていたいという気持ちが増長しただけの行動だった。

 しかし、その行動は他からみたら異質なものだった。
 彼らのことを探っていたセリオスがハルマースに見つけ出され、兄のとっていた異常な行為にジュネは呆然となり憤慨した。
「いいかげんにしてくれよ!!
 俺を監視するなんて、いったいなんのつもりなんだ!!」
 ジュネはそう叫ぶと、兄の頬を力一杯張った。ぱしん、という小気味のいい音が、青空に響きわたる。
 そのままの勢いで、気がついたらジュネは走り出していた。逃げ出したいという気持ちの現れなのかもしれない。
 一頻り走ると、家のそばの公園にたどり着いていた。
 追いかけてくる足音は二つ。ハルマースと、ルインフィート王子がジュネの事を心配して追って来たのだ。
 不本意な形で想いを暴露されてしまったジュネは、公園脇の長椅子にうずくまって動くことができなかった。
 しかし騎士の青年は、構わず彼に歩み寄った。
「ジュネさん、あいつはあなたのことを大切に思っているんだ。
 あなたが俺に、ほ、……惚れているなんて。そんな。
 ……馬鹿げている。
 あなたは本当にとても美しいが、男ではないか。
 心配しすぎにも程があるな」
 励ましのつもりで青年は言ったのだろう。
 されどその言葉はジュネの胸に深く、傷をつけてしまった。
 馬鹿げているだなんて。
 ジュネは涙を堪えることができずに、うずくまったまま嗚咽を漏らした。
 泣きだしてしまった彼を見て、王子と騎士の二人ははっとなった。
 ハルマースは自分の言葉に責任があることもわからずに、懐から手拭きの布を取り出すと自らもしゃがみ込み、流れる涙を拭ってやった。
「どうかお元気をだされて……」
 まっすぐな青年の瞳を、ジュネは直視することができなかった。なぜだかとても惨めな気持ちに陥る。
 青年は心の底から自分を、友として見ているのだろう。
 程なくして、ガーラがその場にたどり着いた。
 ここまでしても弟の気持ちを察しないハルマースに、ガーラの頭の血が一瞬かっとなって弾けた。
「ジュネに近づくな!!」
 ガーラは乱暴に、ジュネの涙を拭っているハルマースを突き飛ばした。
「ガーラ!!」
 それまで黙ってみていた王子、ルインがガーラの両腕を掴んで彼を制した。
 ハルマースは地に倒れたが、すぐに立ち上がって衣服に付いたほこりをはらうと、眉の端を吊り上げ怒りの形相でガーラを睨みつけた。
「貴様、いいかげんに……!!」
「やめろ!!」
 ルインは今度はハルマースに飛びつき、彼を制した。
「なんでお前たちは喧嘩ばかりするんだ!
 どうしてなかよくできないんだよ!!」
 板挟みになって、ルインはたまらず叫びをあげる。
 ジュネは呆然とそのやりとりを見ていた。

 兄はどうしてこれほどまでに、自分を気遣うのだろうと思う。
 もはや自分は子供ではない。
 恋に破れて傷つくことなど、おそるるにたらないこと。
 そう思うと急に平静を取り戻し、ジュネはため息を一つつくと、長椅子からゆっくりと立ち上がった。
「兄さん、今日はもう帰ろう」
 そう告げると、そそくさと彼はその場から立ち去った。
 あわてて追って、ガーラもハルマースを睨みながら去ってゆく。
 ルインと、ハルマースも不機嫌な面を構えて、自分たちの部屋へと戻っていった。
 もやもやとした後味のわるい空間が双方に漂っていた。

 部屋につくと、ハルマースはルインにいきなり平手を食らった。
 年下とはいえ主君に手をあげられたハルマースは、訳もわからないといった様子で呆然と立ち尽くした。
 怒っているルインの瞳には、涙さえ滲んでいる。
「お前、ヒトの血通ってんのかよ!」
 怒りに震えるルインの様子に面食らったようで、ハルマースは黙って彼の瞳を見ていた。
 ルインは構わずに、声を高らかに抗議を続けた。
「ジュネさんは本気だった。
 お前が好きだったんだよ!!」
 怒鳴られ、睨まれてもハルマースはいまだ呑み込めずにきょとんと呆然としていた。
「そんな馬鹿げたことが……」
 言うとまたハルマースは殴られた。ルインはため息を深くついた。
「馬鹿げてなんかいない……」
 静かに、言い聞かせるように告げると、ハルマースはようやく事の事実に気がついた。
 ハルマースは黙ってうつむいてしまった。
 ジュネがひどく傷ついたということを察して。
 あの涙は自分に向けられたものだと。

 ルインは複雑な気持ちに苛まれていた。
 ジュネの事はルインも好いているし、彼が悲しむ姿など見たくも想像したくもないのだ。
 だけど……。
 だけれども。
 ルインは首をふいと横に向けた。
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