帰国
 数日をかけて船はサントアークへと到着した。到着するや否や護衛の騎士に連れられて、港町から馬車で王都ソルティアを目指した。
 サントアークの国土は広大で、港から王都へ移動するのにもいくつかの街を経て数日を要した。
 発展途上の乱雑な冒険者の街に慣れきっていた二人は、自国の街の整然とした風景に時々重苦しさすら感じていた。
 王都に近づくにつれ、ルインフィートの心は暗く沈んでいった。
「父さまは僕を許してくれるだろうか」
「大丈夫ですよ」
 ルインフィートの呟きに、ハルマースが何気なく励ましの言葉を掛ける。ルインフィートは安心したのか、馬車に揺られながらハルマースの肩にもたれかかって、うとうととまどろみ始めた。
 向かい側に座っていたリーディガルは、仲睦まじい二人の様子をぼんやりと眺めていた。
 景色が流れ、やがて懐かしい風景がハルマースの目に飛び込んできた。堅牢な防壁に囲まれた、王都ソルティアが近づいてくる。
 王城の尖塔が、雲ひとつ無い青空に突き刺さらんばかりにそびえ立っていた。
 何一つ変わらない街の風景と、王城の外観。それは自分たちが留守の間も、この国の守護者が変わりなくこの地を護り続けていたという事の証だった。
「もうすぐ、着きますよ、王子」
 自分にすっかりもたれかかって、爆睡していたルインフィートの身体を揺すって目を覚まさせる。いつのまにか向かい側のリーディガルも眠ってしまったようで、ハルマースは彼にも声を掛けて起こした。
 大きな門を潜り抜けて、馬車は王城の敷地に入った。いよいよ自宅に戻ったと言う事を自覚したルインフィートは、ハルマースの腕を掴んで離さなかった。
 父親に対する後ろめたさと、畏れがルインフィートの心を苛んだ。今更なにを怖気づいているのだろうと思い、気持ちを落ち着かせる為に深呼吸をした。
 馬車は通路を通り抜けて王城の中庭まで入り、そこで王子たちを降ろした。城を抜け出す前と変わらない風景がそこにはあった。
 王城勤めの文官と騎士たちが王子の無事の帰還を喜び、恭しく頭を下げて笑顔で彼らを迎え入れた。
「よくご無事でお戻りになられました。長いご留学、さぞかし多くのものを学んでこられたことでしょう」
 その言葉に、ルインフィートはぽかんと固まってしまった。リーディガルがすかさず、ルインフィートに耳打ちした。
「兄さまのお留守の原因は、そういうことになっているんです」
「そ、そうなのか。まあ、似たようなものかな……」
 ルインフィートは空気を読んで、官たちに笑顔を振りまいてその場を凌いだ。
「エルザール様と、ダルマース様がお待ちです。どうぞそのまま広間までお進みください」
 騎士に案内されて、ルインフィート達は中庭から大広間への扉を潜った。ルインフィートはいよいよ緊張してしまい、俯いてハルマースの腕をぎゅっと掴んだ。
「尻の穴がむずむずする」
「なんて事を仰るんですか」
 突拍子も無い言葉に、ハルマースは呆れてため息を漏らした。
「どんな顔して父さまに会えばいい?」
「もう目の前にいらっしゃいますよ」
 ハルマースの冷静な言葉にぎょっとして、ルインフィートは顔を上げた。父王エルザールが、目の前で仁王立ちをしていた。
 ハルマースは一歩下がって、国王に向かって敬礼した。そしてルインフィートから離れて、父ダルマースの側へと移動した。
 ルインフィートの目はハルマースを追ったが、すぐに父王のほうへと向き直った。物凄く巨大に見えた父の姿が、急に現実感を伴って見えた。
「た……ただ今帰りました」
「なんて顔をしているんだ、ルイン」
 エルザールは緊張して固まっているルインフィートの頭を、ぽんぽんと軽く叩いた。豪快な笑顔が、ルインフィートの目の前に迫る。
「疲れただろう? 風呂にでも入るか!」
「えっ」
 強引に腕をつかまれて、ルインフィートはエルザールに強引に引き摺られながら大広間から連れ出された。
 周りにいた者達も皆びっくりしたが、誰も割って入って止めることは出来ず、黙って見送るしかなかった。

 広い浴室の中に、親子二人だけで入った。良く磨かれた石の床に、二人の姿が鏡のように映る。
 窓が大きく取られていて、陽の光が優しく浴室内を照らしていた。
 何も言わずに自分でどんどん服を脱いでいく父親を目の前に、ルインフィートはただ呆然としていた。父親と湯を共にするのは、初めてのことだった。
「どうしたルイン。自分で脱げないのか?」
 エルザールは息子近づいて、その肩に手をかけた。
「ど、どうして急に風呂なんか」
 ルインフィートは父親の手を払いのけて、むすっとして俯いて顔を逸らした。エルザールは少し表情を曇らせ、ルインフィートを抱き寄せた。
 裸の父親の胸が急に目の前に迫って、ルインフィートは気が動転しそうになった。今まで彼が見た事も無いような豊満な胸毛が目に付いて、濃い男の体臭が鼻につく。
 嫌がって離れようとしたが、エルザールの力は強く、ルインフィートを抱きしめていた。
「お前との距離を詰めたい。わしは今まで、お前のことをないがしろにしすぎていた」
「……今更、何を言い出すんですか」
 ルインフィートはエルザールの腕を振り解いて、彼を睨みつけた。
「僕のことなんか、今まで通り放っておいてください」
「そうはいかん。お前には色々、仕事も覚えてもらわないといかん。暫くはわしの側に仕えるように」
「そ、そんな……」
 父親の言葉にルインフィートはいらついたが、反論もできなかった。今までふらついていたぶんを、なんとかして埋め合わせなければ周りのものにも申し訳が無い。
 ぎりりと奥歯を噛み締めて、拳を固めるルインフィートを、エルザールは再び抱き寄せた。
「まずはわしの背中を流してもらおうか」
「なんで……」
 げんなりしながら、ルインフィートはしぶしぶ衣服を脱ぎ始めた。


 ルインフィートはそれから毎日、父親の側に仕えて、食事も入浴も共にするように命じられた。父子の距離は徐々に縮まっていったが、そのぶん感情のぶつかり合いになることも多くなった。
 父親に反抗して、王城を飛び出した後は決まってゼノウス邸に飛び込んでいた。ハルマースと、ダルマースも相変わらずルインフィートには甘かった。
 ハルマースはこっそりと、ルインフィートに王城とゼノウス邸を繋げる地下道の存在を教えた。二人はその通路を使って、たびたび密会を繰り返していた。
 ダルマースは二人の関係を知っていたが、特に深く言及はしなかった。しかし世継ぎが居ないと将軍家の血筋が絶えてしまうので、女性との交遊も持つようにと忠告した。
 世継ぎの心配はルインフィートにも向けられた。ルインフィートは何人もの女性と見合いをさせられたが、どの女性も選ぼうとはしなかった。挙句の果てには、弟のリーディガルに世継ぎの問題を託すような発言もし始めた。

 サントアークを密かに脅かしていた教会は、何者かに黒い部分の内部事情を暴露され、民の信頼を失いつつあった。組織は国の監視下に置かれ、国家の法に対する影響力は急激に衰えていった。
 支配下に置いていた他部族の者達の反発を防ぐために、細かい法律は改変され、人種差別や性差別に繋がるような事柄は一掃された。
 厳しく取り締まられていた同性愛も、おおっぴらにできることではなかったが、罰を与えられるようなことはなくなっていった。
 サントアークに、新しい風が吹き始めていた。

 しかし、王城の地下深くでは変わらずに暗い炎が燻っていた。それは、サントアークが未来永劫抱えていかねばならない負の遺産だった。
 王国の力が暗き闇の方向に向かったとき、その炎は再び燃え上がるだろう。サントアークの地には、常に深い闇が横たわっている。
 戒めを胸に、王家の者は常に正しい方向へと民を導いて行かねばならなかった。



 ルインフィートとハルマースの二人がサントアークに戻って、一年が過ぎようとしていた。季節は夏を迎えて、彼らは短い休暇を貰うことができた。
 二人はゼノウス家の別邸を訪れていた。ルイムの国境近くの、山の奥深い所にその屋敷はあった。冬は吹雪に襲われるが、夏に来るには丁度いい避暑地だった。
 ハルマースにとってこの地は、孤独で寂しい思い出しかない場所だった。しかし、ルインフィートと共に来る事によって、この世間から隔離された場所はとっておきの秘密の場所に変わった。
 二人は屋敷の敷地の森を散歩して、森の清清しい空気を一杯に吸い込んだ。大きな木の幹にもたれかかり、優しい木漏れ日を身体に浴びた。
「静かで、素敵な場所じゃないか。毎年、夏になったらここに来よう」
 目を細めながら、ルインフィートはハルマースに言った。ハルマースも穏やかに微笑んで、ゆっくりと頷いた。そして顔を近づけて、優しくルインフィートに口付ける。
「冬になれば、ここは雪に覆われます。降り積もる雪を眺めて、家の中で暖まるのも悪くは無いですよ」
「ははは、じゃあ冬も来るかー」
 つかの間の休息を、二人は存分に楽しんだ。

 涼しい風が吹いて、二人の髪を優しく撫でた。彼らは寄り添って歩き、邸宅の中へと消えていった。
END
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