緊張の朝
結局夜が明けても彼は帰ってこなかった。ハルマースは一睡も出来ずに朝焼けを見た。
一体何事だろうかと、ハルマースの胸は苦しくしめつけられていた。彼はふらふらと立ち上がり、洗面所に行き常用薬を水と飲み込んだ。薬を飲むと少し気分的に楽になるような気がした。
今直ぐにでも駆け出して、ルインフィートを迎えに行きたかった。しかし、彼の意志とは裏腹に体は言うことを聞いてくれない。もう自分は長いことないのかも知れない。ハルマースの脳裏には常にその不安が焼き付いていた。
ルインフィートは安全な場所にいるはずである。なのにこの不安はなんなのだろう。ハルマースは自問する。自分じゃなくとも、彼を守れるものはたくさんいる。
しかし自分以外の誰かが彼の側にいるのを、何故か見たくはなかった。ルインフィートとガーラが親しげに話している姿などは特に、最も見たくない光景だった。
――これは……嫉妬だ……。
ハルマースはようやく自分の気持ちに気づく。ルインフィートの事が主従という関係を越えて、特別な存在であると言う事に。
どうせ長くはない命なら、残された時間をありったけ燃やしてしまおう。ハルマースはそう決心すると、重い身体を引っ張るようにして部屋の外へ足を踏み出した。
もう踏みとどまってなんかいられなかった。身体が僅かでも動く限り、気力を振り絞って進むしかなかった。
ルインフィートは、わけもわからず自分を強姦した者の部屋で朝を迎えた。部屋の主、ガーラはもう目が覚めたのか部屋にはいなかった。
身体のだるさが昨夜の行為を思い出させる。出来れば夢であって欲しかった。まどろむ意識の中彼は後悔の念に駆られていた。
自分の身を心配しているであろう一人の男を想って。
「ハルマース……」
誰も居ない部屋の中で気持ちが緩んだのか、ルインフィートの瞳からほろりと涙がこぼれ始めた。
例えようの無い喪失感が彼を苛んだ。何を失ったわけでもないというのに、心にぽっかりと穴を空けられたような気分だった。
「ハルマース……」
もう一度彼の名前を呟き、うつ伏せになって枕に顔を埋めた。想いを心の奥底に封じ込めるように、息をぐっと飲み込む。
すっと前、王城に居る頃から彼のことが好きだった。しかし、サントアークでは同性愛は認められていない。
友として、自分の側近として側に居てもらうだけで幸せだった。しかし、ガーラに犯される事で皮肉にも男同士の性行為を知ってしまった今、閉じ込めていた想いが溢れてしまった。
胸が張り裂けそうに苦しいが、自業自得であることも彼は自覚していた。夜勝手に外にふらふらと出歩いたのがそもそもいけなかったのだ。
自分を犯したガーラのことを責めようとも思えなかった。彼には恩があり、普段はとても頼りになる仲間だ。
普段は心優しく、聖職者の鑑のような彼の突然の凶行には何か訳があるに違いない。自分が彼に貫かれる直前に見てしまった、彼の蒼白な表情が脳裏に思い出される。
あの一瞬、彼は「素」に戻っていたのだ。
彼の苦しみを一瞬でも見てしまった以上、無関係ではいられない。
ルインフィートは自分の想いを押し殺し封じ込めて、ガーラの抱える闇を探り、少しでも力になってやろうと心に決めた。
ガーラは庭で神への朝の祈りを捧げていた。一寸の曇りもなく晴れた朝だった。朝の清涼な空気を肺いっぱいに吸い込んで、彼は身も心も非常にすがすがしい気持ちで天を仰いだ。
その時、ガーラは異様な迄の殺気を感じて背後を振り返った。そこには、背の高い痩せた長髪の青年がおもいっきりガーラを睨みつけて佇んでいた。
「や、やあ……おはよう……」
ガーラは少し気負されながら彼に微笑んだ。青年……ハルマースは今にもガーラを斬り捨てにかからんばかりの不機嫌さで問いかける。
「いるんだろ……? ここに……」
「まだ……寝てるよ」
ガーラがそう一言答え終わらない内にハルマースは家の玄関へ向かっていった。
「寝ていたって構わない。とにかく帰してくれ」
彼は勝手に扉を開け、足早に玄関に入り込んだ。
「朝早く申し訳ありません。お邪魔させていただきます」
彼は大声で、一言口上を述べた。何事かと一人の青年が奥の部屋から飛び出してきた。
「あ、あなたは……!?」
料理でもしていたのだろうか、前掛け姿の右手にはおたまが握られていた。一見女にしか見えない美貌の青年だった。淡い金色の長い髪を作業の邪魔にならないよう頭上にゆわき上げていた。
「俺の連れがそちらにお邪魔しているようだ。迎えに来させていただいたのですが……」
当初ハルマースは無理矢理無断で上がりこむ勢いだったが、青年を目にしたとたんになんとなく少し緊張して家に上がりこむのをためらった。
ハルマースの知る限り、この青年はまともな人物だった。彼にはなんの罪も無い。生活臭の漂うその姿を見たら、急に朝早く押しかけたことの申し訳なさがこみ上げてきた。
個性的な兄弟の世話に追われて苦労しているに違いない。この美貌の青年の全身からそんな雰囲気が漂っていた。
「どうぞどうぞ〜。あがってください!!」
青年は快くハルマースを迎え入れてくれた。ハルマースはそんな気のいい彼にぺこりと頭を下げた。
「お邪魔させていたただきます。
えと……ジュネさん」
青年はガーラの父違いの弟で、名前をジュネと言った。
ハルマースの声はルインフィートにも届いていた。だるい身体を無理矢理に起こすと、無我夢中に部屋の外へと駆け出し、階段を駆け降りた。
「ハルマース!」
側に駆け寄り、ルインフィートはハルマースの細い身体を力一杯折れそうなほどに抱き締めた。
「こっ、こら……痛いって……」
余りにも強い抱擁にハルマースは驚きながら照れてしまう。昨晩なにがあったかは知らないが、こうして無事ならもうどうでもいいような気もしていた。
「ハルマ……マディ、ごめん。なんかザハンさんに頼まれて、ガーラの側に……。そのまま一晩泊まってしまったよ」
思い出したように偽名を口にし、ルインフィートはハルマースの胸に顔を埋めた。ハルマースは眉間にしわを寄せて険しい顔をしながら、ルインフィートの髪を優しく撫でた。
「お前を探しに行ったとき、俺もザハンに会った。ここに居るから心配するなと。今思えば彼の話など無視してすぐに迎えに行くべきだった。
これほど不安な夜は初めてだった……」
「ゴメン……俺、すこーんと寝ちまって、気がついたら朝だったよ。心配かけて本当に悪かった」
ルインフィートは彼の胸から離れて、顔を見つめたかと思うと、すぐにまた彼の胸に顔を寄せた。
そんな二人の仲睦まじい様子を、いつのまにか外から戻ってきたガーラはつまらなそうに眺めていた。どこからどう見ても出来ていそうなこの二人が、清い関係であると言う事に驚きもしていた。
ルインフィートから奪ったのは所詮身体だけなのだろう。昨晩犯されたことなど、まるで気にもしていないようなルインフィートのそぶりが気に入らなかった。
気にしないどころか、ルインフィートはハルマースに平気な顔で嘘をついている。ガーラは彼が自分との関係を、完全に無視したのだと認識した。
面白くない……ガーラの中で暗い炎が燃え上がる。妬みにも似た黒い感情が心を支配しはじめていた。
「兄さん、どうしたの?」
ジュネは固くおし黙る兄の様子を心配した。
「何でもないよ」
ガーラは笑って見せた。
[一部完]
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