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聖堂と護符
 ワートの街の評議会議事堂のすぐ隣に、大地の神を祀る古い聖堂があった。この街が発展を遂げる前からこの土地を護っているという。
 地下迷宮の怪物たちが表に出てこないのも、この大地神の加護のおかげだと言い伝えられ、人々の心には自然と信仰が根付いていた。
 何者かに地下深くに持ち去られたとされる「聖なる護符」は、もともとこの聖堂に置かれていた。聖なる護符はこの聖堂の決められた場所で、大地神に仕える者が正しい使い方をしたときにのみ、その力を現すという。
 そのため地下迷宮から聖なる護符を奪還したものは、その聖なる護符を聖堂に返さなければならない決まりになっていた。そして、護符を奪還したものはその恩恵に与れる権利を得られる事を約束されている。
 ルインフィートはもっと具体的な話が聞きたくて、ハルマースと、ガーラも共につき合わせて聖堂を訪れていた。神官に案内されて、素朴ながらも荘厳な雰囲気の廊下を抜けると、最高司祭のいる広間へとたどり着いた。
 天井は高く、四方八方に取り付けられた飾り窓から色とりどりの光が降り注いでいた。一番奥まった場所に置かれている台座の向こうに、最高司祭は佇んでいた。小さな子供の背丈ほどの、がっしりとした体格の豊かな白髭の老人だった。彼は浅黄色の中綿のもこもこした法衣を纏い、三角帽子をかぶっていた。
 最高司祭の姿を見て、ルインフィートは目を丸くして呟いた。
「も、森の妖精さんだ」
 ハルマースは首を動かさずに、肘でルインフィートをつついた。彼は表情を変えずにルインフィート達よりも前に進み出て、最高司祭の前に跪いた。
「お忙しいところ謁見のお許しありがとうございます。我々はこの街の危機を知り、少しでもお力になりたいと駆けつけた旅の者でございます。
 我々はここ数年この地下迷宮を探索し、ようやく明日にでもその最下層へと足を踏み入れて護符の奪還を計ろうかと思い、それにあたってお話を少しお伺いしたく……」
「舌も噛まずによくあんな堅苦しい言葉がスラスラと言えるもんだな」
 ガーラが周りに聞こえない様に、そっとルインフィートに耳打ちした。
「ま、まあ、あいつの本職は騎士だからな……」
 ルインフィートもひそひそとガーラに言葉を返した。
「こらお前達、司祭様の前だぞ。頭が高い」
 ハルマースは跪いたまま顔をルインフィート達のほうへ向けて、彼らを睨みつけた。しかし跪いていても司祭よりハルマースの頭の位置のほうが高かった。
 ルインフィートとガーラの二人はいかんともしがたい気分でハルマースの隣に並び、司祭の前に跪いた。
 三人の男に跪かれた小さな司祭は、ほっほっと穏やかな笑いを浮かべて、三人に語りかけた。
「わしは堅苦しい事は苦手じゃ。楽にするがよい。して、わしに聞きたいこととは何じゃ?」
「寛大なお言葉、ありがとうございます。我々が聞きたいのは、護符の恩恵についてです」
 ハルマースがすっと立ち上がり、二人も続いて立ち上がった。
「まだ手にする前から言うのもナンだけど、護符の力でこいつの病気を治すことはできますか」
 ルインフィートがハルマースの腕を掴み、司祭に尋ねた。司祭はまじまじと背伸びをしながらハルマースを眺めて、しばらく考えた後に小首を傾げてしまった。
「わしの見たところ、お主は病気ではないようじゃが」
「えっ」
 ハルマースとルインフィートは予想もしなかった答えにはっと息を飲んだ。しかしガーラは険しい顔つきになり、沈黙していた。
「そ、そんなバカな、こいつは昔から病気でよく倒れて……」
 ルインフィートはしゃがみ込んで司祭と目線を合わせて、抗議する様な口ぶりで司祭に言った。司祭は首を横に振り、ハルマースに近くに来るように手招きをした。
「お主は病気などではない。呪われているんじゃよ」
「な、なんですって」
 司祭の言葉にハルマースは衝撃を受けて、思わず一歩引き下がった。しかし司祭は彼に手招きをして、台座のその奥にある祭壇の前へと立たせた。
「おぬしの心は暗闇に繋ぎとめられておる。よく今まで暗黒に堕ちずにいられたもんだのう」
「あ、あんこくですと?」
 ハルマースの声がひっくり返った。思いもよらない言葉が次々と司祭から出されて、思考がまわらなくなってしまう。
「祭壇の奥にあるのは真実を映し出す鏡じゃ。近づいて、己の姿を見てみるが良い」
 司祭に促されて、ハルマースは恐る恐る祭壇の奥へと進んで、鏡を覗き込んでみた。ハルマースはそこで蒼白になり、呆然と立ち尽くしてしまった。
「ど、どうした?」
 心配になって、ルインフィートがハルマースに声をかけた。ハルマースはうなだれて、暗く沈んだ声を出した。
「何も……映らないんだ。真っ暗な闇があるばかりで……」
「なんだって?」
 ルインフィートは慌てて彼に駆け寄って、鏡を覗き込んでみた。するとたちまちに鏡は目の前の青白い顔をしたハルマースを映し出した。
「ほう」
 ハルマースが驚くよりも先に、小さな司祭が興味深いため息を漏らした。司祭は祭壇に歩み寄り、二人の間から一緒に鏡を覗き込んだ。
 そしてルインフィートの顔を見上げて、一人で感心したようにうんうんと頷いた。
「お主から強い太陽神の力を感じる。その光はこの者の暗闇を照らしているようじゃ」
「へええー」
 ルインフィートは目を輝かせて、ハルマースの顔を見上げた。ハルマースはちょっと安心したような顔つきになり、僅かに頬に赤みが差していた。
「こびとさ……いや司祭様、こいつの呪いとやらを解くことはできますか?」
 ルインフィートはしゃがみ込んで、司祭と目線を合わせて笑顔で尋ねた。司祭もルインフィートににっこりと笑い返し、返答した。
「護符を取り戻してこの聖堂に力が戻れば可能じゃ」
「なんにせよ護符が必要なんですね」
 ルインフィートは立ち上がり、ぎゅっと拳を握り締めた。
「あの、つかぬことをお伺いしますが」
 今まで心ここに在らずといった様子だったハルマースが、もうすっかり我に帰った様子で司祭に尋ねた。
「その護符が、正しい使われ方をしなかった場合は、どのような事が……?」
「よい事を聞いてくれたな。それは大事な質問じゃ。
 護符を間違った方法で使うと、護りの力が逆の方向に転じるのじゃよ」
 司祭はほっほっと笑いながらハルマースに答え、更に言い聞かせるように言葉を続けた。
「護符を奪い地下に立て篭もっているのは、その護符に呪われたものじゃよ。やつは一族もろともに永遠の死を与えられ、生き血を啜る吸血鬼の王となった。
 そう……この地下に潜むのは吸血鬼じゃよ。彼は護符の力を解明し、呪いを解く方法を探す為に奪ったのじゃろう」
「ちょ、ちょっと待て。吸血鬼って、どうやって倒すんだよ」
 話を聞いてルインフィートは急に生きた心地がしなくなった。死霊の類の恐ろしさは、身を持って知っているからだ。今までも散々死の賢者に狙われ、ここでまた不死怪物に立ちはだかられては、これはもう宿命と思うしかなかった。
「そこのお前さん、なかなか腕の立つ神官じゃろう。吸血鬼の足を止めるくらいの事はできるんではないかな」
 司祭は腕を組んだまま険しい表情をしているガーラに視線を向けた。つられるように、ルインフィートとハルマースもガーラの方を向く。
 一斉に注目されてガーラは急に照れくさくなって、思わず悪態をついてしまった。
「な、なんで俺がお前らのために、あんな高度な術を使わなくちゃいかんのだ」
「あんな、ってことは倒し方知ってるんだな? 頼むよガーラ。吸血鬼の王を倒したら、きっとローネちゃんもお前のこと見直してくれるぞ」
 ルインフィートがきらきらと目を輝かせて、わざとらしい笑顔を作って言った。
「地に堕ちた兄の威厳を取り戻すいい機会だろう。頼むこの通りだ」
 この上なく真剣な眼差しで、ハルマースもガーラに頭を下げた。
 ガーラは大げさにため息をついて、腕を組みなおしてふんぞり返った。
「あーはいはい、わかりましたよ」
 ガーラは二人に投げやりな返事をした。そして彼は少し考えた後、二人に提案した。明日の探索は今までよりも過酷な戦闘が予想される為、探索する人数を増やしたほうが良いと。
「俺とコイツは魔法に専念することになりそうだから、戦士がもっと必要だ。俺の友達に援護を頼もう」
「なんだかんだ世話になるな、ガーラ。やっぱりお前はいいやつだよ」
 ルインフィートはガーラの肩をぽんぽんと叩き、にこにこと機嫌よく微笑みかけた。
「おいおい……まるで危機感の無いやつだな。今度ばかりは、失敗したら確実に死ぬんだぜ?」
 ガーラは呆れてため息をついた。ハルマースもやれやれと、暢気な主君にため息を漏らした。

 三人はその後司祭に礼をして聖堂を後にし、明日の探索に供えて早めに帰宅し休養を取る事にした。
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