現実
医療病棟の一室でダルマースは治療を受けていた。大怪我を負ったわけではないが、獣の爪がかすり顔に受けた傷がなかなかふさがらなかった。
医師はダルマースの目の付近の傷に慎重に薬を塗った。幸い目の中まで傷は届かず、彼は視力を失わずには済んでいた。
突然、病室の扉が開けられた。国王のエルザールが現れ、豪快な足音を立てながらダルマースに近づき、治療中の彼に笑いかけた。
「ますます人相が悪くなったな、ダルマース」
ダルマースは黙ってエルザールを睨み返した。エルザールは構わず更に近づき、がっしりと彼の肩を掴んだ。
「まあよい、お前もご苦労だった。しばらくは休むといい。
しかしアレだな、お前……」
エルザールは口元に笑みを浮かべながら、鋭い目付きでダルマースを睨みつけた。
「何故ルインの居場所が分かった?」
笑いながら不気味に怒りを滲ませているエルザールの問いかけに、ダルマースは不敵に微笑んだ。
「この国の歴史をいろいろと探らせてもらった。
考えればすぐにわかるだろう?」
「わからんな」
「頭が悪いな、エルザール」
「なんだと!?」
二人はいつの間にかつかみ合い、喧嘩腰になっていた。側に控えていた医師と騎士たちがおろおろとうろたえた。
しかし突然ダルマースが表情を和らげ、エルザールを掴んでいた手を離した。
「自分の先祖が施した封印を過信しないことだ。
日食の昼間に炎の神殿で魔王は蘇る。俺はその邪教の予言を警戒しただけだ。
予言というものは犯行声明みたいなものだからな」
そしてダルマースはため息をつき、俯いた。
「もう少し早く、王子を保護しておくべきだった。
学園にいれば安全だと思っていた。まさか教員に邪教の信者が潜んでいたとは」
「ダルマース……」
エルザールはうなだれるダルマースの肩を励ますように叩いた。
「お前を疑って悪かった。お前がルインに危害を加えるはずがない。
見舞いにいってやってくれ。きっと喜ぶぞ」
エルザールはダルマースに心からの笑顔を投げかけ、部屋を後にした。
出て行ったエルザールと入れ替わりになるかのように、息子のハルマースが病室に訪れた。ハルマースは生気のない青白い顔で、よろよろしながら父親に近づいた。
「だ、大丈夫か、ハルマース」
ダルマースは不安そうな声を息子にかけた。ハルマースは今にも倒れそうになりながら頷いた。
「安心しろ、ハルマース。王子の容態は良くなられたようだ。
病室への訪問が許されたぞ」
「ほ、ほんとうですか!?」
ハルマースは急に表情を変え、慌てて病室の外へと駆け出していった。
「やれやれ……」
ダルマースは軽くため息を漏らした。
ハルマースはルインフィートが療養している病室へ駆け込むようにして入った。寝台の上に座っていたルインフィートが、ハルマースのほうに顔を向ける。
「ハルマース」
ルインフィートは嬉しそうに微笑んだ。しかしハルマースは彼の姿を見て、凍りついた。
体中を包帯に包まれ、未だに塞がらない傷があるのか、ところどころ血が滲み浮き出ている。
ハルマースは痛々しい姿で微笑むルインフィートの姿を直視することが出来ずに、俯いて涙が出そうになるのを必死に堪えた。
「酷い……あまりにも酷い」
ハルマースは声を震わせた。ルインフィートはハルマースの心情を察して、励ますように一層笑いかけた。
「大丈夫だよ。ダルのおかげで僕は助かったんだ。心配かけたね」
病室の窓から暖かい光が差し込んで、ルインフィートを照らした。ハルマースは顔を上げて目を細めた。
「王子、あなたは本当にお強い」
酷い怪我を負いながら、人を気遣うルインフィートの姿がハルマースの目に一層眩しく映った。
息子の後を追い、ダルマースもルインフィートの病室に訪れた。ダルマースはルインフィートの姿を確認すると、他の誰にも見せないような穏やかな微笑を浮かべた。
「ダル……!」
ルインフィートはダルマースを見て、悲痛な声をあげた。その眼差しは彼のつけている眼帯に向けられている。
「僕のせいで、目を……」
ルインフィートは寝台から降りて、ダルマースに駆け寄ろうとした。ダルマースはふらつく王子の身体を咄嗟に支え、優しく抱きしめた。
ダルマースの腕に支えられながらルインフィートは涙を浮かべた。
「目が見えなくなったら……」
「大丈夫ですよ、ただのかすり傷です」
ダルマースは眼帯を外し、眼球が無事であることをルインフィートに示した。ルインフィートは安心したように軽く息を吐き、再び微笑を浮かべた。
「よかった……」
ルインフィートの笑顔を見て、ゼノウス親子も微笑んだ。ダルマースはルインフィートに寝台に戻るよう促した。
「我々はあなたの為に命を賭して当然なのです。あまりお優しいのもよくありませんよ」
ダルマースは励ますつもりでルインフィートに言ったが、逆にルインフィートは浮かない顔をして俯いた。
「僕の為になんでもない町の人が処分された。それも当然だというのか?」
ルインフィートの問いかけに、ダルマースはためらわずにうなづいた。
「リーディガル様の報告によると、彼らはあなたの言葉を聞かずに投獄した上、川へと流したではないですか。
大罪です。その時点であなたを我々に保護させていればあなたはこんな酷い目には遭わなかった」
ダルマースはルインフィートを見つめ、強く言い聞かせた。ルインフィートはダルマースを睨み返した。
「僕達が助けてもらえなかったのは、日ごろの父さまの行いが悪かったからだ。
町の人たちは父さまを恐れていた。僕の父様は魔王だと……」
「価値観の違いですよ、にいさま」
病室の入口に、いつのまにかリーディガルがたたずんでいた。リーディガルはゆっくりとルインフィートに近づいた。
「リー、無事でよかった」
ルインフィートは弟に微笑みかけた。リーディガルも兄に優しく微笑み返す。
「にいさまは少し自分の立場を自覚したほうがいい。
反逆者は取り締まられて当然。サントアークの平和の為に。
これから、騎士団が王立アカデミーに行きます。
レドリクスと交友のあったものたちが立てこもっているのでね」
弟の言葉に、ルインフィートから笑顔が消えた。
「安心してください、にいさま。少しでも王家に懐疑的なものは全て捕らえるよう言いつけてあります。
真の平和を手に入れるにはまだまだ戦いが必要なようです」
ルインフィートは弟の言葉に耳を疑った。呆然とリーディガルの表情を見ると、彼は凍りついたような笑みを浮かべていた。
「リー、一体どうしたんだ……君は力を振りかざすことが嫌いだったじゃないか」
ルインフィートの問いかけに、リーディガルは黙って俯いた。
「この世の中、力が全てだ。
今回のことで僕はそのことを学んだよ」
「リー……!」
ルインフィートは悲痛な声を上げた。そして視線をダルマースに向ける。
「学園に手を出さないでくれ! 関係ないだろ!」
しかしダルマースは首を横に振った。
「残念ですが、レドリクスが教員だったことから、調査の対象になってしまいました。
事実あの学園には我々も把握し切れていない部分がある」
彼の言葉に、ルインフィートは怒りと悲しみを必死で堪えて肩を震わせた。
黙って様子を見ていたハルマースがそっとルインフィートの肩を抱いた。
「王子、お辛いでしょう……。
しかしあなたと国を護る為には、やらなければならないこともあるのです」
「クッ……」
ルインフィートは嗚咽を漏らし始めた。
「わかってる……わかってるよ……
みんな、ありがとう……僕と、国の為に」
ルインフィートはハルマースの胸で涙を堪えて深呼吸すると、いつもの表情を取り繕った。
「傷が痛み出した。少し休むよ」
ルインフィートの言葉を聞いて、三人は軽く礼をした後病室を出て行こうとした。
「ハルマース、君は残ってくれないか」
ルインフィートはハルマースを引き止めた。ハルマースは振り返り、ルインフィートのほうに戻った。
リーディガルはその様子を面白くなさそうに見つめ、足早に部屋を出て行った。
ルインフィートは医師にも席を外すように求め、病室にハルマースと二人きりになった。
ルインフィートはハルマースを側に引き寄せ、小さな声で語りだした。
「王子って辞められないのかな」
唐突に言われた言葉にハルマースは驚嘆した。
「何言ってるんですか!」
「シーッ! 声がでかいよ」
ルインフィートはハルマースの口を手でふさいだ。ハルマースは慌てて言葉を呑み込んだ。
「僕は時々思うんだ。普通の子に生まれたかったって。
冒険者になりたいな。ここだけの話だけど誘拐されて脱出しようとしたときの状況を楽しんでしまった自分がいるんだ」
「とんでもないことを言わないでください」
ハルマースは呆れたようにため息をついた。
ルインフィートは窓を開け、外の様子を眩しそうに眺めた。風が部屋の中に入り金色の髪が揺れる。
「この傷が塞がったら」
ルインフィートは笑顔を浮かべた。ハルマースも側に寄り、不安そうな眼差しを彼に向ける。
ルインフィートは少し考えた後、淡々と言葉を吐き出した。
「……まずはリーディガルにお仕置きしないとな」
「!?」
ハルマースはごくりと息を飲んだ。ルインフィートは不敵に微笑むばかりで、それきり黙っていた。
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