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地下十階
 ワートの酒場は朝から開業している。しかし朝から酒場を訪れる者達の目的は、酒を飲むことではない。冒険者達は仲間を募ったり、待ち合わせをするためにそこに集まった。もちろん、朝から酒を煽る輩も居ないわけではなかった。
 『赤い跳ね馬亭』という看板を掲げた酒場に、ルインフィートとハルマースの二人は訪れた。二人は少し寝坊してしまい、約束の時間よりも遅くなってしまった。扉を抜けて中を見渡すと、既にガーラとその連れが中で席に着いてなにやら談笑していた。
「ガーラ、遅れてごめん。ちょっと寝坊しちゃって……」
 ルインフィートは気まずそうな微笑みを浮かべながら、彼らの待つ席へと近づいた。ハルマースも、黙って彼の後に続く。
 ガーラはやれやれと腕を組んで、大げさにため息をついた。
「どうもお前達には緊張感ってものが欠けてるよな。俺なんかほら、こんなに頼りになる仲間を連れてきたというのに」
 席にはガーラのほかに、小柄で黒髪の刀を携えた青年と、鎧をカッチリ着込んだ茶髪の青年、そして青いローブを身に纏った男が座っていた。
「コテツ君、つかさ君と、そして……ザハンさん?」
 ルインフィートは目をまんまるくして、ザハンのほうを見た。傍らのハルマースは、険しい顔をしてザハンのことを睨んだ。
 コテツとつかさは以前より交流のある冒険者仲間で、特にガーラと親交が深い。彼らは人に紛れてひっそりとこの街に流れてきた、『魔族』の青年達だった。特につかさはガーラにとって従兄弟にあたる人物で、ガーラが彼らを連れて来る事は予想がついていた。しかし、ガーラが父親のザハンを連れてくるとは思っていなかった。
 ハルマースは昨晩のこともあって、ザハンに対して警戒心を抱いた。
 そんなハルマースの警戒心を感じ取ったのか、ザハンは微笑むと席を立ってハルマースの側に歩み寄ってきた。
「ガーラ君に、どーしてもって頼まれましてね。私も息子がかわいいもので」
「俺の父さんは頼りになるぜ。なにせ俺のために国一つ潰したからな」
 ルインフィートとハルマース、二人の人間を置いてけぼりにしてその場で笑いが巻き起こった。ルインフィートもつられて引きつった笑いを見せたが、ハルマースは口を真一文字に結んだまま開かなかった。
「やー皆、付き合ってくれてありがとう。これで俺たち生きて帰れるな」
 ルインフィートは何の疑いも無いような清清しい笑顔を連中に向けた。その笑顔に、黒髪の青年コテツが一際サワヤカな笑顔で応えた。
「俺たちトモダチだもんな! 気兼ねなく誘ってくれよ」
「俺は友達だなんて思って無いぞ」
 気のいいコテツとは逆に、つかさのほうは無愛想で不機嫌なそぶりを見せていた。彼は人間が好きではないらしく、ルインフィート達に明らかに嫌な態度を示す事が多かった。
 ハルマースの心の中に『これで大丈夫なのか』という疑念が沸いていた。仲間割れを起こしそうな気配と、護符を手に入れた途端にザハンに横取りされてしまいそうな心配に駆られていた。
 余計な事をしてくれたなといわんばかりの視線をガーラに向けると、彼はそんなハルマースの心中を察したのか、苦笑いを浮かべた。
「じゃあ、行くかな」
 ルインフィートがそう呟いて身を翻すと、他の者達も席を立って彼の後に続いて酒場を出て行った。

 ワートの街のど真ん中、評議会議事堂のすぐ下に地下迷宮は広がっていた。冒険者の登録票を係員に見せて、入口を通してもらって地下へと続く階段を降りて行く。
 中の通路は広いとは言えなかった。横に三人並んで歩くのが丁度いい幅で、前列に戦士系の三人と、後ろに魔術師系の三人が続いた。
 地下一階に出現する怪物たちはどれも彼らにとって敵ではなく、出くわす傍ら向こうのほうから次々と逃げ出していく。難なく彼らは一階の奥まで足を進めて、地下深くへと続くエレベーターの中に入り込んだ。
 エレベーターを利用する為には乗るための鍵と降りる為の暗号が必要だった。各階を探索し、それらを全て集めたときに最下層への道が開けるのである。
 全て集めてしまえば移動はこの上なく楽に進む仕組みだった。何のためにこのような作りになっているのか、冒険者達の間の不思議にもなっていた。ある者は意図的に冒険者を鍛える為の施設なのではと唱え、またある者は時折ここの迷宮の主が地上に出てくることがあるのではないかと噂をしていた。
「えーと、地下十階だな」
 ルインフィートはエレベーターの壁面についているボタンを押した。続けて、降りる為の暗号も入力する。
 唸るような機械音を発して、彼らを乗せたエレベーターは地下へと降りていった。
 数秒でエレベーターが下降を止めて、扉が開いた。初めて踏み込む地下十階は、自然の洞窟を無理矢理加工したような他の階よりも、きっちりと人工的に整えられた壁の通路が広がっていた。
「なんですかね、一体」
 ザハンが興味深そうにきょろきょろと辺りを見回した。道は一本道で、そのまま道なりに進んでゆくと扉が彼らの前に現れた。扉の向こうにはきっと怪物が居るに違いないと感じた一行は、慎重に重い扉を開けた。
 扉を開けたとたんに、目も眩むようなまばゆい光が一行を襲った。
「うわあ!」
 コテツが目を塞いで、よろめいた。彼は光が苦手らしく、よろめきながらずるずるとあとずさった。
 ルインフィートとつかさの二人は光に怯むことなく、前へと進んだ。洞窟を強い光で照らすその者の正体は、球体の光そのものだった。
「光の精霊でしょうか。魔法が効きそうも無いんで頼みましたよ」
 ザハンが後ろでぼんやりと呟いた。後ろに下がってきたコテツに入れ替わって、ガーラが前へと歩み出て剣を引き抜いた。
 ルインフィートとつかさの二人は、ひたすら剣を球体めがけて振っていた。しかし斬っても斬ってもまるで手ごたえがなく、無駄に体力を消耗するだけだった。
「ど、どうすれば……」
 ルインフィートは後ろを振り返って、助言を求めた。しかしハルマースもガーラもザハンも苦笑いをしていた。
「ひたすら斬るしかない」
 ガーラも球体めがけて斬りかかった。三人がかりで何度も斬りつけるうちに球体は輝きを失って、弾けて空中に溶けて消滅した。
「大丈夫か、コテツ」
 つかさがうずくまるコテツに手を差し伸べて、彼を立ち上がらせた。
「あ、ああ、役に立てなくてすまねえな」
 いまだ目が眩んでいるのか、目を擦りながらコテツはよろよろと立ち上がった。
 隊列を整えて、一行は再び歩き出した。道はまだ進んでおり、そのまま道なりに進んでゆくとまた扉が現れた。
「今度はなにが出るかな」
 ルインフィートは再び恐る恐る扉を開けた。扉の向こうには、青く燃え盛る炎の中に、巨大な人影のようなものが浮かび上がっていた。
 頭には角と、大きな蝙蝠のような羽根を携えている。爬虫類的な頭と固い皮膚と太い尻尾を持ったその姿は、地獄より召喚された悪魔の姿そのものだった。
 ルインフィートは直感的に『やばい』と感じた。悪魔の口から煙が漏れて、今にも炎をこちらにめがけて吐き出しそうだった。踏み込むのを戸惑い竦んでいると、脇からするりとコテツが悪魔をめがけて飛び出していった。
 悪魔が炎を吐き出すその前に、コテツが刀を振り下ろして悪魔の身体を二つに割った。鮮やかに真っ二つに切り裂かれたその身体は炎に包まれて、元の世界へと戻るかのように掻き消えていった。
「勇ましいですねえ」
 ザハンが感嘆のため息を漏らした。ルインフィートとハルマースはじろりとそんな彼に目をやった。あまりにものんびりした空気に、やる気があるのかと疑いをかけてしまう。
 魔物を倒してまた道なりに歩いていくと、扉が現れた。扉の向こうの部屋の中には必ず魔物が待ち構えており、力をあわせて一つ一つ確実に倒していった。しかしザハンは基本的に後ろから着いてくるだけで、戦いに参加することがなかった。一体何のためにつれてきたんだよとルインフィートもハルマースも心の中で思ったが、彼が居るというだけでなんとなく頼もしいという感覚はあった。
 そしてザハン以上に、コテツが頼もしかった。彼は光るもの以外は何を目の前にしても怯むことなく、一番に切り込んでくれていた。そして彼は怪我をしても瞬時に傷が塞がるという、特殊な体質の持ち主だった。
 そんな彼らの力を借りて順調に足を進めていくと、看板の立てかけられた扉の前にたどり着いた。ここが最後の扉なのだろう、そう感じて連中は気を引き締めつつその看板に書かれた文字を読んだ。
 ようこそワートの地下迷宮へ
 営業時間:9:00〜17:00
 マスター:アンドウ リュウ
 ただ今マスター多忙につき
 面会は、事前に予約してください
「……………………は?」
 その場に居た誰もが、ため息をついた。苦労してここまで来て、こんなふざけた看板を目にするとは思わなかった。
「どこで予約するんだろ」
 コテツがうーんと考え込んだ。ルインフィートはいやいやと首を横に振る。
「真面目に考えること無いよ。これ、どう考えたって馬鹿にしてるだろ。構わずに中に入るよ。大体誰だよアンドウって」
「……俺のとーちゃんの名前と一緒なんだけど」
 コテツが気まずそうに呟いた。
「え、じゃあ護符に呪われた吸血鬼の一族って」
「……はは、それきっとウチのことだな!」
 ルインフィートの言葉に、コテツは更に気まずそうに頭を掻いて微笑んだ。
 その場を沈黙が支配した。どうやり過ごせばよくわからなくなってしまった一行をよそに、コテツが一人で勝手に扉を開けてしまった。
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