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小さな楽園
 度々争いを繰り返していた大陸南西部の小さな諸国を制圧し、サントアークは揺るぎない強大な国家となった。大陸南西部の統一から時は十年を経て、サントアークは平和な時代を迎えていた。太陽神を崇拝しその教えを国教とするこの国は、法と秩序に支配され、厳格で清潔な文化を築き上げていた。
 国家の中枢である首都、ソルティアは堅牢な防壁に囲まれた巨大な城塞都市である。同じ名を掲げる王城ソルティアもまた堅牢かつ荘厳で美しく気高い外観で、このおおいなる都市を見下ろしていた。王城はいくつかの棟から成り立っており、国家の重鎮たちはそこにそれぞれ官邸を割り当てられていた。
 国の守り人である将軍……ゼノウス家の邸宅は王族の居住棟のごく近くに与えられていた。ダルマースは回りに人を置くことを極力嫌ったので、使用人も必要な時にごく数人呼ぶだけで、邸宅は常に人気がなく寂れた空気が漂っていた。
 ダルマースはここに、息子のハルマースを置くことにした。ローラの訪問があってから、ハルマースは発作を起こすことが少なくなり、体調もだいぶ安定してきていた。父に連れられ、十二歳になったばかりの痩せた少年はおそるおそる「自宅」の門をくぐり抜けた。ハルマースはきょろきょろとあたりを見回してしまう。
 父子二人で住むにはあまりにも広すぎる館だった。近衛の者が親子に恭しく頭を垂れる。
「広いところですね。迷いそうです」
 呟くような声で、ハルマースは父の背中に言った。ダルマースは僅かに口元を緩め、黙って静かに頷いた。
 人を払い、二人でごく質素な昼食をとり一息ついている時に、訪問者が訪れた。とは言え勝手に邸宅に入り込んでくるのだから、訪問と言うよりは侵入と言った方が正しいのかも知れない。廊下にその侵入者の声が響きわたる。
「ダル!! どこにいるの!? 稽古の時間だよ!!」
 響いたのはまだ幼い少年の声だった。やれやれ……と言った様子でダルマースは軽くため息を付くと、静かに席を立った。
「今日は休みをとったはずなんだがな」
 気恥ずかしそうに笑う父の顔を見てハルマースは少々の驚きを感じた。いままであまり見た事のない表情だった。
 扉を開けると声の持ち主はなだれ込むようにして部屋に入り込んできた。濃いめの金髪の、着飾られた少年だった。少し髪が長く、一見少女のようにも見えてしまう。
 少年と目が合ってしまったハルマースは、きょとんと固まってしまった。少年の方もまた、少しびっくりしたようで、何か言いかけるような表情のままダルマースを伺った。
「ハルマース、ここへ」
 ダルマースは息子を側に呼んだ。呼ばれて、ハルマースはあわてて立ち上がり彼らの側に駆け寄った。そっと、父の手が肩に振れる。
「初めてお目にかかります、王子。これは私の息子です。
 これ、ちゃんと挨拶しなさい」
 言われるまま、ハルマースは戸惑いがちに口を開いた。
「は、はじめまして……」
 生まれてこのかた、隠されるようにして療養生活を送っていた彼は、同世代の者と口を聞くのは初めてだった。緊張に口ごもる彼とは対象的に、王子と呼ばれた少年はにこりと微笑みを浮かべて挨拶を返した。
「こんにちは!」
 突然の王子の訪問に言葉につまっている息子を察して、ダルマースがかわりに息子の詳細を話した。
「身体が弱くてな……いままで別邸の方で療養させていたのです。
 どうか王子、こいつと仲良くしてやってくれませんか」
 ハルマースは動揺を隠せなかった。視線が宙を泳ぐ。戸惑っている彼に、王子と呼ばれた少年は優しく微笑みかけた。
「仲良くしようね!
 僕はルインフィートっていうんだ」
 王子はそっと右手を差し出し、ハルマースに握手を求めた。促されるまま、ハルマースは彼の手をおそるおそるそっと握り返した。
「は……はい……」
 国のお偉いさんを目前にして、気のきいた言葉の一つも思い浮かばない自分にハルマースは不甲斐なさを感じてしまった。しかし今後この国の指揮を取るであろう少年は、そんな無礼ものととられかねないハルマースにもいっそうにこりと笑いかけた。その微笑みにハルマースも幾らか緊張が和らぎ、ほっとしたような微笑みが自然にこぼれた。
 紹介が済んだところで、ハルマースが今日ここに来たばかりだということを知ると、王子は王城の案内を自ら買って出た。恐れ多いと後込みするハルマースの手を引き、王子は彼を外に連れ出した。恐らく誰にも無断でここに来たであろう王子を察して、ダルマースも一緒について行かざるをえなかった。

 雲一つ無い晴天の下、ハルマースは王城のほぼ中心に位置している中庭に案内された。色とりどりの花が育てられ、小鳥たちが羽を休めさえずる音が心地よい。噴水の飛沫が光をうけて、きらきらと輝き虹をかけていた。いままで見たこともない美しい光景に、ハルマースは呆然と惚けてしまった。
「まるで天国のようなところですね……」
 自然と感嘆のため息がこぼれた。
「そう? そんなにいいところでもないけどな」
 その王子の言葉をきいて、ハルマースはどきりとした。王族ともなると、この程度の庭では満足しないのだろうか。
「私はいつも……部屋の中に閉じ篭っていました。
 窓から見える森の景色と、床に伏せている時に見る天井。
 そこから比べると、ここは本当に楽園のようです」
 ハルマースは素直な気持ちを口にした。ルインフィート王子は、少し驚いたようにハルマースの顔を見つめた。
「そうだったんだ……もう体は大丈夫なの」
 心配そうに見つめてくる王子の瞳にハルマースはしまったと思った。いやらしくも同情を誘うような言葉を言ってしまった。
「お気遣いありがとうございます。もうすっかり大丈夫です」
 ハルマースはルインフィートにかるく頭を下げた。ルインフィートは再びにこりと微笑んだ。
「それはよかった。
 ここに来たことが君にとってより良いことになるといいね。
 僕も君が早くここに慣れるように協力するよ」
 あくまでも優しい少年の態度にハルマースはすっかり気持ちを楽にさせていた。これほどまでに大国の王子とあろう者が、気さくで、権力を鼻にかけない。しっかりしたお方なのだろうなと関心していると、不意に背後から声が響いた。
「にいさま!! またあなたは!!」

 あわてて振り替えると、黒髪の小さな少年が腕組みをしながら立っていた。
「もう昼休みは終わりですよ。
 いつまで先生を待たせるのですか」
 ぷっくりむくれた様子で、少年はルインフィートを睨んでいた。
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