古の森
進んでゆくとより一層古い木々が群生し、天を覆い光が薄くなってゆく。
幻術にかかっているかのように辺りはもやがかかり、一行は空気が変化したことを察知した。
やがて蔦の絡まる無気味な古い屋敷が一行の前に現れた。屋敷の扉の前には礼服を着た男と、武装したものが数人、一行が来ることを予測していたかのように立ちはだかっていた。
「お前達は我々の領域を侵している。
早々に立ち去られよ!」
礼服の男がダルマースたちに威圧的な声で言った。声が森にこだまする。
「近隣の住民に被害が出ている。
サントアークの領域を侵しているのはお前達の方だ」
ダルマースよりも先に、神官が彼らに向かって声をかけた。すると礼服の男は怒りを露にした様子で、怒鳴りつけてきた。
「ここは古より我々が統治している!
薄汚い侵略者は貴様らのことだ!」
言い終わると同時に、男は首を刎ねられていた。
ダルマースは風よりも早く静かに襲いかかっていた。両手に持った刀で、的確に、目にも止まらぬ速さで斬りつける。周りにいた男達の首が次々に飛んだ。
叫び声を上げる余裕も与えられずに。
「無駄な問答は無用だ」
ダルマースは冷たく言い放つと、首を刎ねられて尚動く体に火炎の術をかけて焼き払った。
「奴らは不死怪物だ。
灰から蘇ることの無いよう、呪いを解いておけ」
神官にそう命令し、ダルマースは屋敷の中へと入っていった。ダルマースに続いて騎士達も屋敷の中に入ってゆく。
神官は初めて間近で目の当りにする将軍のあまりの強さに恐縮しつつ、解呪の祈りを捧げ始めた。
屋敷の中は明かりが灯されておらず、暗闇だった。ダルマースは明かりの魔術を唱えて、中を照らし出した。
大きな広間の中心に、人の姿をしたものが一人佇んでいた。
ただならぬ雰囲気を醸し出しているその人物は、華奢な身体の女性のようだった。
美しく織り上げられた平面的な布を折り重ねて身にまとっている。長い黒髪がダルマースが照らした明かりの光に艶やかに照らし出されていた。
ダルマースは思わず息を飲んだ。
生気の感じられない白い肌で、儚げに微笑むその女の顔は。
「レイ……いや」
言いかけて、彼は口をつぐんだ。似てはいるが、よく見ると違う。
ダルマースが思わず一瞬見間違えた人物……死霊魔術師のレイアとは、近い地域の出身なのだろう。
むしろ古よりこの地に住んでいるのだとしたら、レイアの出身がもともとはこの地域だという事なのだろう。
「私の従者を殺しましたね?」
か細い声で、女はダルマースに問いかけた。ダルマースは微動だにせずに黙って様子を伺った。
女はくすりと微笑んだ。
「私も殺してくださいませぬか?」
女は静かにダルマースに歩み寄ってきた。冷たい手が首筋にかけられると、まるで生気を奪われるかのような怖気がこみ上げてくる。
ダルマースは気を研ぎ澄ませ、怖気に必死で耐えた。それはレイアを前にしたときと似た感覚だった。
しかし、レイアとは確実に違う。
レイアが放つ、顔を背けたくなるような禍々しい気配ではない。
「ダルマース様!」
危険を感じた部下の騎士が、剣を振り上げて駆け寄ってきた。
「待て!」
ダルマースは振り返り、騎士の動きを制した。驚いて騎士はつんのめりそうになりながら立ち止まる。
「お前達は下がって外で待っていろ。
手に負える相手ではない」
ダルマースは騎士の肩を掴んで、押し出すように突き離した。
「ダルマース様お一人で……!?」
「俺を信じろ。必ず戻る」
力強い声でダルマースは騎士に告げた。騎士達は覚悟を決め、足早に屋敷の外へ出て行った。
女と二人きりになった空間で、今度はダルマースのほうから女に近づいていった。
「勇ましい隊長ね
部下を逃がして一人残る……とは」
「邪魔になるだけだ」
ダルマースは刀を両手に引き抜き、正面から女に斬りかかった。しかしすんでのところで、彼は手を止めた。
刀の刃が女の首の脇のぎりぎりの位置で鈍く光っている。
女は静かに目を閉じて、刃が振り下ろされるのを待っていたかのようだった。戦う意志が全く無いという事がわかると、ダルマースは刀を鞘に戻した。
「殺してくださらないの?」
女は目を開けて、残念そうにため息をついた。
ダルマースは腕を組んで少し考えた後、また女を見つめなおした。
「ここに来る途中、有翼のものが子供を連れて飛んで行くのを見た。
あれはあなたの子か?」
「…………!」
女は表情を変えてダルマースに掴みかかった。
「あの子には手を出さないで……!」
ダルマースは女を振り払わずに、そのままの表情で言葉を付け足した。
「吸血鬼に何故子供がいる」
不死のものに子供が宿ることは無い。もとより命が無いのだから。
「あなたは……何者だ」
女は表情を曇らせ、俯いた。
「話す事は何も無いわ。
私はごくありふれた吸血鬼の花嫁よ」
そして女は顔を上げ、ダルマースの首筋の匂いをかいだ。
「久しぶりの人間だわ……
じっとしてると、頂いてしまうわよ」
女は不敵に微笑んだ。しかしダルマースは動かなかった。
「あなたは吸血鬼などではない」
ダルマースは女が吸血鬼では無いと確信していた。吸血鬼からは絶対に、子供は生まれないのだ。
ダルマースは彼女の先ほどの焦りを見れて、あの逃がされた子供が腹を痛めて産んだ子供に違いないと推測した。
「……主人はどこへ行った」
ダルマースの問いかけに、女は首を横に振った。
「古の魔術師から召喚を受け、主人はこの場から消えたわ
私に残されたのはこの空虚な時間だけ
……お願いです。私を眠らせてください……」
女は願うような眼差しでダルマースにすがりついた。ダルマースはごくりと息を飲んだ。
「召喚した魔術師というのは、誰だ……?」
不死怪物を操るには高度な死霊魔術が使えなくてはならない。
ダルマースの知る限り、吸血鬼を従えることが出来るような魔術師は一人しか知らなかった。
「ルイムの……賢者か?」
ダルマースの問いかけの言葉を、女は否定した。
「旦那様は邪悪でくだらぬ賢者の手下にはならぬ」
ダルマースは緊張が解け、気持ちが急激に緩んでいくのを感じた。あの邪悪な女、レイアが召喚したのではないと確信する。
ダルマースは息をついて、女の肩に手をかけた。
「この屋敷に火を放つ。
その隙にあなたは他の騎士……特に神官に気づかれないように、逃げろ」
その言葉に女は驚愕して目を見開いた。ダルマースは更に言葉を続けた。
「生きていればあなたにかけられている呪いもいつかは解ける時が来るだろう。
生きろ、生きて子供の成長を見届けろ」
ダルマースは彼女から離れると、火炎の魔術を唱え始めた。
程なくして屋敷の奥から裏口を使ってきたのか、先ほど子供を逃がしたと思われる有翼の魔族の青年が駆け込んできた。
「イミカ様!」
青年は女の名をそう呼ぶと、急いで駆け寄ってその身体を抱きしめた。
ダルマースは火炎の魔法を、床や壁に放った。火炎の渦が火柱をあげて燃え盛った。
「早く連れて逃げるんだ」
ダルマースは少しずつ退却しながら、青年に向かって言い放った。
敵だと思わしき人間の言葉に、青年の瞳は戸惑いがちにゆれていた。
イミカと呼ばれた女は、青年の腕を離れた。
「ノブハラ、コテツを頼みました
私はやはりこれ以上生きてはゆけない」
女は微笑むと、自ら火柱の中へと駆け込もうとした。
「イミカ様!」
咄嗟のところで、青年は彼女を強い力で引き寄せた。そして青年はイミカと呼んだ女の腹に拳を入れて、一時的に気を失わせた。
程なくして炎は屋敷全体に広がり、燃えて力を失った柱が倒れこんでくる。
「人間よ、いつか再び合間見えよう」
ダルマースに一礼すると、青年はイミカを抱えて屋敷の奥へと消えていった。
燃え盛る火炎を潜り抜けて外へ飛び出すと、屋敷は崩れ落ち始めた。
無事の姿のダルマースを見て外で待っていた騎士達は喜びに沸き立った。
ダルマースは燃え盛る屋敷を一瞥した後に、あたりの木々を見渡した。
「この森の木を切り崩し、焼き払え。
邪悪な魔獣どもは根絶やしにしろ」
ダルマースは騎士たちを従えて、来た道を引き返した。
近隣の町の詰め所で今後の指示を出し、ダルマースは帰路についた。王都ソルティアに戻る前に、ドラグーン王立学園に立ち寄った。
既に新学期が始まっており、学園内は穏やかな賑わいを見せていた。
将軍が古の森の魔物を制圧したことは既に学園内にも知れ渡っており、ダルマースは手厚い歓迎を受けた。
放課後、真っ先にルインフィート王子と息子のハルマースがダルマースに会いに来た。ダルマースは待たされていた来賓室を出て、二人と共に校庭の花壇を散策した。
庭園は花が咲き乱れ、光に満ち溢れていた。
笑顔で嬉しそうに話しかけてくる子供達に癒されながらも、ダルマースは苦難の道のりを歩むこととなってしまったであろうあの森の子供に思いを馳せた。
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