心地よい体温
ルインフィートとハルマースは居城を離れ馬車で学園の敷地内へ移動した。赤い煉瓦で作られた塀の脇を辿り、黒い鉄を交互に組み合わせた門を潜り抜けると校舎が見えてくる。
かつては要塞として使われていた建物を改築して作られた建物で、強固な石で出来た外観は無闇に入ろうとするものを威嚇する。広大な敷地には様々な施設が設けられていた。近衛騎士が二人を馬車から降ろし、そのまま校舎内へと導いていった。
学園は例年になく物々しい雰囲気に包まれていた。何故ならば校舎の彼方此方に武装した兵士が立たされているからである。王子が入学するということで、ダルマースにより緊急に配備された者達である。
しかも貴族の多い学園とはいえ騎士をつれて歩く者は他におらず、否応なしに他の生徒の目を引いた。生徒達は彼らを見てひそひそと小声で何事か囁きあった。
二人は今後の学園生活に期待と不安を抱きながらそれぞれ入学・始業式の会場へと臨んだ。ルインフィートと学年の違うハルマースは、彼に一礼すると一人で三年生の列の方へと消えていった。
近衛の騎士はルインフィートにそのまま付き従い、新入生の一団の方へ連れて行ったがそのまま通り過ぎていった。びっくりしてルインフィートは彼を引き止めた。
「ちょっ、ま、待ってよ、一年生はあそこじゃ……」
「ですが、王子には特別に席を設けております」
騎士は清清しい笑顔を見せ、右手のほうを指し示した。そこには来賓席が設けられており、ひときわ豪華な椅子が一つ空けられていた。
「僕は来賓じゃないよ!」
ルインフィートは反射的に騎士に訴えた。騎士は軽く首を横に振った後、またしても清清しい笑顔で答えた。
「ですがあなた様はわが国に於いて大切なお方。
ダルマース様のお申し付けによりあのような席をご用意させていただきました」
ルインフィートはぽかんと固まってしまった。居城の敷地をあまり出たことのない彼は、客観的に自分がどんな身分のものなのかよく知らないでいた。
「僕は普通の生徒としてここで学びたいんだ。
ダルマースに余計なことしないでって言ってくれないか?
あんなところに座るの嫌だよ」
ルインフィートはむっとして騎士に告げて、一年生の列の方へと歩き出そうとしたが、騎士に引き止められた。
「他の生徒が戸惑ってしまいます。
どうかこちらへ来てください」
騎士がそう言うとおり、式場の生徒達はちらちらとルインフィートのほうを伺ってはざわざわと声を淀ませている。
「心優しき謙虚な王子様、どうか我々の気持ちを汲んで下さい」
騎士はまた笑顔を見せると、ルインフィートに手を差し出した。ルインフィートはむくれたまま仕方なくその手を取った。
「君の名前はなんて言ったっけ?」
「ミシェイルと言います」
「ありがとうミシェイル。わかったよ」
ルインフィートは騎士の名を心に刻み、今度ダルマースに会ったときに「余計な指示を出すな」と言ってやろうと思った。
その後滞りなく始業式が終わりルインフィートとハルマースに部屋が案内された。
最初二人にはどこの寮にも属さない、執事と警備付きの特別な離れに住まうことを提案されたのだが、ハルマースはそれを拒否し他の生徒と同じ待遇をして欲しいと望んだ。
ハルマースが身の回りの世話をするということで、ルインフィートも普通の寮に入ることを許された。
寮生たちは最初困惑し恐縮していたが、ルインフィートが気さくで飾らない大らかな王子だったのですぐに馴染む事が出来た。
ルインフィートにはすぐに友達が出来、あまり成績が優秀ではなかったことが親近感を呼び学園の人気者となった。
対照的に生真面目で堅苦しい雰囲気を持っている上にルインフィートに付きっきりでいなければならなかったハルマースは、あまり友達が出来なかった。彼は影で「世話係」「家来」などと言われるようになってしまった。
しかしハルマースは小器用で、様々な分野で才能を発揮した。特に楽器の演奏に秀でていて、専門に学んでいる生徒達にも一目置かれる存在となった。料理の腕も商売人が舌を巻くほどで、知識も深く実習の折には先生達を驚かせた。
ドラグーン王立学園は放課後の部活動が盛んな学校だった。様々な文学部がハルマースの才能を欲しがったが、彼は運動部の剣術部に所属した。
ルインフィートもハルマースとともに剣術部に所属し、将来自分に仕えるであろう騎士の見習い生達とともに身体を鍛えた。
ルインフィートは勉強があまり得意でなかったが、運動神経は抜群だった。少女のようだった可愛らしい風貌は翳り、かわりに男らしい筋肉が付きはじめていった。
ハルマースは技の切れでは誰にも負けなかった。心配された体力面も、無理は出来なかったが通常の訓練には差し障り無い程度まで鍛えられつつあった。
そんなある日のことである。
剣術部の何人かが自主的に走り込みの体力訓練を行っていた。そのなかにはルインフィートとハルマースの姿もあった。
広い校庭内を一定の速度で走り抜けてゆく。蹴り上げる砂煙が夕日の緋色を濁らせた。
ルインフィートとハルマースは自らに課した周分を終わらせ、息を整えながら歩いていた。身体を動かすのが好きなルインフィートには疲労感と汗が心地よかった。
「もう少し走ってこようかな」
まだまだ余力を感じたルインフィートは隣で歩いているハルマースのほうを見た。
その瞬間、ハルマースはルインフィートの目の前で膝から倒れこんだ。
「ハルマース!!」
ルインフィートは慌てて彼の肩を抱いた。表情は青白く、運動をしたというのにその身体は冷たい。
ハルマースは胸を掻き抱き苦痛を訴えた。
異変に気づいた他の部員達が駆け寄り、急いでハルマースを医務室に運び込んだ。緊急にハルマースの専属医が呼び出され、薬の投与を受けて彼はそのまま安静にすることを余儀なくされた。
ハルマースが気がついたとき、あたりはすっかり夜になっていた。
白い寝台に横たわる彼の側にはルインフィートが座って様子を見ていた。青白くなってしまったハルマースの顔に手を添えると、ひんやりとした皮膚の感触が伝わってきた。
「ハルマース……無理をさせてしまったか?」
ハルマースは身体を起こそうとしたが、崩れ落ちてしまった。体が鉛のように重く感じられた。
急な発作に見舞われたのはずいぶん久しぶりなことで、彼は自分が病気だということをすっかり忘れていたのかもしれない。
「心配をおかけして申し訳ありません、私の自己管理が甘かったようだ」
再度ハルマースは身体を起こそうとしたが、やはり無理だった。いたたまれなくなってルインフィートは彼の手を掴み、強く握り締めた。
「僕も君が病気だということをすっかり忘れていた。
つい調子に乗って無理をさせてしまった」
「いえ! そんな……」
暗く沈んだ表情のルインフィートを見てハルマースはいっそう胸が痛んだ。
ルインフィートはハルマースの手を握ったまま、言い聞かせるように彼に語りかけた。
「僕は時々思うんだ。
君なら……無理して騎士に成らずとも他にいろいろ就ける職があるのでは?」
ハルマースは首を横に振った。その表情は悲しみに満ちている。
「私は将軍家の男です。騎士に……ならなければ」
力ない声でハルマースは呟いた。
ルインフィートは悲痛な声で答えた。
「そんな事言っても、無理が祟って死んじゃったりしたらどうしょうもないじゃないか」
ハルマースは仰向けのままルインフィートから顔を逸らし、目を伏せた。ここには自分よりも身体的に優れた生徒達がたくさん居る。
自分が世話をするはずの王子に世話をされている状況に、ハルマースは己の不甲斐なさと悔しさに歯噛みした。
ルインフィートは誰からも好かれ、常にその周りは他の生徒達の笑顔で溢れている。
自分が居なくても……良いのではないかなどと後ろ向きな想いが脳裏をよぎった。暗い気持ちが強くなるにつれ、胸の奥が苦しくなっていく。
不意に、ハルマースは頬に冷たい物が垂れてきたのを感じた。はっとしてまぶたを開くと、目の前にルインフィートの顔が迫っていた。
蒼く大きな瞳には涙を溜め込んでいた。
「ハルマース、苦しいの? 体、冷えてるよ……」
ルインフィートの暖かい手がまたハルマースの頬に触れてくる。おもむろにルインフィートは寝台に上り、彼の側に寄り添った。
「お、王子……!?」
ハルマースは驚き、起き上がろうとしたが、やはり無理だった。
ルインフィートはハルマースに覆いかぶさるようにしっかりと身体を寄せた。かつて弟と一緒に寄り添って寝たときのように。
「僕が暖めてあげるから、早く良くなって……ハルマース」
ハルマースは気が遠くなりかけた。
ルインフィートの暖かな体温が直に感じられる。しっかりと脈打つ心臓の鼓動も聞こえてくるようだった。
ハルマースは恥ずかしくて気が動転してしまったが、一呼吸置いたら自然と落ち着きを取り戻した。
彼の暖かさと生命力に包まれて、不思議と気持ちまで軽くなっていくのが感じられた。胸の苦しさも薄れ、暖かい血液が正常に循環し始めたようだ。
なんて心地よい存在なのだろう。ハルマースは愛おしさに思わずルインフィートの髪を撫で上げた。
ルインフィートの肩が一瞬ぴくりと震えた。ほのかに頬に朱が走る。
「あの……ルインフィート様」
黙って二人の様子を伺っていた医師が気まずそうに問いかけた。
ハルマースは急に恥ずかしくなりルインフィートの身体をどかしかけたが、ルインフィートは退かなかった。
「今日は僕たちはここで休むことにする。
別に構わないだろ?」
医師はルインフィートの言葉に反論することは出来なかった。
サントアークでは同性愛は禁じられているが、まだ幼い少年同士間違った感情など抱いてはいないのだろうと医師は判断した。
次の日ハルマースは無事に回復し、普段どおりの授業を受け部活にも参加した。ルインフィートに心配されたので走り込みはしなかったが、軽い運動で身体を慣らした。
そして夜、ルインフィートは勝手にハルマースの寝台の中にもぐりこんだ。
ハルマースは驚いたが嫌ではなかったので、ルインフィートの体温と息遣いを感じながら眠りに就いた。
以前弟と添い寝することが多かったルインフィートは、一人で寝るのが少し心細かった。
今まで一人で過ごすことが多かったハルマースは、ルインフィートの暖かさに心が安らいだ。
一度発作を起こすと今までは暫くは動けなかったものだが、一日で回復できたのはルインフィートのおかげではないかとハルマースは思った。
彼と一緒に居れば、この謎の病気も克服できるのではないかとそんな希望を持ち始めた。
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