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相談
 ハルマースが邸宅に戻ってから、ひと月が過ぎようとしていた。今までになく真面目に勉強に励むようになったルインフィートの様子に、リーディガルは嬉しく思いつつもどこか疑わしいような胸騒ぎを感じずにはいられなかった。
 ルインフィートは夜な夜な書物庫に入り浸り、一人で調べ物にふけることが多くなった。リーディガルはそんなルインフィートの後をこっそりと追い、彼が熱心に何を調べているのかを探ろうとした。
 人目を気にしているのか、ルインフィートは薄明かりの中できょろきょろと辺りを見渡していた。リーディガルは棚の陰に身を隠し、息を潜めて見つからないように注意を払った。
 リーディガルの存在に気がつかなかったルインフィートは、一冊の本をゆっくりと音を立てずに引き出した。ルインフィートはその本に明かりを当てて表紙を眺めた。照らされてぼんやりと浮き上がった本の表紙は、リーディガルの目にも確認することが出来た。
 その本は、旅をするための知識が書かれた手引書のようなものだった。
 リーディガルは思わず兄に駆け寄り、その手の本を奪い取った。ルインフィートの反応を待たずに、中をめくって確認すると、そこには冒険に必要な知識が事細かに挿絵つきで書かれている。
「リー、何故ここに」
「にいさま、何故このような本を」
 リーディガルはきつくルインフィートを睨みつけた。ルインフィートはおどけたような表情で、わざとらしく肩を竦めてみせた。
「いやあ、面白そうだなと思ってさ」
 適当な返答が返って来たことにリーディガルはますます腹を立てて、本を床に叩きつけて兄の肩を両手で掴んだ。
「近頃のあなたはおかしい。特に……ハルマースが帰ってきてから」
 リーディガルは真正面からルインフィートを睨みつけた。ルインフィートは俯いて、やや気落ちしたように目を伏せた。
「彼を苦しめる病魔を、なんとかしたいんだ。東の地に眠るという護符があれば、彼を楽にしてやれるかもしれない……」
 ルインフィートはリーディガルが床に叩き付けた本を拾い上げて、怒りを露にしている弟に微笑みかけた。リーディガルは苛立ちを隠さずに、再び兄に掴みかかった。
「馬鹿なことを仰らないでください。彼のことは医師や神官が診ている。
 大体、本当かどうかも判らぬ噂話に捕らわれるべきではありません」
 そうまくしたてる真剣な弟の眼差しを避けるように、ルインフィートはなおも苦笑した。
「でも僕はその力が欲しいんだ。行ってみてダメだったら、潔く諦めるつもりでいるよ。だから……」
 弟の理解を得ようとしてルインフィートは言葉を続けようとしたが、リーディガルは首を横に振って先の言葉を遮った。
「にいさまはあの男にこだわりすぎる。他にも優秀な騎士など沢山居るではないですか。
 あんな病気持ち、いつもにいさまの手を煩わせるばかりで、何の役にも立ちませんよ!」
 その言葉を聞いて、ルインフィートから微笑みが消えた。そして彼は弟の胸元を掴み、頬を平手で張った。ぱしんという乾いた音が部屋に響く。
「にいさ……!」
 リーディガルは頬を手で押さえて兄のほうに顔を向けた。ルインフィートは真っ青な顔でリーディガルを睨みつけていた。
「僕の親友を侮辱するな」
 弟の胸元を掴んだまま、怒りに震える声でルインフィートは言葉を吐き出した。かつて見た事が無いような冷たい瞳をした兄にリーディガルはぞっとして身を竦めた。
 しかし彼は気を奮い起こし、兄の手を振り払い睨み返した。
「何故です!? 僕はあなたの事を心配しているだけなのに!
 僕のことが邪魔ですか!?」
「僕は君の望むような、立派な兄にはなれない」
 ルインフィートはそう言い放つと、身を翻してリーディガルの側から離れて行った。
 リーディガルは後を追いたい衝動をぐっと堪えて、奥歯を噛み締めて俯いた。

 それから、兄弟の仲は急速に険悪なものへと変わって行った。リーディガルがルインフィートに不信を抱くようになって、周りのものも自然と派閥を作っていった。
 周りの大人たちは二人の見えぬところで醜い争いを繰り広げ、ついにはリーディガルを支持するという者の手によりルインフィートが襲われるという事態になった。
 兄に失望したとはいえ、命まで取ろうと思っていなかったリーディガルは責任を感じて塞ぎこみ、ルインフィートとの接触を頑なに拒むようになった。
 ルインフィートもまた自分を責めた。リーディガルを苦しめているのは他ならぬ自分だと。
 しかし二人の心はお互いに譲り合うことを忘れてしまい、二人が以前のように寄り添う事は二度となかった。


 風の吹きすさぶ夜、ルインフィートはサントアークの王城の抜け道を通りぬけ、こっそりとダルマースの元に訪れた。
 突然の王子の訪問にダルマースは怪訝な顔をした。王子に甘いダルマースだったが、このような夜更けに出歩くことは憂える事態だった。
 ルインフィートはそんな将軍の態度にもお構いなく勝手に中へと上がりこみ、広間をきょろきょろと見回した。
「ハルマースなら既に寝てしまいましたよ。息子に何か御用ですか?」
 呆れたようにため息をつきながらダルマースはルインフィートに告げた。
「いや、起こさないでくれ。ハルマースには内緒の話があるんだ」
 ルインフィートは席について、傍らに立つダルマースの顔を見上げた。ダルマースは鋭い目つきで王子を威嚇した。
「ろくなことを考えていませんね。いけませんよ、王子」
 言い出す前に否定的な態度を取られて、ルインフィートはむっとした。
「自由都市ワートに行きたい。行って護符を探してくる」
「駄目です」
 まっすぐに見つめてくるルインフィートを、ダルマースはそっけなくあしらった。
「あなたをそのような危険な目に遭わせる訳には行かない。
 このような夜更けにここに来るだけでも重大な事態だ」
 はっきりとしかりつけられて、ルインフィートは気持ちを沈めてうなだれた。
「好奇心のせいで全てを失うこともある。あなたは今も狙われているのですよ。
 このサントアークを出て、ルイムにでも入ろうものならたちまちあなたは死の賢者に命を狙われることでしょう。
 またあのような酷い目に遭いたいのですか?」
「好奇心なんかじゃないよ。僕は真剣だ」
 ルインフィートは再び、強い眼差しをダルマースに向けた。
「ずっとこんなところに居たら、身体がなまって太っちゃうよ。
 最近脇腹がたるんできた気がするんだ」
「ああ、それではオヤツを出さないように申し付けないといけませんな」
 まともに取り合おうとしないダルマースの言葉に、ルインフィートはむっとしてふてくされた。
「もういい、わかったよ」
 ルインフィートは苛立ちを隠さずに、荒々しく机に手を突いて立ち上がった。
「誰かに援護を頼もうとした僕が間違っていた。これは僕一人で立ち向かうべき問題だったよ」
 ルインフィートはダルマースに背を向けて、部屋を出ようとした。しかしその肩をダルマースが掴み、引き止めた。
「何故あなたが聖なる護符に興味を?」
「……関係ないよ」
 ルインフィートはダルマースの手を振り払い、横目でダルマースを睨みつけた。
 しかしダルマースは強い力でルインフィートの腕を掴んで引き寄せた。
「聞いてしまった以上、無関係ではいられません。
 護符が欲しいと仰るのなら、精鋭隊を現地に向かわせますよ」
 ダルマースはルインフィートに顔を近づけ、笑顔で言い聞かせた。ルインフィートは良い顔をせず、反論した。
「どんな災いをも跳ね除ける護符だよ。手にした瞬間に、君の部下はその力を悪用するかもしれない」
 ルインフィートはダルマースを真正面から見つめ、強い意思表示をするかのように両手で肩を掴んだ。
「僕がこの手で手に入れたいんだ」
「……ルインフィート様」
 ダルマースはその瞳をまっすぐに受け止めた。しかしすぐに首を横に振る。
「……私はなにも聞かなかった。そういう事でいいですね」
「フン!」
 ルインフィートは苛立ちを露にして、わざとらしくダルマースにそっぽを向いた。
「帰るよ、邪魔したね」
 ルインフィートは荒々しく身を翻した。機嫌を悪くしたルインフィートのその肩に、そっとダルマースの手がかけられた。
「これをお持ちください」
 ダルマースはルインフィートに細長い筒状のものをそっと手渡した。ルインフィートはきょとんとして、手渡された筒をぼんやりと眺めた。
 筒から中の紙を取り出し広げてみると、それは隣国ルイムの地図だった。ルイムは無法地帯に陥り危険な国だが、ワートに行く為にはどうしても避けられないところだった。その地図には特に危険だという地域に印が付けられていた。
 そして、筒の中には更にサントアークとルイムにまたがる関所を通る為の通行証が入っていた。
「ダル……」
 ルインフィートは申し訳なさそうに、自分に手を貸してくれる将軍のことを見上げた。
 ダルマースはルインフィートに背を向けて、黙って自分の寝室へと戻っていった。
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