NEXT
狭間
 ルインフィートは青く暗い炎の揺らめく祭壇のような所の前に横たわっていた。辺りは薄暗く、ひんやりとした空気が肌に触れる。不気味な呪術的な詠唱が聞こえ、ルインフィートは首を動かして辺りの様子を確認した。
 彼の周りには黒装束を身に纏い、先の尖った帽子を被った人間が数名取り囲んでいた。
 ルインフィートははっとなって立ち上がった。そして足元に魔法陣が張られていることに気がつく。
「な、何者だ、お前達は」
 魔法陣は彼の移動を制限し、その中から外へと出ることが出来なかった。ルインフィートは自分を取り囲む怪しい軍団に向かって幾度も問いかけた。しかし彼らはまるでルインフィートの声が聞こえていないかのように、全く反応を示さずに呪術の詠唱を続けていた。
 不意に、祭壇の青い炎が勢いを増した。熱を伴わないその不気味な炎は、まるで自ら意識を持ったかのようにうねり、移動をはじめた。
 青い炎は祭壇の更に奥の暗闇の中へと進み、そこで急に明るく大きく燃え盛った。
 ルインフィートの周りを取り囲んでいた怪しい者達は引き下がり、ルインフィートをその場に残して祭壇から離れていった。
 足元の魔法陣も消え去り、わけもわからぬままルインフィートは得体の知れない危険を感じて、炎のゆらめく祭壇に背中を向けて遠ざかろうとした。
 その瞬間、彼の背後でおぞましい獣の咆哮が響き渡った。炎の中から巨大な漆黒の獣が現れたのだ。
 ルインフィートは振り返る暇もなく、獣の爪になぎ払われた。皮膚が裂かれ、床に叩きつけられてルインフィートは一瞬意識が飛んでしまった。
 しかし容赦なく漆黒の獣はルインフィートを弄ぶかのように、じわじわと嬲るようにその爪を立てた。
「うああッ……!」
 ルインフィートは苦痛に絶叫し、獣から逃れようと本能的に辺りにのた打ち回った。裂かれた皮膚から血が滲み、滴り落ちて地面に赤い染みを作り出した。
 一瞬の内にルインフィートは弱り、出血のせいで意識が朦朧となり動くことができなくなった。
 獣は弱りきったルインフィートを口に咥えて、祭壇の奥の台の上へと横たわらせた。
 漆黒の獣は咆哮と共にその姿を変え、長い黒髪の男の姿となった。
 黒髪の男はルインフィートの血を手で拭い、祭壇の奥へとその手を差し出した。
「我が愛しき王よ、金色の王子の生き血を捧げよう。
 太陽は覆い隠され、三百年の眠りから覚めるときが来たのだ」
 黒髪の男は大きく息を吸い込み、何かを唱えようとした。
 その瞬間、男をめがけて星型の金属片が飛んできた。その金属片――手裏剣は男の肩に刺さり、男は咆哮しながら再び獣へと姿を変えた。
「ダルマース! 貴様……!」
 黒装束の尖がり帽子の集団の中に、ダルマースが紛れていた。
 ダルマースは瞬く間に周りの者の首を刎ねて倒すと、そのままの勢いで獣に向かった。
 漆黒の獣はおぞましい咆哮を響かせ、ダルマースに襲い掛かった。
 ほんの僅かダルマースは動作が遅れ、獣の一撃を避けきれずに顔を爪が掠った。
 しかし彼は怯まずに身を挺して獣の懐にもぐりこみ、その首筋の動脈めがけて刀を斬りつけた。
 獣は一瞬怯んだが、出血することはなくそのままダルマースに吠え掛かった。
 しかしダルマースは素早い身のこなしで獣の攻撃をかわし、獣の背中へと飛び移り、その頚椎の椎間を狙いすまして刀を刺した。
 神経を断ち切られた獣は力なく崩れ落ち、床に倒れた。獣の姿はやがて再び青い炎に包まれ、その炎に溶けて消えた。
 炎は徐々に色を変え、赤い通常の炎の色となっていた。
「王子!」
 ダルマースは祭壇に駆けつけ、ルインフィートの身体を抱き上げた。おびただしい出血が危険な状態を知らせていた。
 ルインフィートは朦朧とする意識の中でぼんやりとダルマースの姿を見た。
「ダ……ル……」
 ルインフィートは僅かに微笑んだ。しかしすぐさま全身を襲う苦痛に顔を歪めた。
「ルインフィート様……!」
 ダルマースは懐から小さなビンを取り出し、中の液体をルインフィートにふりかけた。
「あっ……ツッ――!!」
 ルインフィートの身体がびくりと跳ね上がった。ダルマースはもう一つビンを取り出し、もう一度ルインフィートにふりかけた。
「ひッ……!」
「良く効く傷薬ですが、少し沁みます」
 痛みに身を捩るルインフィートの身体を、ダルマースは優しく抱き締めた。薬が効いて傷口からの出血が止まったのを確認すると、彼はルインフィートの身体に自らの上着を羽織らせて抱きかかえた。
 ルインフィートは力なくダルマースに身体を預け、意識を手放した。

 ダルマースは急いでルインフィートを王城の医療病棟へと運び込んだ。医師と神官が集められ、懸命にルインフィートの治療を行った。
 ダルマースの止血のおかげでルインフィートは一命を取り留めたが、回復には時間を要した。獣の爪から毒と呪いを受けたらしく、神官の祈りによる治癒の術がことごとく跳ね返された。
 ルインフィートは暫くの間意識が戻らず、生死の間をさまよった。意識が戻った後も暫く全身の焼け付くような痛みと高熱に苛まれ、無意識のうちに暴れ出す為身体を寝台に拘束された。
 苦痛の中で何度も意識が混濁し、苦しみのあまりに速やかな死を願うこともあった。
「殺して、僕を殺してくれ」
 声を嗄らしながらルインフィートは医師と神官に訴えた。神官は沈痛な面持ちで、ルインフィートの拘束具の着けられた手を握り締めた。
「どうか耐えて下さい、王子。あなたはこの国の未来です。
 ここで挫けてはなりません。身を呈してあなたを助け出した将軍のためにも」
 ルインフィートの瞳から涙がこぼれた。
「ダル……ダルは無事なの? リーディガルは?」
「安心してください王子。みんな無事ですよ」
 優しく微笑みながら神官はルインフィートに言った。ルインフィートも僅かに表情が和らぎ、笑顔を取り戻した。
 しかし直ぐにルインフィートの表情は曇り、神官に不安な眼差しを向けた。
「父さま……父さまはどこにいるの?
 こんな時ですら、僕に会いに来てくれないの?」
 神官は一瞬の沈黙の後、笑顔を作ってルインフィートに告げた。
「国王は王子の仇を討つ為に、軍を率いて西へと向かわれました」
「なん……だって……」
 ルインフィートは気が遠くなりかけた。仇を討つといっても、直接ルインフィートを誘拐した人物は既に自分で倒している。そして自分を襲った漆黒の獣は、ダルマースの手によって倒されたものだと思った。
「じきお戻りになられるはず」
 神官がそういうや否や、病室の扉が空けられ、物々しく鎧が擦れる音が響いた。乾いた足音が近づき、ルインフィートは中に入ってきた人物の姿を確認する。
「ルイン……災難だったな」
「父さま」
 ルインフィートは父親の姿を見上げた。鎧には返り血が付着し、血の臭いが鼻についた。
 父王エルザールは息子を励ますかのように力強く微笑みかけた。
「お前の痛みは我がサントアークの痛み。この事件の関係者を決して許しはしない」
 エルザールはおもむろに携えていた麻の袋をルインフィートの寝台の脇に乱暴に投げるようにして置いた。鈍い音が響き、袋の口から何かがこぼれだす。
「ひいっ!」
 側にいた医師と神官が短く悲鳴を上げた。恐る恐るルインフィートも袋から出てきたものを確認する。
 袋から転がり出てきたものは人間の頭部だった。
 その顔には見覚えがある。レドリクスの治めていた町で、自分たちのことをむげに扱った警備団の連中の首だった。
「そ……んな……」
 ルインフィートはぎりりと歯噛みした。たしかに彼らには酷い扱いをされたが、自分達が通りすがった為に巻き込まれてしまっただけだったのではなかろうか。
 ルインフィートは顔をそむけ、眉間に皺を寄せて涙を堪えるように固く瞼を閉じた。
「傷が痛むのか。ゆっくり療養するといい。
 この首は見せしめとして西の町に晒す事としよう。
 愚か者どもは我々の情けを忘れ、死体の山を更に積み上げる事となった」
 エルザールはまだ籠手も外さぬその手でルインフィートの頭を撫でた。
「父さま……やめて……」
 消え入りそうな声で、顔を逸らし目を閉じたままルインフィートは父親に訴えた。
「ああ、すまなかった。息子の頭を撫でるときぐらいは籠手は外さんといかんな」
 エルザールは豪快に笑いながら、足音をけたたましく鳴らせて病室を出て行った。付きの騎士も首と麻袋を拾い出て行くと、病室には再び静寂が訪れた。
――民は恐怖に支配されている
 ルインフィートの脳裏にあの街の兵長の言葉が焼きついて離れなかった。
 エルザールの訪問の後心を痛めながらも、治療の甲斐もあってか徐々に身体の痛みは和らぎ、暴れることもなくなり拘束が解かれるとルインフィートは自力で起き上がることが出来るようになった。
NEXT
Novels Index/Home