裏切りの歴史
雲ひとつない快晴の日、サントアークの王城には半旗が掲げられていた。今日は前国王が崩御した日で、弔いの儀が執り行われていた。
神官が祈りの言葉を捧げる中、現国王の意向により数人の選ばれた者が前国王の墓前に花を手向けていた。その中にダルマースとハルマースの姿もあった。現国王エルザールと二人の王子の側についている。
神官の祈りが終わると一行は前国王を偲ぶ会食の場所へと向かった。国王と王子達が顔を合わせ食事をするのはまた久しぶりのことだったが、さしたる会話は無かった。
いつもおおらかで豪快な振る舞いのエルザール王はこの日ばかりは神妙な顔つきでうつむきがちだった。
亡き父の想い出が脳裏に浮かぶのであろう。エルザールは父王のことを尊敬していた。
剣豪で、民に優しく、部下を信頼していた良き国王であったが、彼は戦場で命を落とした。
西の大陸の統一を目前とした大戦の最中、国王の援護が薄くなったところを背後から最も信頼していた弟に攻め込まれたのだ。エルザールにとっては叔父にあたる人物が父を殺害したのである。
近くに居た正規の軍隊はすべて叔父の手がかけられていた者たちだった。父王の軍勢の近くで陣を張っていたエルザールの軍も攻め込まれ、壊滅の危機に陥った。
しかし、いち早く駆けつけた傭兵部隊によりエルザールは救い出された。
この傭兵隊はこの戦いでめざましい活躍を見せていた部隊で、その戦いぶりは今も語り継がれているほど凄まじいものだった。中でも隊長のダルマースの能力は凄まじく、素早い身のこなしと怪しい妖術のようなもので何千もの敵を次々と葬り去って行った。
ダルマースは後に将軍家に迎え入れられ、現在のサントアークの大将軍を務めている。そして今、エルザールとダルマースはともに肩を並べ歩いている。
エルザールが極力国政に関わろうとするのはそういった背景があることが原因である。彼は部下を完全に信用することができないのだ。
任せておけばいつ寝首をかかれるか……彼はそういった不安に常に苛まれている。
しかし彼はダルマースのことは信頼していた。自分を真っ先に助けてくれた人物ということもあるが、彼には国政への興味が感じられないからだ。
エルザールの目にはダルマースがただの戦好きの男として映っていた。彼は国王であるエルザールに対して礼儀を欠く行動や態度をとることもある。
しかしエルザールは媚びへつらう事が無い彼のことを悪友のように思っていた。
置き去りにしてしまった息子を助けに向かわせたのも彼ならば間違いなく助け出すだろうと思ったからだ。他の者に息子の捜索を任せたら……事故に見せかけて殺されてしまうかもしれない。
エルザールにとっていつの間にかダルマースは無くてはならない存在になっていた。
夜、エルザールは自室にダルマースを招き酒を酌み交わした。装飾を施された窓から見える外の景色は一面の夜空だった。
二人は小さな丸テーブルを囲み希少な葡萄酒をグラスに注ぎこんだ。濃厚な果実酒の香りにしばし酔い痴れる。深く血のような赤紫が静かに波立った。
ほろ酔いで薄ら笑いを浮かべながらエルザールはダルマースに言った。
「お前はルインに懐かれているようだな」
ダルマースは国王の問いかけにしかめっ面で答えた。
「王子は俺に父性を求めているようだ。
あなたがちゃんと面倒をみないからな」
葡萄酒を喉に流し込むとまろやかな苦味が微熱を伴って体の中を流れて行った。エルザールは苦笑する。
「あの子は強い男に惹かれるのだろうな。わしに似たのだろう。
わしもお前が好きじゃ」
酔っているのだろう。普段の彼ならば絶対に言わない言葉だ。ダルマースは眉を僅かに眉間に寄せた。
「この国では男色は罪なのでは?」
思いもよらぬ答えが帰ってきてエルザールはかっとなった。
「そういう気持ちの好きではないわ!」
不謹慎なことを言う輩を睨み付けたが、笑われてしまった。
「わかってますよ、陛下」
からかわれたことを察すると国王ははっとわれに帰った。
「お前が言うと冗談には聞こえんのじゃ。
知っているぞ、お前は男も嗜むという事を」
エルザールは気色が悪いとばかりに大げさに身を竦めて見せた。ダルマースも少し酔っているのだろう、その仕草がおかしく思えて含み笑いを漏らした。
「大丈夫ですよ。いくら俺でも胸毛のびっしり生えた髭ヅラの親父を抱く趣味は無い」
国の最高権力者を前にしてぬけぬけと無礼なことを言う輩にエルザールはあからさまに気を悪くした。好みといわれても困るが何の遠慮もなく髭面の親父などと言われるとは思わなかった。
「お前は法を犯しているんだぞ。裁判官に引き渡そうか?」
「できるものなら、どうぞ」
ダルマースは自信満々に脚を組んだ。エルザールを挑発するようにグラスを揺らめかせる。
不敵な笑みを浮かべる最強の男を目の前にしてエルザールははっと息を呑んだ。黙って捕まるような男ではないことをよく知っていた。
エルザールはわざとらしく大きなため息をついた。
「くれぐれも教会には知られぬようにな」
「ここの教会はクソだ」
ダルマースは即答した。度重なる無礼な言葉だがエルザールは軽く頷いた。
「わしもあの連中は好かぬ」
サントアークの国教の教会はこの頃とみに力を強くしていた。特に教育や立法に強い影響力を及ぼしこの国の精神を半ば支配しているといってもいい存在である。
国家の決まりは神の教えでもあるのだ。
エルザールは国家は人が治めるものであって神が支配してはならないと先代の父から教えられた。狂信者は時折人への愛情を忘れてしまう。父はそのことで異端であると教会に非難された。
父王を裏切った叔父は熱心な信者で、彼の謀反には教会の意思が少なからず絡んでいるのではないかとエルザールは疑いをかけている。
しかし教会は近年王城とその城塞都市を目に見えぬ敵から守る為に働き、エルザールもその功績を無視できずに権力を与えずにはいられなくなっている。
今教会と喧嘩をして神の加護とやらを受けられなくなったら……この先また謎の病が流行るなどの災害に見舞われるかもしれない。
エルザールは自分が関与できない領域があることに苛立っていた。そしてまた自分も父のように教会に葬られることがあるかもしれないと恐れていた。
「ダルマース」
エルザールは彼に強い眼差しを向けた。
「息子を……守ってやってくれ」
ダルマースは何も答えず、黙ってエルザールを見つめ返すだけだった。
一人で過ごすには広すぎる部屋の大きな天幕つきの寝台にルインフィートは横たわっていた。最上級の寝具に身を包まれ自然に眠気が訪れる。
大きなあくびをしたところで何者かが扉を叩く音が聞こえた。
「誰……?」
ルインフィートは寝ぼけ眼でゆっくりと扉を開けた。向こうに居たのは弟のリーディガルだった。
「兄さま……眠れないんだ……僕……。
いろいろ悪いことを考えてしまって……」
弟王子はうつむき加減で力ない声を出した。ルインフィートはそっと優しく弟の冷えた手を掴んだ。
「おいで、リー。僕と一緒に寝よう」
王子達は寝台に横になると手をつないで寄り添った。お互いの温もりが気持ちを安らかにさせる。
リーディガルはすぐに安らかな寝息を立て始めた。弟の寝顔を見ているうちにルインフィートも自然に眠りに就いていた。
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