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置き去り事件
 サントアーク国王エルザールが長い視察の旅を終え、帰ってきた。齢はまだ三十になったばかりというところで、若くて活発な国王だった。金色の髪を肩の下あたりまで伸ばし、髭を蓄えている。若いながら王者としての風格は十分だった。「謎の流行病」で若くして妻を無くしたものの、後妻はとっていない。
 エルザールはいわゆる「仕事の鬼」のような男だった。多くの客をもてなし会談の場である食事の時間ですら彼にとっては仕事の一環である。寝る時間と入浴の時間以外はずっと仕事をしている状態なのである。
 当然、子供から好かれる訳もなく、とりわけルインフィートはエルザールに対してあまり良い感情は持っていないようだ。就寝前に父親に会いに行くことはできるが、その時はすでに酔っ払っていてへべれけ状態なのである。
 そしてエルザールは、酒の癖も良くはなかった。仕事の疲れが一気に解放されるのか、異様に気分が高揚してしまうようだ。酒を飲んだ時の国王の奇行っぷりは有名で、専門の護衛官がいるほどである。まず、服を脱いでしまう。それから城の見張り塔の一番高いところまで登り、大声で歌を歌い出すことももはや名物化していた。
 国民や臣下達には愛される国王ではあった。しかしルインフィートやリーディガルにとっては、嫌悪すべき対象以外の何者でもなかった。

 しかし或る日のことである。エルザールも思うところがあったのか、彼は突然休養を取り、息子二人を連れて親子水入らずで近くの山で狩りに出かけたのである。ルインフィートは喜び、はしゃぎながら出かけていった。リーディガルの方はあまり狩りは好きではないらしく、やや腰が重いようだが久しぶりにまともな父親にかまってもらえると思って笑顔で出かけていった。
 しかしエルザールは、やらかしてしまったのである。
 陽が傾き空が鮮やかな緋色に染まるころ、エルザールは特使に連れられて大慌てで王城に帰ってきた。どうしても今日までに終わらせなければならない仕事があったのだ。国家の予算に関する会議があり、これを通さなければ大変なことになってしまう。
 とっさに帰ってきてしまったエルザールは、猛獣が潜む山林に大変なものを忘れてきてしまった。しかもその忘れ物に気がついたのは、会議の真っ最中ですでにとっぷりと日が暮れてからの事だった。抜けるに抜けられず、エルザールはかわりにダルマースと近衛の騎士達を息子達の捜索に向かわせた。
 首都から北東に数Km離れた山林で、少年達は途方に暮れていた。父親が尿意を催して、用を足しに木陰に入ってから、戻ってこなくなったのである。
 半刻も過ぎてしまうと兄弟は悪い想像に駆られて、恐慌状態に陥りそうになっていた。父親はどこか崖のようなところに落ちてしまったのではないか。もしくは猛獣に襲われて……。
「兄さま、兄さま、どうしよう!! 父さまが父さまが!!」
 リーディガルは泣きじゃくっていた。
「大丈夫、大丈夫だよ。あいつは殺したって死なないさ」
 こういうときにはルインフィートの方が冷静だった。弟の手をしっかり握って、山の中を父の姿を求めて散策した。しかしそれは、裏目に出てしまった。
 あてもなく歩きまわってしまったせいで、元いたところに帰れなくなってしまったのである。来た時に乗ってきた馬がどこにいるのか、自分達がどこにいるのかも全くわからなくなってしまった。
 日が暮れてしまうと山はいよいよ、陰鬱さをさらけ出してくる。樹木のざわめきが、まるで呪いの呪文のように幼い二人の心理を揺さぶった。森の闇から、今にも猛獣が飛び出してきそうである。
「うわぁぁぁん!! 狼が、狼が出るよう!!」
 リーディガルは泣き崩れて、一歩も動かなくなってしまった。
「大丈夫だよ、リー。僕が守るよ。
 僕は戦えるよ。ダルに稽古つけてもらってるんだから」
 ルインフィートは必死に弟を励ました。脇にさしてある細めの剣の柄を、強く握り締めた。動きまわっても活路を見いだせず、足も疲れて動けなくなってしまい、二人は巨木の木陰に身を隠した。動きを止めると、山林の空気は冷たく重く二人にのしかかってきた。
「兄さま、寒い……」
 リーディガルは身を縮こまらせ、兄王子に肩を寄せた。なす術もなく、ルインフィートはただ震える弟の小さな肩を抱き締めてやるしかできなかった。
 もうだめなのかな……と、今後の人生を悲観した時、不意にたいまつの暖かい光が二人を照らし出した。はっとして光の方に目を向けると、そこに見慣れた騎士が立っていた。
「ああ……よかった……。
 お怪我などございませんか? 王子」
 ルインフィートとリーディガルは思わず彼の胸目掛けて飛びついていた。今まで気丈にしていたルインフィートは、ぼろぼろと大粒の涙を流して泣き出してしまった。
「ダル……恐かったよ……」
 ダルマースは何も言わず、泣きじゃくる二人の王子の頭を優しく撫でた。

 ひときわ大きく目立つ巨木の下にいたのが幸いしたのであろう。大事に至ることなく二人は救出された。しかし自分達が父親に「忘れられた」事を知ると、小さな王子の心に大きな傷が出来てしまった。
 エルザールと王子達の溝はますますもって深くなってしまったのである。
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