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汚らわしい民
 サントアークの建国記念祭の祝宴は夜更けまで続き、遠方から来た来賓は王城に宿泊し一晩過ごすこととなった。
 しかしローラ・ルイム王妃は他の来賓に気を使わせてしまうからという理由で王城にとどまることを拒否し、宿泊する場所に大将軍であるダルマース・ゼノウスの邸宅を所望した。
 ある意味最も不穏な場所を望んだ訳だが、エルザールはそれを了承した。ルイム人を信用しないわけではないが、万が一おかしな行動を取ることがあれば結局はダルマースの力を頼ることになるのである。
 厄介者の世話は任せたとばかりに、エルザールはルイム人二人の相手をダルマースに任せていた。

 ハルマースは一足早く自分の邸宅に戻って父の帰りを出迎えた。しかし、父がルイム王族をつれてきたことに驚愕した。
 彼は父親がルイム王族の警備という名の見張り番に就かされている事を知ってはいたが、自宅にまで連れて来るとは思ってもいなかった。
 ハルマースは父が決めたこととはいえ、突然のルイム王族の来訪に戸惑いを隠せなかった。
 銀髪の親子を邸宅の広間に通し、ひとまず席に着いてもらったところで、ハルマースは父親に部屋の外の廊下へと連れ出された。
「お前は関わらず早く寝たほうがいい」
 低く、やや緊張の伴う声でダルマースは息子に告げた。ハルマースはなにか嫌な胸騒ぎがして、言われなくても早々に立ち去りたい気分だった。
 しかしそのまま何も言わずに寝てしまうのも隣国の王族に対して礼儀を欠くだろうと思ったハルマースは、もう一度部屋の中に入ってルイム親子に軽く挨拶をした。
「初めまして、私はダルマースの息子、ハルマースです。
 どうぞごゆっくりくつろいでいってください」
 今まで見た記憶の無い銀色の髪の人物を目前にして、緊張にやや声が張り詰めて言葉が棒読みになる。そんなハルマースを見てローラがくすくすと笑った。
「初めて……かしらね?」
「ローラ様」
 ローラは続けて何か言おうとしたが、先の言葉をダルマースが遮った。
「甘いものはお好きですか?」
 ダルマースは使用人を呼び、砂糖のたっぷりとかかった焼き菓子を用意させた。それに伴って、品の良い装飾の施された器に暖かい紅茶が注がれる。
 ローラは穏やかな微笑みをダルマースに向けた。
「ルイム人は甘いものが大好きよ。よくご存知ね。
 でもこんな夜更けにお茶する習慣はないわ」
 ローラの言葉にダルマースは苦笑いした。
「婦人の扱いには慣れていないもので……失礼」
 ハルマースは二人のやり取りをしばらく呆然と見つめていたが、父親に軽く目で合図をされて我に帰った。二人に軽く礼をした後、彼は急いで部屋の外へと出て行った。
 ルイム人。魔性の者。汚らわしい、背徳と退廃の国の民。
 ハルマースは漠然とした不安に苛まれた。仕事とはいえ、父親は何故彼らと親しく出来るのかと。
 廊下の窓の外を見上げると、夜空には美しい月が浮かんでいた。
 窓を開けて手をかざすと、月の光と同じような淡い光が手の平から浮かび上がった。
 サントアーク人は生まれつき持つことがないという、魔の力。それが、ハルマースの身には宿っている。
 それが意味することの真実を彼は認めたくなかった。

「綺麗だね」
 不意に声をかけられて、ハルマースはびくりと身体を震わせた。
 いつの間にかルイムの王子ガーラが、廊下に立ってハルマースを見ていた。月の光に青白く照らされるやつれた姿のガーラを見て、ハルマースは背筋に寒いものを感じ、身体を強張らせた。
 しかし警戒するハルマースに構わず、ガーラはすぐ側まで近づいてきた。
「月光に呼応するその光は魔力の証だ。君の光は相当に強い……
 君は本当にサントアーク人なのかい?」
 碧の瞳がハルマースをじっと見つめた。その視線がどこか虚ろでハルマースは生理的に嫌悪を覚えた。
 しかしガーラは、黙って目を逸らすハルマースの腕を掴んで身体を寄せてきた。独特の香の香りがハルマースの鼻を掠める。
「ガーラ王子、何を……」
 ハルマースは慌ててガーラから離れようとしたが、ガーラはくっついて離れようとしなかった。
「今晩は君が僕と寝てくれるのかな……?」
 端正な顔に意味深な微笑を浮かべ、そう言うとガーラはハルマースの上着の胸元に手をかけ襟を広げてきた。そしてその手は背中に回され、腰へと下がって尻へと触れる。
 サントアークでは考えもつかない彼の言葉と行動にハルマースは背筋が凍る思いをした。
 ハルマースはガーラを半ば突き放すようにして遠ざけ、睨み付けた。しかしガーラは気にした様子も無くくすくすと含み笑いを漏らした。
「君が相手してくれないのなら、君と仲の良いあの金髪の子のところに挨拶に行こうかな。さっきの宴会では近づく事も出来なかったから。
 とても……僕の好みだ。喰らいつきたいよ……」
「なっ、なにを……!」
 ガーラの言葉にハルマースは心の奥底から嫌悪感が沸いて来た。その手には自然と拳が握られている。
 怒りに震えるハルマースに構わずに、ガーラは更に言葉を続けた。
「男同士のまぐわい方を知っているかい?」
 ガーラは再びハルマースに組み付き、尻に手を伸ばした。
「ここを……使うんだよ……」
 ガーラはにやりといやらしい微笑を浮かべて、ハルマースの尻の割れ目を服の上から指でなぞった。
 例えようの無い怖気がハルマースの背筋を駆け上り、本能的にガーラを突き飛ばして離した。
 しかしガーラはにやにやと薄ら笑いを浮かべたまま、尚もハルマースに話しかける。
「あの子を貫いたら……どんな良い声で鳴いてくれるだろう。
 想像しただけでもゾクゾクするよ」
 ハルマースは己の耳を疑った。この男はなんという事を口にしているのかと。
「ルインフィート様には絶対近づくな!」
 ハルマースはガーラに掴みかかり大声で怒鳴りつけた。しかし、必死の形相のハルマースを見てガーラは声をあげて笑い出した。
 騒ぎの声が聞こえたのか、部屋の中からローラが現れ、彼らのほうへやってきた。
「何してるのガーラ」
 母親が現れるとガーラは急に真面目な表情に戻り、ハルマースから手を離した。
「何でもないです母上。
 未来のサントアーク騎士様にご挨拶してただけですよ」
 そう言うとガーラは先ほどのいやらしい笑みとは違う、優雅な微笑を浮かべた。
「失礼したね。ルイムではいい男を見たら口説くのが礼儀なんだよ。
 じゃあ、僕はこれで」
 ハルマースに恭しく頭を垂れるとガーラは部屋の中へと去って行った。
 ハルマースは激しい嫌悪感に動悸が止まらなくなっていた。
「ガーラ・ルイム……」
 その名前が忌み嫌うものとして彼の記憶に刻まれた。ルイム人はやはり、まともな民族ではないとも。
 呆然と立ち尽くすハルマースの前にローラが進み出でてきた。
「ここに連れて来てよかったわ。あの子が声を出して笑うなんて久しぶりの事よ。
 あなたも凄く真面目そうだから気が合うのかしらね」
 微笑を浮かべながら言うローラの言葉にハルマースは更に呆然となった。先ほどの笑い声を楽しい談笑と勘違いしたのだろう。
 先ほどの豹変の仕方から見て、きっとガーラという男は親の前では先ほど垣間見せたようないかがわしい発言などしないのだろう。
 ハルマースは逃げるように自室に戻り、寝台へと駆け込んだ。動悸が止まらずにうつ伏せになって枕に顔を埋め、無理矢理に呼吸を整えた。
 先ほどのガーラの言葉が脳裏に焼きついて離れなかった。尻を触られた感覚が未だに残って身震いする。
――汚らわしい。実に汚らわしい。
 ハルマースは二度と彼に遭いたくは無いと願ってやまなかった。

 翌日無事にルイム王族は自国へと戻っていった。
 ハルマースもルインフィートも学園の寮生活に戻り、再び穏やかな学生生活を送っていった。
 以前にも増してハルマースはルインフィートを過剰に保護するようになり、可能な限りの時間を彼と共に過ごした。
 休暇などで城に戻るときも側につくようになり、ルインフィートもますますハルマースに頼るようになっていた。
 そのせいでハルマースはリーディガルの嫉妬を買い、二人の関係は悪化し始めた。

 数ヵ月後、ルイムで内乱が起きた。
 ザハンという賢者が王城を襲い、国王を殺害したという。
 他の王族も皆殺しにされたという噂が流れ、ハルマースはガーラも死んだものだと思い込んでいた。
 嫌な接触だったとはいえ、知っている人間、しかも自分とそう歳の変わらない者が殺されたと言うのは良い気分がしない。
 ハルマースは神妙な気持ちになりつつも密かにガーラの冥福を祈った。

 隣国の騒動にサントアークも緊迫した雰囲気に包まれた。ダルマースは連日軍事会議と訓練に赴き、ルイムの国境の警備と警戒に追われることとなった。
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