告白
ガーラを追ってルインフィートが部屋を出たため、ザハンはハルマースの眠る部屋に一人残っていた。
ザハンは薄明かりに照らされたハルマースの顔を、じっと見つめていた。ザハンはハルマースの父親、ダルマースと深い関係にあった。
死霊魔術師のレイアの影を追って、ダルマースの屋敷を訪れたことがきっかけだった。ダルマースはレイアとの縁を断ち切り、サントアークの将軍として生きていくことを望んだ。そしてザハンはレイアの居所を探し出し、彼女を倒すことを望んでいた。
目的が一致した二人は密会を繰り返し、情報を交換しあううちに自然に親しくなっていった。
何度目かの訪問のとき、ザハンはダルマースに身体を求められた。それはザハンにとって、驚愕するべき事態だった。彼は人間に好かれたことなど、一部の例外を除いては全くなかったからだ。
七賢者一番の奇人変人と称されているザハンは、人の温もりに弱く、そしてそれを望んでいた。
ダルマースはそんなザハンの弱点に気がついたのだろう。彼は徐々に誰も踏み込まなかった彼の心の領域に忍び込んだ。
――あなたの父親は、悪い人だ。
ザハンはハルマースから目を逸らして、ため息をついた。
部屋を出てから五分もしないうちに、ルインフィートが戻ってきた。ザハンは穏やかに彼に微笑みかけた。
「では、私は部屋に戻ります。何かあったら遠慮なく呼び出してください。下に居ますから」
ルインフィートはザハンの微笑みに、ややどぎまぎしながら返事をした。
「は、はい、ありがとうございます……」
ルインフィートから見て、ザハンという存在はとりわけ異質なものに見えていた。ルイムの七賢者という前知識も災いして、畏怖の念に近いものを彼に対して抱いていた。
年齢不詳のその容姿も近づき難い要因のひとつとなっていた。ザハンはガーラの父親であるというのに、息子よりも若く見えるのだ。
――魔族とは人に似て非なるもの。
一般に定義されているその言葉を事実として目の前にしたとき、ルインフィートはただ戸惑うことしかできなかった。
この先、自分は老いてもきっとガーラはあのままなのだろうと、そう思うとルインフィートは妙な寂しさを覚えた。
ザハンが部屋を出て行き、部屋にはルインフィートとハルマースの二人だけが残った。ルインフィートはハルマースの横たわる寝台の脇に椅子を置き、腰をかけて彼の様子をじっと見守っていた。
ザハンの言ったとおりに、ただ安静にしているだけで彼の表情はだいぶ良くなって行き、呼吸も安らかなものになっていた。
ハルマースは意識を取り戻して、ぼんやりと瞼を開いて、傍らに座っているルインフィートの姿を見た。
「まだ、起きてたのか」
部屋の明かりは消されていて、月明かりだけが部屋を照らしていた。ハルマースはルインフィートのひどく沈んだ表情を見て、居たたまれなくなって起き上がろうとした。しかしルインフィートはそんな彼の手を掴み、起き上がろうとするのを阻止した。
ルインフィートが掴んだハルマースの手はひんやりとしていた。
「前にも……こんなことがあったな」
まだ王立学園に通っていた頃、放課後にこうして彼が倒れてしまったことを思い出していた。あの時は彼を励ます事しか出来なかったが、今は違う。
ルインフィートは何か願いを込めるように、ハルマースの手をぎゅっと握り締めた。
「……もう少し、もう少しの辛抱だ。俺は必ず聖なる護符を手に入れて。
お前の身体に棲みつく病魔を追い払ってやる」
彼の思わぬ言葉にハルマースは目を見開き、言葉を失った。彼はルインフィートが護符を求める理由など、全く知らされていなかったのだ。
正直な話彼はルインフィートの護符探しは、家出の口実なのだとすら思っていた。
「そ……んな」
ハルマースはやっと搾りだすように声を出して、ルインフィートから手を離して慌てたように寝返りを打ち、彼に背を向けた。
「聖なる護符だなんてそんなもの、冒険者を集める為のまやかしに決まっている」
ハルマースはうずくまり、ぼそぼそと早口で呟いた。ルインフィートはその言葉を聞き逃さず、咄嗟に反論した。
「な、なんだと! 俺は本気だぞ!」
ルインフィートはそっぽを向いたハルマースの肩を掴んで揺さぶった。しかしハルマースは頑なに顔を伏せ、決してルインフィートに顔を見せようとはしなかった。
「こら! ハルマース!」
動こうとしないハルマースの肩を、ルインフィートは無理矢理強い力で引っ張って身体を仰向けにした。
ハルマースは目に涙を浮かべていた。彼は顔を真っ赤にして、涙をぐっと堪えてルインフィートを見つめた。
「に、睨むなよ!」
ルインフィートは咄嗟に彼の肩から手を引いた。涙を堪えているハルマースの目付きが、彼には険しい顔つきに見えてしまった。
ハルマースはそのままの顔つきで、ルインフィートを睨み続けた。
「あ、あなたという人は……!」
ハルマースは起き上がり、ルインフィートの両肩を掴んで顔を近づけた。ルインフィートはその勢いに驚いて、目を見開いてポカンと固まった。
「俺のために、ここまで来たと言うのか!」
「そうなんだけど」
「それが本気だというのなら、今すぐあなたをサントアークに連れて帰る!
見ての通り俺は病気などではない! 健康そのもの」
言い終わらないうちに、ルインフィートがハルマースを押し倒し、彼の身体を寝台に沈めた。そのままの勢いで、ルインフィートはハルマースの上にのしかかり、彼の身体をぎゅっと抱きしめた。
「急に騒ぐと身体に障る。寝よう」
「……ルインフィート……さま……」
ルインフィートの腕の中で、彼の温もりを感じてハルマースは目を細めた。自らも腕を彼の背に回し、そっと抱きしめ返すとルインフィートの身体がびくりと僅かに震えた。
「ハルマース……俺、お前が……好きなんだ。ずっとお前の側に居たいんだ。勝手な振る舞いを許してくれ……」
先ほどまでと違い、ルインフィートはか細い声でハルマースの耳元で呟いた。ハルマースは息を飲んで、ルインフィートの身体をより一層強く抱きしめた。
「身に余る光栄……です……」
「…………そうか」
ルインフィートは何故か残念そうな声を出し、彼の上から横へと身体をずらした。そして彼はハルマースの冷たい手をぎゅっと握り締めて、瞼を閉じた。
「おやすみ、ハルマース」
「――王子」
ハルマースはルインフィートの手を引き寄せ、体の向きを変えて彼の上に跨った。両腕をルインフィートの脇について、ハルマースは彼をまっすぐに下に見据えた。
「ハルマース……?」
ルインフィートは一度閉じた瞼を開けて、目の前にハルマースの顔を見た。お互いの吐息を肌で感じる至近距離で、暗い部屋の中でも彼の顔立ちがはっきりと判った。
ハルマースは眉根に皺をよせて、苦悩の表情を浮かべていた。
「お許しください、王子」
彼はルインフィートの髪を優しく撫で、ゆっくりと顔を下に降ろした。
「ハルマー…ッ……」
ハルマースに触れるだけの口付けをされて、ルインフィートの胸がはちきれんばかりに高鳴った。顔は真っ赤に染まり、自然と涙が滲んで目を潤ませていた。もどかしい口付けだったが、それだけでルインフィートの身体は熱く高ぶり始めてしまった。
ハルマースは余裕の無い表情を浮かべ、もう一度ルインフィートに遠慮がちに軽く口付けた。
気持ちが通じたことを確信したルインフィートは、こんなときでも自分を気遣うハルマースが一層いとおしく感じられて、我慢できずに自ら彼を引き寄せてもう一度口付けをした。
本能の赴くままにハルマースはルインフィートの腰に手を伸ばしたが、慌てて首を横に振って手の位置を背中へとずらした。
「ダメだ……こんな……」
「ダメじゃないよ。俺たちもう、子供じゃない……」
必死で自制しているハルマースの目の前で、ルインフィートは自ら夜着の前の留め具を外して胸をはだけさせた。ハルマースははっと息を飲み込んで、恐る恐るルインフィートの肌に手を触れた。
しかしハルマースは直ぐに手を離して、再び首を横に振った。
「ダメだ、こんなところであなたを抱くわけには行かない」
言われてルインフィートははっと我に帰った。ここはザハンの邸宅で、しかもジュネの部屋なのだ。
「そ、そうだな、ここはマズいな……お前も倒れたばかりだし」
ルインフィートは苦笑いをした。自分の欲望が先走って、うっかり誘ってしまったことを急に恥ずかしく感じて慌てて夜着を直した。
そんなルインフィートの様子を見て、ハルマースはくすりと穏やかに微笑んだ。
二人はそのまま寄り添って、深い眠りへと落ちていった。
翌朝早くに、ハルマースはルインフィートよりも早く目が覚めた。身体の具合はすっかり良くなっており、昨晩の苦しみがまるで夢の中の出来事だったかのような錯覚すら覚えていた。
しかしいつもと違う部屋に居るという事実と、自分に寄り添うルインフィートの姿を見て、彼はなにもかもが紛れも無い現実であるという事を実感した。
安らかな寝息を立てているルインフィートの額を軽く撫で、ハルマースは一人起き上がり部屋を出た。居間のある下の階ではもう朝食の準備をしているのか、ばたばたと物音が聞こえていた。世話になったことへの感謝のしるしとして、ハルマースは朝の仕事を手伝おうと一階へと降りていった。
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