罠
ルイム崩落の煽りを受けて、サントアークの軍人達も慌しく動き始めた。謀反を起こした賢者ザハンの意図が全くつかめずに、何が起こるかわからないという状態に緊張する。
ルイムの内情に詳しいダルマースでさえザハンの謀反は全く予想外のことで、どう対応したらよいものか考えあぐねていた。
民は無気味なルイムの山岳の影に怯え、生活にも不安を見せるようになっている。そんな不安を煽るかのように、ルイム国内の混乱を思わせる不吉な知らせが偵察により報告された。
ルイムの真なる支配者とも言える賢者達が、次々に殺害されているというのだ。
しかも賢者を倒しているのは、うさぎの着ぐるみを身に纏った奇怪な存在だという。
額に掲げられている「Z」の文字から、それは「うさぎのZ」と呼ばれて恐れられるようになった。
ダルマースはこの事態に頭を悩ませた。邪悪な賢者達が倒されるというのは、喜ばしいことなのかもしれないが、同時にそれは彼の真なる上司にも危険が迫っているという事を意味していた。
今のところレイアがうさぎのZに倒されたという報告は受けていない。レイアからの指示も途絶えて、本当に全く存在がつかめなくなっていた。
追い詰められたものは何をしでかすか分からない。
ダルマースはレイアがいよいよ本気でこのサントアークに破壊をもたらせてくるような予感がして、嫌な胸騒ぎに苛まれていた。
協力を約束され密かに連絡を取り合っていたローラ・ルイムとも連絡が取れなくなり、情報がつかめず先のことが全く見えなくなっている。
なんとなく予想がついているのは、うさぎのZ――その正体は、他ならぬ賢者のザハンではないかという事だ。
ザハンという賢者はルイムの賢者の中でも最も異質でつかみ所がなく、何を考えているのかまったく分からない恐ろしい存在である。
彼は魔術と科学を自在に融合させ、人知を超えたものを創り出すという。噂では、人間すらも作り出すのではないかと言われている。
この先ザハンが気まぐれを起こしてルイムの独裁者にでもなろうものなら、それは極めて危険なことである。
まるで善悪の判断がつかない子供に隕石落しの魔術を与えるような、そんな恐ろしさが世界を包むことになる。
ダルマースは強大な魔力の前に無駄だと知りつつも、出来る限りの警戒と警備をルイム国境付近に割り当てた。
そんな緊迫した状況の中、隙間を突いて来るかのように国内の政も揺らぎ始めていた。
サントアークはここ数年稀に見るような異常気象に襲われ、日照りが続いたかと思えば大雨が続いたり、作物が十分に育たずに財政が例年より悪化していた。
そんな情勢の中軍事施策ばかりが強化され、文官と地方の領主たちは不安と不満を募らせて軍部と衝突を始めたのだ。
エルザールは頭を悩ませていた。彼が即位してから、かつてない難しい政局を迎えていた。
そんな国家の中枢から離れて、ルインフィートは相変わらず気ままな学生生活を送っていた。
国の情勢の悪化は知らされていたが、まわりが何とかするものだろうと気楽に思っていた。
しかし、いつものように授業の後の部活を終えて、ハルマースと共に寮に戻ったときである。
ルインフィートのもとに特使が遣わされてきた。特使は青ざめた表情でルインフィートに用件を告げる。
「エルザール様がお倒れになられました。急いで城にお戻りください」
ルインフィートはその言葉をやや冷めた気持ちで受けとめた。彼は父親のことがあまり好きではない。
しかし病気のときくらいは顔を見せてやろうと思い、ルインフィートはハルマースを連れて特使の馬車に乗り込もうとした。
「申し訳ありません、ハルマース様。
リーディガル様のお申し付けにより、あなたを連れて行くことが出来ません」
特使の言葉にハルマースもルインフィートも一瞬顔を見合わせた。この頃とみにリーディガルはハルマースに対して辛く当たっている。
難しい年頃独特の態度と行動なのだろう、そう理解してルインフィートもハルマースも苦笑いした。
「わかったよ」
そういうとルインフィートはハルマースと軽く抱擁し、一人で馬車に乗り込んだ。
「お気をつけて」
ハルマースは馬車の中のルインフィートをまっすぐに見つめ、手を振った。
「直ぐ戻るよ」
ルインフィートはハルマースに微笑みかけ、馬車の扉を閉めた。従者は扉を確認し、馬に跨ると、すぐさまに鞭を振って走らせた。
遠ざかる馬車をハルマースは暫くの間見つめていた。
馬車に乗って半刻ほど過ぎた辺りで、ルインフィートは異変に気がつき始めた。馬車の外は今まで自分が見た事も無い景色を映している。
ルインフィートは不安になって馬車の前方の小さな窓を叩き、従者に大声で話しかけた。
「おおい! どこに向かってるんだ!?」
従者はルインフィートの声を無視して、黙々と鞭を叩いて馬車を進めた。ルインフィートはむっとして語気を強めた。
「停めてくれないか! 気分が悪い!」
しかしそれでも従者は馬車を停めずに、ひたすらに走らせた。
ルインフィートは戦慄を覚えた。自分の知らない場所に、知らないうちに連れ込まれようとしている。
それが意味することは――自分は拉致されようとしているという事だ。
ルインフィートは自力で逃げ出そうと、馬車の扉を開けようとした。しかし扉は外側から鍵がかけらており、開けることが出来なくなっていた。
窓を割って逃げられるかどうか考えてみたが、窓は小さくて割ったところで身体が通りそうにもなかった。
ルインフィートは覚悟を決めて、大人しく座って目的地にたどり着くのを待つことにした。外から馬車の戸が開けられたときに、敵を倒して逃げ出そうと考えた。
こうもあっさりと誘拐されるなんて、とルインフィートは頭を悩ませた。何の疑いもなく一人馬車に乗り込んでしまった。
だいたい、鋼の肉体と毛の生えた心臓を持っている父親が倒れることなどありえないのだ。
学園の門番は不審なものは通さないはずである。通したという事は国にとって不審ではないものが自分を拉致しようとしているということである。
考えると、ルインフィートは気分が暗く重くなった。
暫くの間大人しく待っていると、どこかの森のなかの墓場と思わしき場所で馬車が停められた。辺りはすっかり日が暮れて無気味な様相を現している。
扉が開かれる時期を見計らってルインフィートは飛び出そうとした。鍵が開けられる音を聞き取り、力いっぱい扉を蹴り開けた。
従者、だと思っていた人物はルインフィートの行動を予測していたかのように、縄を持って待ち構えていた。
ルインフィートは抵抗も空しく手際よく縛り上げられて、薬物を嗅がされて強制的な眠りに落とされた。
目が覚めたとき、ルインフィートは弱い明かりの灯された窓の無い薄暗い部屋の、冷たい石の床に横たわっていた。体中をきつく縛られて、手足の無い芋虫のようにされている。
側に人が立っている。目を凝らしてその人物の顔を見上げて、ルインフィートは愕然となった。
「リー……」
黒髪の少年の顔は紛れもなく弟だった。ルインフィートは言葉を失って横たわったまま呆然となった。
リーディガルのほうもまた、呆然とルインフィートの姿を見ていた。
「に、にいさま……酷い、どうしてこんなお姿で」
震える声で言うと、しゃがみこんでルインフィートに覆いかぶさった。
ルインフィートはうろたえる弟の姿を見て、不思議と心が安らいでいくのを感じた。弟が自分を嵌めたのではないという事を確信したからだ。
「リー、僕は大丈夫だ。どうしたんだ、ここはどこなんだ」
縛られて動けないまま、ルインフィートは気丈にも弟に笑顔を見せ、顔を寄せて励ました。
リーディガルは少し落ち着きを取り戻し、兄の身体を起こして壁にもたれさせた。
「わからない。僕もここへ連れてこられたんだ。
急いで逃げましょう、にいさま」
リーディガルはルインフィートを戒めている縄の結び目を必死に解こうとした。しかし、相当にきつく縛られており彼の力では解くことが出来なかった。
手間取っているうちに部屋の扉が開かれ、外から人が一人部屋に入ってきた。それは黒髪の、ルインフィートも知っている人物だった。
「レドリクス先生……!?」
ルインフィートは思わず声を上げた。レドリクスはドラグーン王立学園でも教壇に立つことのある教師だ。
レドリクスはルインフィートの声を無視し、手に持っている松明の火を部屋の壁に移していった。
部屋の中が明るく灯され、中の様子が明るみになる。ルインフィートはそこで異質なものを目にして目を覆いたくなった。
枷のついた鎖が壁のあちこちにかけられ、机の上には荒縄や蝋燭などが置かれている。
ルインフィートやリーディガルには用途のわからない怪しい器具があちこちに散乱しており二人は身の危険を感じて身体を強張らせた。
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