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建国記念祭
 サントアークは建国記念日を迎えていた。城下では国の安泰と今後の繁栄を願い祭りが行われている。街路樹は飾り立てられ、道の端々で楽士が明るく陽気な曲調の弦を奏でていた。
 街のいたる所に小さな出店が構えられ、野菜や肉を香辛料などと焼いている香ばしい香りが辺りに漂い、道行く人の食欲を刺激した。
 日が高い位置に差し掛かると、町の中央を走る大きな街道の脇に騎士が規則的に立ち並び、王城の門が開かれた。飾り立てられた馬車が門から現れ、数騎の騎馬に護られながらゆっくりと街道を行進した。
 馬車の上では国王エルザールが国民を笑顔で見下ろし、そこかしこにせわしなく手を振っていた。国民の祝日と祭りのために学園から呼び戻されたルインフィートも、エルザールの脇で辺りを見回しながら笑顔を作っていた。
 弟王子のリーディガルは人前に出ることをきらい、馬車に乗ることを拒み、王城の大広間で父国王と兄王子が戻るのを待っていた。大広間には歴代の王の彫像が太い柱の前に打ちたてられており、物言わずともこの国の歴史を物語っている。
 これからこの荘厳な大広間で祝宴が開かれる。料理と酒が次々と席に運び込まれ、着々と準備が整えられていった。各地から王侯貴族がこの祝宴のために集まり、徐々に席を埋めていった。
 リーディガルは国王が戻るまで客人たちとの談話に励んだ。まだ子供だというのに賢く聡明なリーディガルに客人たちは感嘆した。
 席もほぼ埋まり、そろそろ国王と王子が戻ってくるかという時に、見慣れない風貌の人物がサントアーク騎士に取り囲まれて部屋に現れた。
 サントアークでは見かけることの無い銀色の髪の男女だった。その顔の上半分は銀の仮面で覆われており、その素顔を伺うことはできなかった。黒いゆったりとした布の法衣を身に纏っており、銀色の髪と白い素肌がひときわ引き立って見えた。
 ひどく興味をそそられたリーディガルは、彼らに近づこうとしたが、近衛の騎士に阻まれて近づくことが出来なかった。上座から最も遠い席に着かされた彼らの周りには物々しく騎士が取り囲んでいる。
 怪訝に思ってリーディガルは近くの騎士に訊ねた。
「何者だ?」
 騎士はリーディガルに一礼をした後、身体を屈ませてリーディガルの耳元でそっと答えた。
「ルイム王国のローラ妃とガーラ王子でございます」
 その言葉を聞いてリーディガルはごくりと息を飲んだ。
 ルイムは賢者という名の邪悪な魔族の魔法使いがはびこる悪の巣窟のような国である。
 サントアークとルイムはお互い不可侵条約を結んでいたが、仲が良いという国ではない。そしてルイムの王族は賢者の監視下にあるため滅多に表に出てくることがない。会場は珍しい客人の登場にどよめきたった。
「一体誰が呼んだのか」
 リーディガルは騎士に問いかけた。騎士は再び身体を屈ませ、リーディガルの耳元で小声で答えた。
「ルイム王妃からのご要望を国王が聞き入れたそうです」
「ふうん……」
 腑に落ちないような表情で、リーディガルはルイムの王族をちらりと一瞥した。

 やがてエルザールとルインフィートが戻り、挨拶の後に祝宴が開かれた。形式的な食事を済ませると、舞踏会へとなだれ込み客人達は各々自由に動き回り踊りを楽しんだ。
 酒好きで宴会が大好きな陽気なエルザールはしこたま酒を流し込み、酔いが回っているふらついた足で器用に踊りを踊っていた。
 そんな父の姿をルインフィートは嫌悪感むき出しのくすんだ表情で見つめていたが、次から次へと声をかけられて誘われるがまま彼も踊った。
 ルインフィートはひときわ華やかに飾り立てられた服を着ており、いつになく王子らしい気品を漂わせていた。揺れ動く金色の髪が照明に照らされて軽やかに踊る。彼のきびきびと動くさまは人々の目を惹き付けた。

 リーディガルは普段と違う表情を見せている兄の姿をぼんやりと眺めていた。兄王子の姿が彼の目には眩しく感じられた。
「にいさま……」
 ふらふらとひきつけられる様に、リーディガルは兄に近づいていった。しかし不意に、目の前に大人の男性の大きな背中が現れて移動を阻まれた。
「ハルマース!来てくれたのか」
 突如、ルインフィートの嬉しそうな声が響き渡った。リーディガルは目の前の人物を避けて再びルインフィートの姿を見ると、彼はハルマースの背中に腕を回してリーディガルから遠ざかっていった。
 リーディガルは気持ちが荒んでゆくのを感じた。学園にいるときもいつも一緒だというのに、ここまで来ても何故兄王子はハルマースと一緒に居たいのかと疑問に思う。
 ほんの少し前まではいつも自分と一緒にいた兄は、今は違う。
 いつまでも自分の側にはいてくれないんだと思うと、胸が締め付けられるような息苦しさを覚えた。
 伸ばしかけた手を下に降ろして拳を握り締め、リーディガルは振り返ってルインフィートに背を向けて広間の中央から離脱した。
 広間は庭園と面しており、扉を開けて外に出ると辺りはすっかり暗くなっていて、夜空には月が浮かんでいた。
 明かりに彩られて幻想的な雰囲気を作り出している庭園の木陰に、リーディガルは人の気配を感じて咄嗟に別の木陰に身を隠した。
 そっと顔を上げて様子を伺うと、人影は三人分確認できた。
 銀色の髪のルイム王族が二人と、もう一人。すらりとした長身の男がなにやら彼らと小声で会話をしている。明かりに照らされて男の鋭い眼差しがぎらりと光った。
 見間違えようもなくその男はダルマースだった。
「お前達、そこで何を……!」
 リーディガルは思わず声を上げた。彼らの話す姿は、あまりにも怪しくリーディガルの目に映った。ダルマースはルイム人と通じているのではないかという疑念が沸き起こる。
 しかしリーディガルの声に連中は驚いた様子はない。リーディガルのほうへ一歩足を踏み出したダルマースを制して、銀髪の男がゆっくりと歩み寄ってきた。
 リーディガルは得体の知れない恐ろしさに逃げ出したい衝動に駆られたが、ぐっと堪えてその場に踏みとどまった。
 銀髪の男はリーディガルの目の前まで迫ると、彼の手を取って跪いた。そして男は銀色の仮面をゆっくりと外し、リーディガルをまっすぐに見上げた。
「お初にお目にかかります。私はルイムの第一王子、ガーラ・ルイムでございます」
 ガーラと名乗る男の素顔が月明かりと照明に照らされる。その端正な顔立ちにリーディガルは思わず息を飲んだ。
 美しい碧の瞳に見つめられ、リーディガルは魅入られたようにその瞳から目を離せられなくなり、動けなくなった。
 リーディガルがぼんやりとしているうちにガーラは立ち上がり、リーディガルの頬にそっと手をかけて、顔を近づけて軽く触れるだけの口付けをした。
 突然のことにリーディガルは思考が停止した。ガーラという男の首筋からなんともいえない上品な香りがして、うっとりとして思わずため息を漏らした。
「あの、ガーラ殿」
 少し慌てた様子でダルマースがガーラの肩に手をかけた。ガーラは穏やかに微笑むと、リーディガルから半歩下がって離れた。
「気に障られたかな。僕の国ではこういう挨拶が一般的なんだ」
 ガーラは顔を少し傾けて、僅かに気恥ずかしがっているような微笑みを見せた。そして彼はリーディガルに握手を求めるように手を差し伸べてきた。
 リーディガルは促されるまま彼の手を軽く握った。ガーラの手は冷たく、ひんやりとした感覚が伝わってくる。リーディガルは一呼吸し、気を確かに取り戻して口を開いた。
「僕の名前はリーディガル・サントアーク。この国の第二王子です」
 自己紹介しか口から出てこなかったが、リーディガルのその言葉にガーラは更ににこりと嬉しそうな微笑みを見せた。
「君は向こうで踊らないのかい?」
 リーディガルはガーラの問いかけに、俯いて横に首を振った。
「あなた達こそ、ここで何を?」
 リーディガルはガーラの向こうの、ダルマースとローラを見て訊ねた。するとまたリーディガルに近づこうとしたダルマースを制して、ローラがリーディガルの元に歩み寄ってきた。
 ローラもリーディガルの前で仮面を外すと、軽く頬に手を添えて彼の額に軽く口付けをした。ガーラと同じ美しい碧の瞳がリーディガルを見据えた。
「可愛らしい王子様ね。連れて帰ってしまいたいわ」
 ローラは不敵に微笑んで、リーディガルの黒い髪を優しく撫でた。リーディガルは反射的に身じろぎして後ずさった。咄嗟に、ダルマースが二人の間に割り入り、リーディガルの耳元に小さな声で告げた。
「リーディガル様、ここはお戻りになられた方が良い。彼らの相手はこの私が任されている」
 ダルマースのその言葉にリーディガルは不審な眼差しを向けた。リーディガルの目にはこのルイム人たちと同様に、ダルマースも怪しい存在として映っている。
「リーディガル君」
 不意に、ガーラがリーディガルに話しかけた。酷く穏やかな表情がリーディガルの心を捕らえた。
「この国は本当に良いところだ。夜も暖かいし、草木は生命力に満ち溢れ、柔らかく輝いている。
 人々も明るく希望に満ちた笑顔を見せて、街は賑やかに活気づいている」
 リーディガルはぼんやりと彼の言葉を聞いた。しかしガーラの穏やかな表情は、徐々に憂いを帯びていった。
「僕の国の賢者の中に、邪悪なものがいる。
 彼女はこの国の活力を妬み、破滅を待ち望んでいる。
 僕達はそれを警告しに……」
「ガーラ!」
 ローラが咄嗟にガーラの肩を掴み、先の言葉を制した。
「まだ幼い王子に言う事では無いわ」
 母親の制止を受けてガーラは苦笑した。戸惑い固まっているリーディガルに向き直り、そっと肩に手をかけた。
「大丈夫、心配することは無いよ。
 僕達はこの将軍に、出来る限りの手を貸そうと約束をした。
 彼はきっと君達を護ってくれるよ。
 だから……」
 ガーラの魔力を帯びた瞳がリーディガルの脳裏に焼きつき、目を逸らすことが出来なくなっていた。
「忘れるんだ。今の言葉も、僕に会った事も、全て……」
 風がざわざわと草木を揺らした。リーディガルは強烈な眠気に襲われて、力なくガーラにもたれかかった。
「ガーラ……さ……ま……」
 リーディガルは意識を正常に保とうと、気力を振り絞り精一杯眠気に抵抗した。何故だか忘れたくなかった。今聞いた話を、そして彼に会った事を。
 しかし抵抗も空しく、ガーラから漂う安らかな香りの中でリーディガルの意識は薄れていった。

 気がついたとき、リーディガルは自分の寝室で横たわっていた。傍らには兄のルインフィートが心配そうな表情で立っている。
 ぼんやりとした明かりの中で、リーディガルは兄の艶やかな金色の髪を眩しそうに眺めた。
「リー、大丈夫かい?」
 リーディガルが目を覚ましたのを察して、ルインフィートは優しく彼の髪を撫でた。
「君は具合を悪くして、中庭で倒れてしまったらしい」
 リーディガルはゆっくりと上体を起こして、眠そうに瞼をこすった。
「起きなくて良いよ、リー。ゆっくりと休むんだ」
 ルインフィートは優しい笑顔でリーディガルの顔を覗き込み、肩に手をかけて横になるように促した。
 しかしリーディガルは兄の手を振り払い、顔を背けて再び横になった。
「リー?」
 驚いた様子でルインフィートは手を引いた。しかし心配になって、もう一度弟の肩に触れる。
「僕のことは放っておいてくれ」
 リーディガルはルインフィートに背を向けたまま、彼の手を軽くはたいた。ルインフィートは何故だか機嫌の悪い弟に困惑し、ため息をついた。
「具合が悪かったことに気がついてあげられなくて、ごめんね。
 おやすみなさい。リーディガル」
 これ以上干渉するのは野暮だと考えたルインフィートは、そのままリーディガルの部屋を後にした。
 部屋の扉が閉まり、足音が遠くなってゆく。
 リーディガルは寝台の敷布をぎゅっと握り締め、心にぽっかりと穴が開いたような寂しさに苛まれて涙で頬を濡らした。
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