NEXT
闇の奴隷
 ダルマースは軍事会議中に、息子が倒れたという知らせを受けた。会議を終えてから急いで付き人も付けずに一人で学園へ向かった。
 しかし会議は長引いてしまい終わる時刻が遅くなってしまった。その上王城から学園までは結構距離があり辿り着くのに時間がかかってしまった。
 学園に到着したとき既に夜は更けてしまい、正門は閉ざされていた。彼は裏口から入れてもらい、早足に医務室に入った。
 医師の案内を受けて、静かに寝室に入ると、そこで息子のハルマースは安らかな顔をして眠っていた。
 そしてその脇にはルインフィート王子の姿があった。王子はハルマースにぴたりと寄り添い、彼もまた安らかな寝息を立てて眠っていた。
「声をかけてゆかれますか?」
 問いかけてくる医師に、ダルマースは首を横に振った。
「いや……起こさない方がいい。
 王子のお側にいれば大丈夫だろう」
「どういうことですか?」
 医師は軽く腕を組み不思議そうに、眠る二人の姿を眺めた。
「私は長年ハルマース様のことを診て来ました。
 不思議だ……ルインフィート様が側にいるだけで、こんなにも早く症状が軽くなるなんて」
 医師の言葉に、ダルマースは軽く微笑んだ。
「王子のお力だ」
 医師はきょとんとしてダルマースの顔を見た。
 ダルマースは普段あまり人に見せないような、穏やかな表情をしていた。
 医師は納得したような、しないような、微妙な心境になったのか、小首をかしげてもう一度眠る二人の姿を眺めた。
 二人はますます密着して寄り添っているかのように見えた。
 医師はなんとなく恥ずかしくなって、二人から視線をそらし、ダルマースに問いかけた。
「今晩はここに泊まって行かれますか?」
 ダルマースは軽く頭を横に振った。
「いや、俺は帰る。
 ここに俺が来た事は黙っておいてくれ。
 息子がかえって気を使うだろう」
 ダルマースは静かに二人の眠る寝台の脇に近寄り、彼らの寝顔を眺めた。
 いとおしげに目を細めるダルマースの姿に医師はしばし呆然となった。彼は数年もの間ハルマースの主治医をしており、ダルマースと接することも多かったが、このような優しい表情などあまり見た事がなかった。
 しかしダルマースは直ぐにいつもの険しい目付きに戻り、黙って部屋を早足に出て行った。ダルマースは足音も立てずに瞬く間に学園の敷地から姿を消した。


 馬を走らせ、ダルマースは自分の邸宅へと戻った。
 ハルマースが学園の寮へと行っている為、ゼノウス邸は以前にも増して静寂に包まれていた。
 ダルマースは不吉な予感を胸に、半ば走るような勢いで自らの寝室へと向かった。
 外は庭木のさざめきが無気味に響き渡り、不吉な黒い鳥が夜空から羽ばたきの音もさせずに静かに舞い降りた。
「チッ……!」
 ダルマースはその鳥を見て舌打ちをした。鳥はダルマースの姿を見つけると、窓を通り抜けて部屋の中に入ってきた。
 ダルマースはその鳥を左腕に止まらせて、本棚を横にずらして隠し部屋へと移動した。部屋の中は様々な武具が並べられ物々しい雰囲気に包まれていた。
 そして中央には幾何学模様に彩られた魔法陣が張られている。その魔法陣に鳥を放つと、その鳥はたちまちに姿を変えて人の形を現した。
 黒い服を身にまとい、血の気が通っていないかのように無機質な白い肌をした女の姿だった。黒い髪は肩の上で乱雑に刈り揃えられ、その白い頬や顎に影を落としていた。
 そして無気力な双眸の上のその額には、第三の邪悪な赤い瞳がぎらぎらと暗い光を放っていた。
 しかしこの女の身体は実体ではないようで、半透明で向こうの壁が透けて見えていた。そのゆらめく女の影の前に、ダルマースはゆっくりと跪いた。
 女は無気力な瞳のままで、ダルマースに声をかけた。
「久しぶりね……」
 かろうじて聞こえる程度の、抑揚が無くかぼそい声だった。
「お前は相変わらずここでの生活を楽しんでいるようで……」
 そう言われて、ダルマースは眉間に皺を寄せた。女は無表情のまま言葉を続けた。
「自分の任務は忘れてはいないだろうな?」
 女の無気力な瞳が細められ、額の瞳はいっそうぎらついた。
「は……」
 ダルマースは俯いて、軽く返事をした。女は跪く彼の頭上を虚ろに眺めながら言葉を続けた。
「お前の心に……揺らぎを感じる」
 ダルマースは黙って女を見上げた。その顔は睨みつけるような険しい表情だった。
 女は口元を微かに緩めて薄ら寒いような微笑を見せた。
「勤めを果たせぬようであれば……その時は」
 女はゆっくりとしゃがみ、跪くダルマースの顔を覗き込んだ。そして彼に顔を近づけ、耳元で囁いた。
「……お前の……息子を頂こう……」
 そして女はくすくすと笑いながら立ち上がり、空気に溶け込むようにして姿を消した。
 彼女が去った後には、魔法のインクで綴られた書が残されていた。一見ただの羊皮紙だが、ダルマースが手をかざすと文字が浮かび上がった。

月が真昼の太陽を覆い隠すとき
太陽の皇子の血肉を捧げよ
炎の中より闇の魔王が蘇り
世界は暗闇に包まれ
真の静寂と安息がもたらされるであろう

 冒頭にはこう書き記されていた。その後に、具体的なダルマースへの指示が書き記されていた。
 サントアークの王城の地下は、幾多の抜け道や水路などで迷宮のようになっていた。そしてその隠し通路の奥に炎の神殿と呼ばれる巨大な聖堂がある。
 場所は秘密にされており、位の高い聖職者や王家の者にしか知られていない。
 羊皮紙には主に、その地下の地図の作成し炎の神殿の位置をつきとめよといった指示が書き記されていた。

 ダルマースは奥歯を強く噛み締め、地面に強く拳を打ちつけた。
「俺は……死ぬまで賢者の奴隷か」
 ダルマースは立ち上がり、懐から煙草の入れ物を出した。一本取り出して火をつけ、煙を吸い込んだ。
 忘れた頃に、ダルマースの本当の雇い主……ルイムの七賢者のうちの一人の、死霊魔術師レイアは彼の前に姿を現す。
 そして忠告の言葉と共に仕事を与えてくるのだ。
 彼は部屋を出て、本棚を元に戻して寝台の上に腰を降ろし、窓の外を眺めた。
 月の無い暗い夜だった。
 胸騒ぎがして、ダルマースは寝付くことが出来なかった。横になり無理をして瞼を閉じると、忌々しい過去が脳裏に走馬灯のように浮かんでは消えていった。

 ダルマースはルイムの賢者の部下だった。
 物心がつく前に奴隷として買われ、身体能力を鍛える為の施設に入れられて徹底的かつ非人間的な教育を受けた。
 類稀なる才能を発揮して、超人的な能力を身に付けた彼を最初に雇ったのはキルヒという占星術師だった。
 キルヒは少年愛の性癖があり、年端も行かぬ美少年ばかりを集めていた。
 やがて年数が経ち、キルヒはたくましく成長してしまったダルマースを死霊魔術師のレイアに引き取らせた。
 ダルマースはレイアの命ぜられるままに働いた。人間的な感情というものとは無縁の環境で生かされていたために、どんな非人道的な任務も黙ってこなしていった。

 死霊魔術師レイアはサントアークに個人的な怨恨があった。サントアーク地下の炎の神殿に、彼女の崇拝するものが封じられているという。
 しかしサントアークの土地は太陽神に護られ、レイアは直接赴いて活動するという事が出来なかった。その為何人かの部下がサントアークへ潜伏調査を命じられた。
 ダルマースはサントアークの傭兵隊へと入隊させられ、軍の情報を探ることを命じられていた。
 ダルマースにとってはそれが初めての外界での生活だった。
 最初は集団生活に慣れずに孤立していたが、戦いが繰り返されるにつれ並外れた活躍を見せるダルマースを周りの者が放っておかなかった。
 彼の側にはいつしか彼を慕う者達が集まり、一つの軍隊として結束を見せるようになっていった。ダルマースはそこで、仲間意識というものを学び、人情というものを知った。
 彼は自分の本来の任務を半ば忘れて、心の赴くままにサントアークの一兵士として戦った。
 ダルマースの武勲は上層の者達の目にも留まるようになり、やがて正式に騎士として登用された。
 そして彼は当時の将軍の娘と出逢い、恋に落ちた。将軍の娘は優れた女戦士でもあり、共に戦う内にお互い魅かれあっていった。
 やがて戦乱は終わりを告げ、ダルマースは功績を称えられて将軍家へ婿養子として迎え入れられた。
 二人の仲を反対するものも多く、苦難も多かったがタルマースは妻との間に子供をもうけることができた。
 生まれた男児はハルマースと名づけられ、将軍家は跡取りの誕生に慶びに沸き立った。
 しかしそんな矢先、宮廷内に謎の病が流行りだしたのである。
 ダルマースに対して疑念を抱いていた者達が多く倒れたため、彼が妖術を使ったのではないかと噂された。病はとどまることを知らず数年をかけて蔓延し、ついにはダルマースの妻や将軍家の者たちまでもが命を落とした。
 ダルマースは裁判にかけられたが、証拠も何もなく国王であるエルザールが彼を擁護し、罪を問われることはなかった。
 謎の病の件に、ダルマースは本当に関与はしていなかった。
 レイアからそういう指示は受けていなかったし、そういう予定を聞かされてもいなかった。恐らく別のレイアの息のかかったものが仕組んだ呪いだろうと感じていた。
 そしてその人物が誰なのか、ダルマースは知らされていない。
 ダルマースは病が息子に降りかかることを恐れ、早急にハルマースを山奥の別邸へと隠すように移した。
 しかし既にハルマースは病に侵されていた。それは流行のものとは違う別の症状の病だった。

 ダルマースの心の変化を感じ取ったレイアの手の者が、彼を戒める為に密かにハルマースに呪いをかけていたのだ。
 ダルマースはレイアにますます従うしかなかった。勤めを怠ったとき、その反動は自分ではなく息子の身体に響くのだ。

「ハルマース……」
 思い悩み、ダルマースは起き上がり寝台の上に腰をかけ、頭を抱え込んだ。今後の指示のことを考えると、気が重くて仕方がなかった。
 指示書の冒頭の文が頭の中で反芻する。あの文章は王子の殺害を指示しているのだ。
「ルインフィート様……」
 ダルマースは自分を呪った。王子を殺さなければ息子の命が奪われるのだろう。
 人を殺すなどたやすいことだと思っていた頃が懐かしく思えた。昔のダルマースなら王子であろうと誰であろうと躊躇いもなく殺しただろう。
 しかし今の彼は違った。
 何の疑いも持たず自分に懐いて来た王子に情が移ってしまっている。彼は自分がこのような感情に苛まれるとは思ってもいなかった。
 ダルマースは必死で打開策を模索した。
 息子も王子も死なせずに済む方法を。

 ダルマースは無意識のうちに、サントアークの将軍として生きる道を選んでいた。
NEXT
Novels Index/Home