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夜道探索
 嫌な胸騒ぎがして、長髪痩身の青年ハルマースは目を覚ました。薄暗い部屋の中を見渡すと、いるべきはずの存在がいない。彼は一瞬にして底知れぬ緊張感に捕らわれた。
 しかし、こういう事は今に始まった事ではなかった。彼の主君は彼が眠っている隙にしょっ中部屋から抜け出して、近所の公園で間食していたりするのである。迎えにいくか……と、青年はふらふらと歩きはじめた。

 ハルマースは、いつもルインフィートがこっそり抜け出してくつろいでいる公園に行った。そこで彼の緊張は不安へと変わっていった。至る所くまなく探しても、ルインフィートの姿がどこにもなかった。
 誰かにさらわれでもしていたらえらい事態だと、ハルマースは少ない血の気をさらに減少させた。彼の身になにかあったらとりあえず腹を切らねばならないと、生真面目なハルマースは思い込んでいた。
 ハルマースはルインフィートを探す為に、一人で夜の街をあてなく彷徨うのは、効率が悪いだろうと考えた。とりあえず、冒険者仲間のガーラを訪ねて協力を要請してみるしかない。
「チッ……」
 ハルマースは舌打ちした。彼はガーラの事が嫌いだった。ガーラの瞳は悲しみに曇り、底の見えない闇が映っている。心の奥底に、何かよくないものを溜めこんでいるに違いないと確信している。
 しかし事態が事態だけに、個人的な感情は押し殺さなければならない。
 ハルマースは公園から出てまっすぐ、ガーラの住む家へと向かった。

 こんな夜更けに訪ねて行くのは、彼の他の家族にとってかなりの迷惑かもしれない。しかし、なんとかルインフィートを捜し出さねば、生きた心地がしないのである。早歩きで向かうその時、ハルマースは突然後ろから何者かに声をかけられた。
「こんな夜更けに、どこへ行くのです?」
 ハルマースは不意をつかれて飛び上がりそうになった。現れたのは小柄な魔術師だった。ゆったりとしたローブを身に纏い、穏やかな微笑みをたたえている。ハルマースは精神の鍛錬により、生き物の気配を察する術を体得している。なのにこの男からまったく気配を感じられなかった。
 顔には見覚えがあった。ガーラの世話をしている魔術師だ……と。得体の知れない存在感と、圧迫感に押しつぶされそうになる。
「顔色が優れないですね。
 ひょっとして、あの子の事が心配で?」
 小柄な魔術師は、背の高いハルマースの顔を見上げるようにしてのぞき込む。大きな青い瞳が、彼の顔をじっと見つめていた。心の中を見透かされているような気分になり、ハルマースは魔術師から目線をそらした。
「あの子って……」
「王子様ならガーラ君と一緒ですよ。
 うちに来てもらっています」
 にこにこしながら魔術師は言う。しかしハルマースは『ガーラ君と一緒』という事が気に食わずに、明らかに不愉快な表情になっていた。
「それは申し訳ない、今すぐ連れ戻しに行きます。このような夜更けまでお邪魔しては悪いでしょう」
 むすっとふてくされたような表情で、ハルマースは魔術師に告げた。しかし魔術師は、ハルマースの手をそっと握り締めて首を横に振った。
「私が頼んで来て貰ったのです。申し訳ないのはこちらのほう。
 最近私の息子……ガーラ君が少し元気が無いのです。明るくてお優しい彼に側に居てもらえれば、ガーラ君もきっと元気を出してくれるだろうと思いまして……」
「む、息子ですと」
 ハルマースは耳を疑った。目の前の魔術師の姿は、二十代の若者にしか見えない。下手をすると、ガーラよりも若く見える。
 驚きを隠せずに見つめてしまうと、魔術師はにこりと穏やかな微笑みをハルマースに返した。
「王子様のことは心配なさらず、私が責任を持って預かります。お帰りの際は、ガーラ君に付き添ってもらいますから」
「は、はぁ……。わかりました。お世話になります」
 ガーラと一緒ならば、王子の身はとりあえずは安全である。そこらへんの夜道をふらつかれるより、ずっとよかった。たくさんの冒険者が住まうこの町はお世辞にも治安がいいとは言えなかった。
 ハルマースは魔術師の言葉を信じて、部屋に戻って王子が帰ってくるのを待つことにした。彼の家には他の家族もいることだし、夜遅くによその家に訪ねて行くのも非常識極まりないと思い直した。
――心配しなくても、すぐに帰って来るだろう。

 しかし、彼は選択を誤ったと、後悔するはめになった。

 もう何時間経ったのだろうか、ルインフィートは一向に彼の元へは帰ってこなかった。こんなに長い時間離れたのは、旅に出て初めての事かも知れない。警護という名目上、いつも彼の側に付き添っていた。いつも二人は一緒だった。こうしていなくなってしまうと寂しいもんだなと、ハルマースはため息をついた。
 ハルマースは窓の外を見上げた。満点の星空に、恐い位に美しい満月が淡い光を掲げていた。

 ハルマースは不意に、ぞっとした。月の裏側には恐ろしい魔物が住んでいる。彼らの国ではそう伝えられ、満月は魔の象徴として認識されてきた。その美しさに見惚れてはいけないと伝えられてきた。ハルマースは慌てて窓を閉め、窓に添え付けの布で覆い月光を遮断した。
 不安が彼の胸にくすぶった。ルインフィートは安全な場所にいるはずなのに、妙な胸騒ぎがして落ち着かず、目を閉じても眠る事ができなかった。
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