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すれ違い
 ルインフィートは途方にくれていた。トイレで用を足し寝室に戻ったら、ハルマースの姿が消えていたのである。
 借りている部屋の隅々まで確認し、寝台の下も覗いてみたが、当然そんなところに居るはずもなく、彼は心を落ち着かせるようにハルマースの使っている枕をぎゅっと抱きしめた。
 彼はしょっちゅうハルマースの寝ている隙に外出することがあったが、逆の立場にされたことは一度もなかった。
――一体どこに行ったのだろう。
 不安でいてもたっても居られなくなり、彼は夜着のままハルマースを探しに部屋の外へと駆け出していた。
 足は自然にザハンの邸宅へと向かっていた。ハルマースが居なくなったことを相談できそうな人物は、ガーラしか思い浮かばなかったのである。
 しかしザハンの邸宅につく前に、暗がりの道の向こうからハルマースが駆け寄ってきた。ルインフィートは驚いて、慌てて足を止めた。
「なにしてるんだよ!」
 ルインフィートは思わず大きな声でハルマースに問いかけた。ハルマースは酷く急いでかけてきた様子で、息を切らしながらルインフィートに頭を何度も下げた。
「すまなかった、目が覚めたらお前の姿がなかったから……。
 また、あの家に行ったんじゃないかと思って」
 ハルマースの言葉を聞いてルインフィートはぽかんと口を開けた。
「俺はトイレで踏ん張ってただけだぜ。まったくお前が寝ぼけるなんてビックリだ!」
 ルインフィートは不安から開放されて、やや涙ぐみながらハルマースの肩を小突いた。
「悪かった、本当に」
 謝りつつもハルマースは微笑みを浮かべていた。一人にされたルインフィートがうろたえる様子を見て、自分が必要とされているという事を確信したからだ。
 ハルマースはルインフィートの背中に手を回し、宥めるように背中を優しく撫でた。彼の手に促されるかのように、ルインフィートは彼の胸に軽く顔を埋めた。
「俺、てっきりお前がジュネさんでも探しに行ってしまったのかと……」
 ほろりとルインフィートの口から漏れた言葉に、ハルマースはびくりと肩を強張らせた。顔色が見る見るうちに悪くなっていき、ルインフィートから離れてがくりと俯いた。
「ジュネ、さん……か。彼には悪いことを……」
 そう呟くと彼は急に苦しみだして、胸を押さえてその場にうずくまってしまった。
「お、おい!!」
 驚いたルインフィートもしゃがみ込み、急に具合を悪くした彼を気遣うように肩に手をかけて、顔を覗き込んだ。ハルマースは真っ青な顔で、冷や汗をびっしりとかいていた。
 丁度そのとき、ハルマースが来た方向から一人の男がのんびりと歩いてきた。男はハルマースの背後に立ち、二人に突然声をかけた。
「おい」
「うわあ! ガーラ!」
 人が来たことに全く気がつかなかったルインフィートは驚いて飛び上がった。その男は紛れもまく仲間のガーラだった。街灯が彼の銀色の髪を青白く照らしていた。
「ガーラ、なんでここへ」
「お前達の邪魔をしに来たつもりだが」
 ガーラは先ほどのザハンの鏡で二人の様子を見ていた。大嫌いなハルマースにあらぬ疑いを掛けられてムカムカしていた彼は、腹いせに二人の仲を邪魔しようとここまで追ってきたのだ。
 しかし今にも死んでしまいそうな表情のハルマースを見て、ガーラは表情を曇らせた。気が合わないとはいえ彼も仲間には違いないのだ。
「俺に任せろ」
 ガーラはハルマースの前に立ち、神聖な言葉を紡ぎ出した。ガーラの手のひらが淡く光り、その光はまっすぐにハルマースの方へと伸びて行き、彼の身体を包み込んだ。
 光はハルマースの身体に溶け込んで、ふわりと蒸発するように弾けて消えた。
 ハルマースの表情は僅かに和らいだが、相変わらず息が荒く、苦しんでいるようだった。
 ガーラは僅かに眉根を寄せた。思ったよりも癒しの術が効き目を発揮しなかったからだ。こうして倒れたハルマースの治療を今までに何回か施したことがあったが、それなりに効果を発揮していた。
「立てるか」
「な、なんとか」
 ガーラの手を借りて、ハルマースはなんとか立ち上がることが出来た。相変わらず辛そうな様子の彼に、二人の様子を黙って見守っていたルインフィートが慌てて肩を貸した。
「家で父さんにみてもらおう」
 今回はよっぽど具合が悪いらしいと感じたガーラは、ハルマースを父親のザハンに見てもらおうと考えた。ザハンは神聖魔法の類は扱わない魔術師だったが、薬物に関してはそこらの薬剤師をはるかに凌ぐ知識を持っている。
 ガーラは二人を連れて、自らの住まうザハンの邸宅へと戻っていった。

 ザハンの邸宅にたどり着くと、主のザハンは憂いを含む微笑みを見せて、二人をたいそう心配そうに出迎えた。今は空いてしまっているジュネの部屋へと二人を導いて、そこの寝台の上にハルマースを横たわらせた。
「ハルマース、大丈夫か?」
 ルインフィートが今にも泣き出してしまいそうな表情で、ハルマースの手をぎゅっと握り締めた。彼の手は冷たく冷え切っていた。
「このまま安静にしていれば大丈夫でしょう」
 ルインフィートの隣にザハンが進み出て、穏やかな微笑みを浮かべた。しかし治療らしいことは特に何もしなかったので、ルインフィートは不安げにザハンを見つめた。
「本当に?」
「心労が祟ったのでしょう。ゆっくりと休養を取らせてあげれば、彼はまた元気になるでしょう。
 彼の病は彼の心の弱いところを蝕んでゆきます。あまり心配をかけてはいけませんよ」
「へぇ……」
 ルインフィートは目をまん丸に見開いて、感心したようにザハンの言葉を聞いた。同時に、彼の心にふつふつと暗い感情が沸き起こっていた。
 ハルマースはジュネの名前を聞いた途端に倒れてしまったのだ。彼が失踪してしまった件について、よっぽど思いつめているのだろう。
 自分にまっすぐについて来たハルマースの心に、別の人物が居座っているという事がルインフィートには面白くなかった。
「俺は……ほんとに自分勝手でわがままだな」
 ルインフィートはやや俯いて、自嘲するように呟いた。彼の中でジュネの存在が大きくなっているとしても、そのことを咎める理由など何も無い。
 そして彼がジュネと親しくなってしまった原因は、紛れもなくルインフィート自身に原因がある。この家に通うようなことがなければ、ジュネとハルマースの二人は親密にはならなかったのだ。
 申し訳ない気持ちで寝台の上のハルマースに目をやると、彼は相変わらず冷や汗をびっしりとかいてうなされていた。

 今まで黙って後ろに立っていたガーラが寝台の脇に歩み寄り、ハルマースの様子をまじまじと観察した。
「うーん……」
 少し何か考えた後、ガーラは再び手で印を切って、詠唱を始めた。それは先ほど夜道で施した癒しの術とは違うものだった。
「ガーラ君、いけません」
 何かを悟ったザハンが、急に表情を変えて息子を咎める様に制した。ガーラは詠唱をやめて、なにか言いたげな眼差しで父親を見つめたが、そのまま黙って軽くため息をついた後、一人で部屋を出て行った。
「ガーラ?」
 何事かと不審に思ったルインフィートが、彼の後を追おうとしたが、ザハンに引き止められた。
「ガーラ君はああ見えて優しい子ですので、ハルマース君の不調の原因を探ろうとしたのです。
 しかしその術はちょっと……危険でしてね、私も息子が可愛いもので、つい……」
 ザハンはすまなそうに頭を下げてルインフィートに微笑みかけた。魔法が使えないルインフィートはザハンの言う危険が何なのかよくわからなかったが、とりあえず彼はザハンに感謝の意を表すことにした。
「いえいえ、こちらこそ御迷惑をおかけしてすいません。
 ガーラにもお礼を言わなくちゃ」
 ザハンに一礼すると、ルインフィートはやはりガーラにもちゃんと感謝しなきゃと思い、ハルマースの横たわるこのジュネの部屋から、ザハンを一人残して出て行った。
 真向かいのガーラの部屋に入ると、ガーラは寝台の上に腰をかけて、頭上の位置にある棚の上の香に火をつけるところだった。何ともいえない安らかな香りが部屋にふんわりと広がって、ルインフィートは目を細めた。
「ガーラ、今日はありがとう」
 ガーラはルインフィートと目を合わさず、香から漂う煙を軽く息で吹いた。
「さっきもなにか危険なことをしようとしたらしいじゃないか」
「……………………」
 ルインフィートの問いかけに、ガーラは何も答えずに睨みで返した。ルインフィートはびくりと身体を強張らせる。
「も、勿論この借りは返すよ」
 彼はガーラの元に歩み寄り、自ら夜着の止め具を外して襟元を崩した。半ばやけくそとも取れる誘うようなルインフィートの行動を、ガーラは鼻で笑い飛ばした。
「お前は本当にバカだな」
 吐き捨てると、彼はルインフィートの襟首を掴んで部屋の外へと放り出した。追い出されたルインフィートはきょとんとガーラを見上げた。
 ガーラはルインフィートの青い瞳をじっと見つめて、言い聞かせた。
「今お前の身に何かあったら、あいつの寿命が縮むぞ」
 ルインフィートの言葉を待たずにガーラは部屋の扉を閉めた。締め出されたルインフィートは、扉越しに彼に言葉を投げかけた。
「お前今本当に不能なんだ!」
 ガーラはルインフィートを見逃したことを心の奥底から後悔した。
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