空白の流浪
魔族というのは人に似て非なるもの。
人間よりも強大な魔の力というものを秘めており、時に崇められ、畏怖された。
西の大国サントアークでは、彼らの存在を悪とし排除の対象にしていた。しかしそのサントアークの東に位置するルイムという国では、彼ら魔族が国家の要人として君臨しており、人間の生活を支配していた。
ルイムは荒廃していた。国土の三分の二を荒涼とした山と森に囲まれており、人間の住める土地が少ない。その少ない土地も魔族によって統治されており、人間達は奴隷のように扱われ、厳しい労働を強いられることもあった。
国家の長である王もまた魔族の支配下にあった。魔族の中でも特に力あるもの達が、王家の者を代々監視し、支配下に置いていた。
国家の中枢で国政に携わる魔族は、賢者と呼ばれていた。賢者は七人居て、ルイムの七賢者と称され恐れられていた。
ルイムの深い森の中に、人との接触をかたくなに拒む魔族の集落があった。国政に関わり、人を支配する魔族がいる傍ら、人間との接触を拒む魔族も存在した。
よく晴れた穏やかな日だった。そこの集落の族長の一人息子のつかさという少年は、釣りでもしようと集落近くの小川に赴いた。
季節はすでに春を過ぎ、夏にさしかかろうかという時である。川に吹く風が涼しく心地よかった。少年の茶色くて柔らかい髪が風にそよいだ。
適当な場所に腰をかけて釣り糸でも垂らそうかという時、つかさは川上からなにか白い物体が流れてくるのを確認した。
「なんだ……? あれ……」
つかさは立ち上がり、物体が近くにくるのを待った。
ゆっくりと流れてきたそれは、人間の姿をしていた。
澄んだ水に漂う、銀色の髪の白い青年……。
それはつかさがはじめて見る『外の世界の人』だった。
つかさは本能的にその青年を川から引き上げたが、その後少々戸惑ってしまった。
はたして人間を拾って村に連れ帰ってもいいのだろうか。そんな考えが、彼の頭をよぎった。
つかさは父から人間とは関わってはいけないと厳しく言いつけられていた。
このまま川岸に置いていけばじき目を覚まして勝手にどこかへいってくれるだろうかと、彼は考えた。
しかし、横たわる青年の額にはまるで生気が感じられなかった。息をしているか確認しようとして、彼の顔にそっと手を触れた。
瞬間、淡い光がつかさの手の甲から浮かび上がり、つかさはハッと息を飲んだ。
「仲魔……?」
それは魔の力を持つもの同士が共鳴して、反応する一種の「証」であった。
――この青年は自分達と同じ「魔族」に違いない。
そうとわかるとつかさは、ぐったりして動かない銀髪の青年をなんとか抱えあげて、空に飛び立って村へと連れ帰った。
集落の住人は数十人と少なく、その敷地も小さいものだった。
自給自足を営むひっそりとした村だったが、穏やかで魔の集落とは言い難いような清々しい光に包まれていた。
住人たちをまとめ、守っている族長のリムーダーは愛息子のつかさのために焼菓子をこしらえていた。
魔族の者たちは子を成すことが難しく、男性の出生率が高いためにその数を増やせずにいる。
潜在している魔の力が強ければ強いほど、出産は難しいとされていた。
子を宿す女の体が、受けいれる魔の力に耐えうる事が出来なければ母子共に滅びてしまうのである。
そんな経緯もあって、リムーダーにとってつかさはまさに宝であった。
たとえ自らが邪悪な女に陵辱された結果得たものであっても、子供とは愛しいものであった。
菓子が焼き上がり、篭に詰めてリムーダーは外に出た。
村の中央の広場に行くと、ちょっとした人だかりが出来ているのに気づく。その中に自分の可愛い息子がいるのを確認すると、彼は優しい声で息子に呼びかけた。
「つかさちゃーん、おやつだよー」
リムーダーの腰まで届きそうな長い茶色の髪がさらさらと風に揺れた。
「あ、父さん、ちょっと見てよ」
つかさは、足元に横たわる銀の髪の青年を父親に見せた。その姿を見てリムーダーは驚愕し目を見開いた。
「ガー……ラ……?」
リムーダーはその青年に駆け寄った。驚いたというような口調で、彼はぼそりとつぶやいた。
「なんでこんなところに……?」
リムーダーはしゃがみこみ、ガーラと呼ばれた青年の顔をのぞき込んだ。透ける様な青白い素肌に銀色の髪。その端正な顔立ちは、リムーダーの記憶の中にある人物と確かに一致していた。
「知っているの? 父さん?」
つかさが願うような瞳で父を見た。
「そりゃー知ってるさー」
そう言いながら、リムーダーはガーラの事を更にじっくりと観察した。
「随分とやつれているな……いったい彼の身に何が」
リムーダーは目を細めた。
「この青年は私の弟の息子なんだが、自分のもとに連れてよこすとは聞かされていない」
つかさの「助けてあげてよ」という声を聞かずしても、彼はガーラを自宅へと運び込んだ。
程無くして、ガーラはゆっくりと瞼を開いた。美しい碧い瞳が虚空を見つめる。
「ガーラ、気分はどうだい?」
傍らで見守っていたリムーダーは彼に優しく声をかけた。
名前を呼ばれた青年は驚いたように上体を飛び起こしたが、そのまま無言で頭を抱え込んでしまった。
「ガーラ?」
いったいどうしたというのだろうと思い、リムーダーはそっと彼の肩に触れてみる。彼は脅えたように小刻みに震えていた。
なにか恐ろしいものでも目の当たりにしてきたかのように。
不審に思ったリムーダーは、脅えた瞳で震えるガーラの額にそっと右手を添え、左手を自らの額にあてがった。
リムーダーの脳裏にガーラの記憶の中の情景が浮かび上がる……はずだった。
予想していた恐怖の映像はなく、ただ一面の空白がリムーダーの脳裏に浮かび上がった。
「そんな馬鹿な!」
リムーダーは慌ててガーラから手を離した。
それは記憶を消されているということを意味していた。
甥のガーラを取り巻く環境は決していいものではなかった。
弟は息子を守ることが出来なかったのだろうかと、リムーダーは疑った。
もとより好奇心旺盛でいろんなものに首を突っ込みたがる弟だった。なにか災いを招いて自分の息子を巻き込んでしまったのだろう。
「ザハンは一体何をやっているんだ……。
ガーラはとうとう抜け殻になってしまったぞ」
沈痛な面持ちでリムーダーは銀髪の青年を見つめた。震えが止まらない彼の肩をそっと抱き締める。
「もう大丈夫だよ、ガーラ……。私が君を守ろう……」
弟には任せて置けない。貴重な子供を苦しめるということはリムーダーにとって何よりの苦痛だった。
ガーラの傷が癒えるまで、この村で療養させたほうがよいとリムーダーは考えた。弟ザハンはガーラの親である資格を失ったのだ、と。
リムーダーの包容に安心したのか、ガーラはその胸に顔を預けしばらくの間泣き崩れていた。
リムーダーは空いている部屋を開放し、そこでやつれた青年を休ませた。
寝台に横たわらせると彼はすぐに深い眠りに落ち、リムーダーとつかさはその部屋を後にした。
「あの人は誰なの?」
愛息子の質問に、リムーダーはどこか苦悩の浮かぶ表情で答えた。
「彼の名前はガーラ。つかさちゃんの従兄弟であり、そして……このルイムの、王子様だ」
「王子様? なんでそんな人がこんな所に」
つかさの率直な問いかけに、リムーダーはため息をかえした。
「きっと悪い人間に酷い目に遭わされて、ここに逃げてきたんだよ。
彼はこれから私が世話をしようと思う。
ガーラと仲良くできるかな? つかさちゃん」
「もちろん!」
父親に優しく頭を撫でられながら、つかさは穏やかな微笑みを浮かべながら頷いた。
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