ジュネ夫君の災難
けだるい身体を引きずるようにしてジュネは歩いていた。
太陽は空の真上に位置し、寝不足の頭に容赦なく照りつけた。
勢いとはいえ兄であるガーラを犯した事に対する自責の念に苛まれながら、ふらふらと冒険者の登録名簿のある酒場へと足を踏み入れた。
この街を出て、ルイムへ戻り自分が本当に成すべきことを見つけようと思い立ったのだ。
街を出るには冒険者の名簿から一旦名前を消してもらう必要があった。ジュネは店に入ると適当な席に座り、まずは喉を潤そうと軽い麦酒を注文した。
昼間から酒を飲むなんてことはジュネにはあまり無いことだったが、昨日の事もあり今日は飲みたい気分だった。
しかしジュネは酒に弱かった。
一杯だけ…そう思ったのが運のつきだった。一杯だけにはとどまらず、勢いで何杯も頼んでしまった。
昨日の疲れもあって、彼はそのままテーブルに顔を伏せて眠ってしまったのである。
気がついたとき、彼は見知らぬ男の部屋に居た。
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夜空には月が高々と掲げられていた。酒場は閉店の準備に取り掛かろうとした。
店主は困っていた。酔って眠ってしまった客が一向に目を覚まさないのだ。
「おい、コータ! そいつをなんとかしてくれよ」
店主に呼ばれたコータという青年はへーへーと面倒くさそうに返事をした。
「おい! コラ! 起きやがれコノヤロー!」
コータは眠っている客の頭を乱暴に掴み、無理矢理に持ち上げた。
「う……ん……」
軽く呻いて薄目を開けた客の顔を見て、コータは思わずその手を落とした。客のオデコが机に当たってゴツンと音を立てた。
「どうした?」
店主が不審に思いコータに問いかけた。
「あ、いや、な、なんでもねえ」
少ししどろもどろになりながら、コータは慌てて取り繕った。
「一瞬、女かと思ってよ。
こいつ、男だよな……」
そう言いながら、再び恐る恐る顔を持ち上げてみた。
「……………」
鎧とマントに身を包まれており体格からなんとなく男なんだろうとは思った。
しかしその顔を見ると判別がつかなくなる。もしかして男装の女戦士なのだろうか……と、コータは頭を悩ませた。
悩んでいるコータを見て店主も客のテーブルの側に歩み寄った。
「うーん、酔いつぶれている女性を表に放り出すわけにもいかねえな……」
客は一向に起きる気配が無い。男だったら容赦なく表に放り出すところだが、女性客を放り出して事件でも起きたら店としても気分が悪い。
「仕方ねえ、コータ、お前の部屋に連れてってくれ」
「えーっ!」
店主の言葉にコータは抗議の声を上げた。
「目が覚めるまで寝かしときゃいいんだよ。
お前だったら寝込みを襲うなんて事しねえだろ」
「そら、そうだけどよ……」
ぶつぶつ言いながらも、このまま店の中に放置するわけにもいかないので、仕方なくコータは客を連れ帰ることになってしまった。
肩を担ごうと身体を抱いてみると、ずしりとした重みが伝わってきた。
「やっぱこいつ男だろ……」
店主のほうを伺ってみたが、さっさと行けというような表情をされてしまい、気分を沈ませながら店を出た。
コータは店の側の寮で一人で暮らしていた。部屋に入り、重くのしかかる客の身体を無造作に自分の寝台に放り出した。
鎧の重みもあってか、寝台のマットが深く沈んだ。
このまま寝たら体が痛くなるんじゃないかと思ったが、脱がし方もわからずそんなことをしてやる義理も無いのでそのまま放置してコータは風呂に入りに行こうと着替えを用意していた。
「……に……さん……兄さん……」
夢を見ているのか、客はしきりに兄の名を呼んでいた。
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息苦しさでジュネは目が覚めた。
まず、鎧を着たまま眠ってしまったことに気がつく。そして酒場で酒を飲んで眠ってしまったことを思い出した。
そしてここは……どこだかわからなかった。
見知らぬ部屋で、見知らぬ男が立っていた。風呂上りなのか、濡れている短い髪を無造作にタオルで拭いていた。
ジュネは湯気の立つたくましい背中をしばし呆然と見つめた。なんとか身体を起こすと、鎧と寝台がきしんだ。
音に気がついた男はジュネのほうを振り返った。
「目が覚めたか? お客さん」
男はそう言うとやや呆れ顔を見せた。
「あ、あの……ここは……俺は一体……」
言いかけるとジュネの頭を頭痛が襲った。一杯のつもりが一体何杯飲んだのだろう。記憶が定かではない。
「お前さんは一人で酒をかっくらって、酔いつぶれて寝ちまったんだ。
もう閉店時間を過ぎたんでね。
外に放り出すわけにもいかねえから、ここにつれてきたんだよ」
ややぶっきらぼうな物言いだったが、男の人の良さが伝わってきてジュネの心に凄い勢いで申し訳なさがこみ上げてきた。
「ああ! す、すみません!!!」
慌てて立ち上がって謝罪とお礼を言おうとしたが、まだ酔いが抜けていないらしく足元がふらつき男の胸に倒れこんでしまった。
風呂上りの暖かい胸板がジュネの頬に触れた。
「お、おい大丈夫かよ。無理すんな」
男はジュネを寝台に戻した。
「す、すみません……本当に……。
あ、あの……お代を払わなくては」
しどろもどろの手つきでジュネは腰の辺りを探った。そこには財布がつけられている……はずだった。
「あ、あれ?」
慌ててもう一度確認してみる。しかしやはりそこに括り付けられていたはずの物が無い。
「……………………」
ジュネは押し黙ってうつむいてしまった。男も不安そうに彼を見つめた。
「ど、どうした」
ジュネは青ざめた表情をしていた。
「さ、財布を……掏られてしまったみたいです」
「……そういえばお前さんの荷物、なんもなかったぞ」
男の言葉にジュネはますます気分を暗くした。酒飲んで酔っ払って寝ている間に泥棒に遭うとはなんと間抜けなことか。
これから旅に出るどころではなくなってしまった。戦う為の剣も盗まれてしまったのである。
家に戻ればあるのだが……喧嘩して出てきたため直ぐに戻るのはなんとも格好がつかない。
戻ったらきっとまた出て来れなくなるに違いない。
ジュネは頭を抱えてうなだれた。
とりあえずは飲食代を払わないといけない。
「あの……この鎧を売ればお金になると思うんで……」
そういってジュネは着ていた鎧を外し始めた。
「お、おい、いーよ別に、それなくなったら困るだろう?」
人のよさそうな男はジュネの脱衣をやめさせた。
「ウチの店で泥棒にあったんなら、ウチの店にも責任がある。
とりあえず今日はもう寝ろよ」
「だけど……」
申し訳なさすぎてジュネはますます肩を落とした。
自分は一体何をやっているのか。一人で歩くこともままならないのかと情けない気持ちに陥った。
今後のことを考えると眩暈を起こしそうだった。
しかも人に迷惑をかけておきながら、その優しさに甘えるなんて許せなかった。
「ちゃんと……払わないと……」
「チッ」
暗く沈んでいる様子のジュネを見て、男が軽く舌打ちをした。
「じゃあオメー、身体で払え!」
「エエッ!?」
男の言葉にジュネはぎょっとして思わず顔を上げた。
「か、身体で……?」
ジュネは男の顔を初めてまじまじと見つめた。
髪は短く無造作に刈り上げられ、素朴だが精悍な顔つきの男だった。歳はまだ二十歳そこそこといったところだろうか。
ひょっとしたらジュネより若いのかもしれない。
風呂上りで湯気を立てていた身体はすっかり冷めてしまったようだ。
軽く下着を一枚羽織られただけの肉体は筋肉が程よく盛り上がっており、たくましく男らしい体つきだった。
ジュネの心臓は高鳴っていた。
「わ、わかりました……」
ジュネは鎧を外し、更にその服を脱ごうとした。男は慌ててジュネの手を掴んだ。
「な、なにしてんだよオメー!
身体で払えってのは、店で働けってことだ!
俺はホモじゃねーぞ!!」
顔を真っ赤にして男はジュネに怒鳴りつけた。怒鳴られてジュネははっとなり、われに返った。
まだ幾分か酔っているのだろう。恥ずかしくなり頬を染めた。
「あ、ああ……すみません……
なんだか俺、まだ酔っ払ってるみたいで……」
「いいから寝ろ! 早く寝ろ!! 今すぐ寝ろ!!!」
男は更にジュネにまくしたてた。
「俺がここで寝たら、君はどこで……?」
申し訳ない気持ちでジュネは男に問いかけた。
「酔っ払いがンなこと気にすんな!」
面倒くさそうに男は言う。
「悪いよ……」
ふらりとジュネは立ち上がり、男の腕を掴んだ。
「見知らぬ人にまで俺は迷惑をかけて……
情けないよ本当に」
ぽろぽろとジュネは涙を流し始めた。男はぎょっとして固まってしまった。
「よりにもよって……泣き上戸かよ!」
男はジュネにしがみつかれて心底困り果てた。
どうすることも出来ず、男はそのままジュネの気が静まり自然と眠りに就くまで付き合う羽目になってしまった。
「いっけねー! 寝坊した!!」
朝、男の咆哮でジュネは目を覚ました。窓から差し込む朝日が眩しい。ばたばたと慌しく足音が響く。
ジュネは身体を起こして大きくあくびをした。
部屋を見渡すと、男が急いで作業着に着替えているところを目にした。
ジュネはあやふやな記憶を総動員して、何故自分がここで寝ていたのかを思い出した。そしてまた気持ちが沈みこむ。
「ごめんなさ……俺のせいで寝坊を……」
「朝っぱらからしみったれたツラしてんじゃねえ!」
男は乱暴に怒鳴りつけた。
「俺はこれから仕事なんだ。
お前もとっととどこかへ行ってくれ!」
迷惑極まりないという表情で男はジュネを睨みつけた。
「お仕事手伝うよ」
ジュネは立ち上がったが、昨日の酔いがまだ残っており酷い頭痛がしてぐらりとよろめいた。胃の辺りが酷くムカムカしていて気分が悪い。
顔色の優れないジュネを見て男は苛立ちを隠さずに怒鳴りつけた。
「いいからもう……オメーは寝てろ!」
男はさっさと部屋を出て行こうとした。
「ま、待ってくれ、君の名前を聞いてなかった」
ジュネは慌てて男に尋ねた。男は振り返り、少々引きつりながらジュネに答えた。
「俺はコータだ。オメーのせいで完全に遅刻だ!」
ジュネは申し訳ない気持ちで一杯になった。
「ありがとうコータ君。俺はジュネって言うんだ」
「誰もオメーの名前なんか聞いてねえ!」
そう言い放つとコータという男は慌てながら部屋の外へと駆け出していった。
部屋に残されたジュネは横になり、変更を余儀なくされた今後の予定を考え始めた。
一文無しで武器も無く、ザハンの家にも帰りたくないのでコータの言うとおり働くしかないだろう。
コータは口は悪いが人のよさそうな青年だ。申し訳なく思ったが、もう暫く彼の厄介になってみようとジュネは腹を決めた。
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