墓地
ルインフィートとリーディガルが連れ込まれた部屋は地下室だった。部屋を出て階段を上ると、古い書物が陳列されている本棚に囲まれた部屋に出た。
机の上にも書物が積み上げられ、まだ日付の新しい消印の押された封筒がいくつか置かれていた。
「ここはレドリクスの書斎なのかな」
ルインフィートは呟いて、机の上の差出人表記の無い封筒から中の羊皮紙を取り出した。紙を広げてみて、ルインフィートは我が目を疑った。そこには何もかかれておらず、白紙だったのだ。他の手紙も調べてみたが、机の上の手紙は全て何も書かれていなかった。
「なんだか気味が悪いな」
リーディガルのほうを見ると、彼は机の上に置かれていた本を調べていた。分厚い本の表紙をめくると、積もっていた埃が空気中に散乱した。
「にいさま、これは……」
興味深そうにリーディガルは中の文章を目で追った。古代語で書かれており、勉強不足のルインフィートが見てもさっぱり内容がわからなかった。
「何が書かれているんだ?」
ルインフィートの問いかけに、リーディガルは一瞬押し黙った後、やや青ざめた表情でリーディガルは兄の顔を見た。
「これは禁書です。古代の魔王を崇め敬う為の教典です。
レドリクスは邪教に手を出していたんだ」
「古代の魔王……」
ルインフィートはごくりと息を飲んだ。
「って、誰?」
ぽやんとした表情のルインフィートにリーディガルはたじろいだ。そして、呆れたようにため息を吐いた。
「にいさまは自分の国の歴史を知らないのですか!?」
思わず怒鳴ったリーディガルにルインフィートは照れくさそうに笑った。歴史の授業などいつも上の空で、内容など覚えていなかった。
リーディガルはため息をついて、語りだした。
「はるか昔、この地を治めていた邪悪な王のことですよ。
恐ろしい魔獣を従えて、人々を恐怖で支配していました。
僕達の祖先がその魔王を倒して、サントアークを建国したのですよ」
「あー、そういえばそうだったな」
上の空の返事をするルインフィートに対してため息をついて、リーディガルは書物を読み進めていった。
「はやくここを出たほうがいいんじゃないかな」
ルインフィートは急かすように弟の腕を掴んだ。しかし、リーディガルは動かずに夢中になって字を目で追っている。
「気になるならその本を持っていこう」
「は、はい」
リーディガルは本に手近にあった紙をしおりの代わりに挟んで手に取った。
書庫を出て、真っ先に外へ出たがるルインフィートをよそに、リーディガルはあちこちの部屋の扉を開けて中を調べていった。
棚を調べ、机の下を覗き込み、衣装箪笥を開けて中の服を手に取り、眺めたりしている。
「リー、なにしてるんだよ! もたもたしてると誰か来るぞ!」
ルインフィートは弟の手を強引に引っ張って歩き出した。
「ごめんなさいにいさま、珍しいものがあると調べずにはいられなくて」
知的好奇心が旺盛なリーディガルの言葉にルインフィートは軽くため息をついた。
屋敷の外へ出ると、辺りは夜の暗闇に包まれていた。時間の経過が分からなくなっていたが、おそらく深夜なのだろう。
屋敷の周りを囲んでいる樹木のさざめきが無気味に二人の耳に響いた。
二人はまず馬小屋に向かった。レドリクスが自分の移動用に飼っている馬がいるはずだと期待した。
しかし二人の予想は外れ、馬小屋には一頭も姿が見えなかった。仕方が無いので二人は夜の森を道なりに歩いていった。直ぐ近くに、ルインフィートが馬車から降ろされたと見られる墓地が広がっていた。
その墓地は荒れ果てていた。ところどころの墓石は倒れ、草木が鬱蒼と茂っている。今にも幽霊が出てきそうな雰囲気に、リーディガルは怯えて兄の腕にしがみついた。
「にいさま、あそこ……」
怯えるか細い声で、リーディガルは兄の肩越しに右側の暗闇を指差した。ルインフィートは明かりをそちらに差し向け、目を凝らした。
そこはごつごつとした小高い丘のように地面が盛り上がっていた。ところどころ、折れた剣や弓矢のようなものが突き刺さっている。
リーディガルをこの場にとどまらせ、ルインフィートは丘のようなところにゆっくりと歩み寄った。
「うわあ……」
間近でその場を見てルインフィートは言葉を失った。
土だけが盛り上がっていたのではない。朽ち果てて白骨化した死骸が土の中に埋まっており、所々土がはげて野ざらしになっている。
ルインフィートは更に近づいて、朽ち果てた戦士の姿をじっと見つめた。
既に何年も経過している様子のその死骸たちは、火で焼かれた跡があり焦げ付いていてよく見えなかったが、サントアークの国のものではない紋章の刻まれた鎧や盾を身に着けていた。
先の大戦で対立国の戦士達がここで戦いに敗れ、積み上げられたのか。それとも捕虜として連れてこられ、虐殺されてここに積み上げられたのか。
生まれて初めて目にする生々しい戦災の痕跡に、ルインフィートは打ちひしがれた。
「うわあああ!」
動かない兄を心配してか、いつの間にか近寄ってきていたリーディガルが死骸の山に気づいて悲鳴をあげた。恐怖に力が抜けて手に持っていた本を落とし、慌てて拾いなおす。
「ににににににいさま、行きましょう! こんなところ早く!」
どもりながらリーディガルは兄の腕を引っ張った。しかし、ルインフィートは動こうとしなかった。
彼は何か思いつめたような表情でじっと死骸の山を見つめていた。
「これが……歴史の影というやつなのかな。
僕達がまだ産まれたばかりの頃、変な病気が流行ったのは報いなのかもしれないね」
ルインフィートは少し俯き、軽くため息をついたがすぐに顔を上げてリーディガルに笑顔を見せた。
「行こう。墓地があるという事は近くに町もあるはずだ」
弟の手を握り、ルインフィートは朽ち果てた墓地を後にした。
再び暗い森の中の道を歩いていくと、町の所在を示す標識を見つけ、二人は足を速めてそちらの方へ向かっていった。
やがて森が開け、塀に囲まれた小さな町が見え始めた。塀は所々崩れていて、修復の足場があちこちにかけられている。
二人は周りをぐるりと歩き、正門と思わしき大きな門を発見した。しかしこんな夜更けには人影もなく、門は固く閉ざされていた。
ルインフィートは恐る恐る門に近づき、その脇に備え付けてあった小屋の小さな窓を覗き込んだ。中は門の見張り番の小部屋になっていて、簡易寝台で門番が大きないびきをかいて眠りこけていた。
ルインフィートは壁をたたき、大声で訴えた。
「門番さん! 起きてくれないか! 中に入れてくれ!」
しかし門番は一向に起きる気配がなく、あいかわらずいびきをかいている。ルインフィートは頭にきて、小石を拾って窓から門番へ投げつけた。
「起きろよ!」
小石は門番の頭に的中し、彼は慌てて飛び起きた。眠そうな顔でルインフィートを見ると、彼はたちまちに訝しげな顔に変わった。
「子供がこんな時間に何してる。しかもお前この町のもんじゃないな」
門番は不審な眼差しを向けたが、ルインフィートは堂々と視線を受け止めて門番の目をじっと見つめ、理由を話した。
「僕達はこの先の墓地の近くの屋敷に連れ込まれて、暴行を受けた。
助けてくれないか。村の中に入れて欲しい」
ルインフィートの言葉を聞いて門番は顔色を変えた。
「領主様のお屋敷から来たのか?」
「領主様? レドリクスはここの領主なのか?」
ルインフィートの何気ない問いかけに、門番は憤りを見せた。
「レドリクス様はご立派な領主様だ。幼い頃に戦でご両親を亡くし、勉学に励んで立派な教授にもなられたお方だ。
そのお方がお前達のような子供に暴行だと? 信じられん」
「なんだって?」
門番の言葉にルインフィートは苛立ちをあらわにした。
「そのご立派な領主様はお前達の知らないところで邪教にはまり、僕達を誘拐した上に暴力をふるったんだぞ」
ルインフィートはリーディガルを呼び寄せて、門番に今だ鞭の痕の残る肌を見せさせた。
「これがその証拠だ。僕の弟は奴のせいで心に一生拭えない傷を負った」
ルインフィートの言葉に応える様に、リーディガルは兄の腕にしがみついて震え始めた。門番は押し黙り、暫く考えた後にルインフィートに言葉を返した。
「わかった。少し待ってろ」
門番は小屋から出て行った。門を開けてくれるのだろうと思っていたルインフィートとリーディガルはほっと胸をなでおろし、ため息をついた。
しかし程なくして開けられた門の向こうには、武装した兵士が待ち構えていた。
「怪しいガキだ。捕まえて牢屋にぶち込んどけ」
その言葉に二人は呆然となった。その間に兵士は二人を乱暴に羽交い絞めにし、持ち物を取り上げて手錠をかけた。
「ちょっ、待てよ! 僕達を誰だと思ってる!
僕達はこの国の王子だぞ!」
ルインフィートは必死で訴えたが、誰も耳を貸すものはいなかった。
「王子がこのような時間にこんな所をうろついてるわけがない。
ますますあやしいガキめ」
冷たく言い放たれ、二人は兵士によって乱暴に地下牢に放り込まれるようにして入れられた。
「しばらくここで頭を冷やしてろ」
兵士は鉄格子に鍵をかけ、立ち去った。冷たく乾いた足音が廊下に響き渡り、やがて地下牢は静寂に包まれた。
狭い監房内は薄く明かりがともされており、小さな机と簡易寝台と仕切りで遮られただけの簡素な手洗い所が用意されていた。
ルインフィートとリーディガルは小さく狭苦しい寝台に身を寄せて横たわった。今まで遭遇したことのない固い下地に、二人は不快感に顔を歪めた。
「にいさま……」
憔悴しきった顔で、リーディガルはルインフィートの手を握り締めた。手錠の鎖が金属音を立てる。そして彼は気力の無い声で、ぼそぼそとルインフィートに囁きかけた。
「僕はおそらく城のものに、レドリクスと共に馬車に乗るのを目撃されています。
今頃王城は僕が帰らないので大騒ぎになっていることでしょう。
僕を探しに……捜索隊がここに来てくれるかも……」
「そうだな、皆心配してるだろうな。
明日になればきっと状況が変わってくるさ」
不安で押し潰れそうになっている弟の気持ちを察して、ルインフィートは笑顔を見せた。リーディガルは少し気持ちが軽くなったのか、安らかな表情で眠りに落ちていった。
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