穏やかな休暇
月日は瞬く間に過ぎて、ルインフィートとハルマースが学園に入学してから既に一年が経った。学園は次の年に向けて暫くの休暇に入ろうとしていた。
学生達は皆一旦生家へと帰り、そこで一年の疲れを癒し、新年度に向けて準備をしなければならなかった。
ルインフィートとハルマースと同じ寮の生徒達も皆、慌しく帰省のために荷物をまとめたり、色々な準備に追われていた。ルインフィートも自分の荷物をまとめようとしたが、ハルマースが自分の荷物よりも先に手際よく彼のぶんを片付けた。
ハルマースは王子に良く仕えていた。しかし時折その世話は行き過ぎる位だとルインフィートは子供ながらに感じていた。
他の生徒達は皆、自分のことは自分でなんでもするのに、ルインフィートはいまだに服の着替えも満足に一人ではできなかった。なにもかもハルマースが手取り足取り面倒を見ていた。
「僕はこれでいいんだろうか?」
ルインフィートはふと言葉を漏らした。
「何が、ですか?」
ハルマースは自分の荷物をまとめながら、手を止めてルインのほうを見た。ルインフィートはハルマースがまとめた荷物の箱の上に座り、少し俯いた。
「僕はこの一年でどれだけ成長した?
なんでも君に頼りっぱなしじゃないか」
その言葉を聞いて、ハルマースは少し笑顔を綻ばせた。
「見違える程成長されましたよ。
ずいぶん背も高くなられましたし」
「いや、そうじゃなくてさ……」
確かにルインフィートの外見はこの一年で成長していた。背も同学年の物からしたら高いほうであり、筋肉も鍛えた甲斐があってつき始めていた。まだまだ子供の域を出ないものではあったが。
「僕は、内面的な事を言っているんだ。
なんでも君に頼りっぱなしじゃないか」
ルインフィートは手を広げて見せ、ハルマースに問いかけた。彼のそんな問いかけに、ハルマースは表情を曇らせた。
「私のことがご不満ですか?」
ルインフィートは慌てて首を横に振った。
「いや、なんでそうなるのさ。
僕は、その、僕も皆のように自分のことは自分でやらなきゃって……」
ルインフィートはまた、少し俯いた。
「ルインフィート様……」
ハルマースは彼にそっと歩み寄り、前に軽く跪いて手をそっと握り締めた。
「あなたは将来この国を導いてゆくお方です。
雑務に手を煩わせることなどあってはならないのです」
ハルマースは生真面目な瞳でルインフィートを見つめた。
「雑務って言うか」
「このハルマースが生涯あなたのお世話をさせて頂きます。
何も不安などありませんよ」
ルインフィートの言葉を遮って、ハルマースは更に熱く彼を見つめた。しかしルインフィートは顔を横に振り、反論した。
「君はダルのあとを継いで将軍になるんだろ。
僕の面倒ばっかり見てられないぞ」
「大丈夫です。私が継ぐ頃のサントアークはきっと平和ですから。
軍人は暇になるはずです」
「おい……」
ルインフィートは呆れてため息を漏らした。
「じゃあ僕は一生君の世話になるぞ。いいのか?」
「光栄です」
ハルマースは真面目そのものの表情でルインフィートに答えた。
支度を終え、二人は寮を出て表に待たせてあった馬車に乗り込んだ。
馬車に揺られ、ルインフィートは眠気を催してうとうととまどろんでいた。隣に座っているハルマースにもたれかかり、肩に頬が触れ髪が揺れた。
ハルマースはルインフィートの体温が心地よく感じられ、そのまま彼を動かさずにそっと見守っていた。
窓の外を見ると、徐々に王城の尖塔が近づいて見えてくる。
ハルマースは胸に寂しさのようなものがこみ上げてくるのを感じていた。城についてしまったら、ルインフィートとは別れなければならない。
「ルインフィート様……」
小さな声でハルマースは呟いた。ルインフィートはハルマースの直ぐ脇で、規則的な寝息を立てている。
すっかり眠っているのだろう、そう思ってハルマースは優しく彼の髪を撫でた。
「なに?」
ハルマースの予想は外れて、ルインフィートは完全には眠っていなかった。彼は顔を上げ薄目を開けてハルマースを見上げた。
ハルマースはルインから視線を逸らし窓の外を見た。
「もうすぐ……ソルティアです。
少しの間、お別れですね」
「ハルマース、ゆっくり休養するんだよ。
いつも僕の面倒を見てくれて本当にありがとう」
ハルマースはルインフィートに思いがけない言葉をかけられて、胸が熱くなった。
ハルマースは何か言おうとしたが言葉につまり、口ごもっている間にルインフィートが更に言葉を続けた。
「来年もよろしくね」
ルインフィートの笑顔にハルマースは返事をするだけで精一杯だった。
やがて馬車は門を潜り抜けて王城の敷地に入り、庭園を抜け城の正門の前まで進み動きを止めた。そこには近衛の騎士が数名と、ダルマースとリーディガルの姿があった。
ルインフィートが馬車から降りると真っ先にリーディガルが彼に駆け寄った。
「にいさま、お久しぶりです!」
リーディガルは兄に会えたのがよっぽど嬉しかったのか、飛びつくような勢いで彼に抱きついた。
「はははげんきそうでよかったよリー」
ルインフィートはリーディガルの勢いに気圧され、半笑いに陥りながら彼の背中を撫でて宥めた。
ハルマースも馬車から降りて、父の元に進んで挨拶を交わした。ダルマースは息子の無事を確認すると、安心したのか自然に笑顔がほころんでいた。
そしてダルマースはルインフィートの方へと歩み寄った。弟の抱擁から解放されたルインフィートも、急いで将軍のもとへと歩み寄っていった。
ダルマースはルインフィートの前に跪き、敬服の意を示した後に顔を上げて王子の姿を見つめた。
「ルインフィート様、大きくなられましたな」
「背だけはね」
ルインフィートは照れくさそうにはにかみ笑いを見せた。彼はダルマースの手をとって立ち上がらせると、その胸に抱きついた。
ダルマースもルインフィートの背中に腕をまわし、優しく抱きしめた。以前よりも確実に体格の良くなった王子の成長ぶりを肌で感じ、ダルマースは微笑んだ。
「そのうちハルマースに追いつきますな」
ダルマースはルインフィートの頭頂部に手をかざして、息子の方を見た。
「……お前も随分でかくなったな」
ハルマースはルインフィート以上に背を伸ばしていた。
「ハルマースは学年で一番大きいんだよ!」
ルインフィートが自分のことのように嬉しそうに言った。
お互いの成長を確かめ合い、和やかな雰囲気の中で一人不機嫌そうに腕を組み、しかめ面をしているものがいた。
リーディガルである。彼はこの一年、少ししか背が伸びなかったのだ。
「背が高いから何だって言うんです」
彼はあからさまに不機嫌な態度をとり、ダルマースを睨みつけた。そして胸をやや張るように、自信のありげな姿勢をとって言葉を付け加えた。
「この世の中、頭の良い者が強いのですよ」
「ハルマースは学年で一番成績が良いんだよ!」
間髪をいれずに、ルインフィートがまた嬉しそうな声で言った。
「にいさま!」
リーディガルは拳を強く握り締め、ルインフィートを睨みつけた。
「にいさまは僕よりもハルマースのほうが優れているというのですか!?」
弟の言葉にルインフィートは呆然となった。
「そんなこと一言も言ってないよ」
ルインフィートはリーディガルに近寄り、頭を撫でて宥めすかした。
「リー、君は僕の自慢の弟だ。
僕は君を一番頼りにしているよ」
「本当ですか? にいさま」
満面の笑顔を兄に返されたリーディガルは、途端に機嫌を良くして微笑んだ。
ルインフィートは笑顔をそのままに、ダルマースのほうを伺った。
「ダルもそう思うだろう?
僕の弟は世界一だ」
「そうですね」
ややはにかんだ笑顔でダルマースは答えた。
談笑の後、城の大広間にて王子の帰還と成長を祝って祝宴が開かれた。
そこには国王エルザールの姿はなかった。彼はまた視察の旅に出ていて、王都ソルティアにはいなかった。
代わりに使いのものが手紙を託され、ルインフィートに手渡したが、その手紙が読まれることはなかった。
休暇の日々は穏やかに過ぎていった。
ルインフィートは別れの感傷に浸ったのもつかの間、相変わらずダルマースの邸宅に入り浸っていた。
しかしリーディガルも一緒についてくるようになり、そう長くは遊んでもいられなかった。
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