伏せられた罠
その日、長い金色の美しい髪をもつ美貌の青年ジュネは、宿に共に旅をしている戦士二人に弟と妹を預け、一人夜の街を散歩に出たのだった。
普段青年に夜の街を徘徊する趣味はない。しかしその日は何かに操られるようにして、不思議と足が外に出てしまったのである。
ジュネは悩み多き青年だった。
ルイムの第二王子だった彼は、三年ほど前に『うさぎのZ』と名乗る不審な者に居城を破壊され、様々な曲折の旅の末この街に流れついた。父王もきっとZに殺害されてしまったのだろう。
着ぐるみの道化魔術師Zの正体は、わかっていた。
そのものの名はザハン……ルイムの国家の権力を掌握する七賢者……七人の魔術師の最高実力者の内の一人である。
彼が王に対して謀反を起こした騒乱に巻き込まれて、兄であるガーラの行方がわからなくなってしまった。
ジュネはガーラが、賢者ザハンに殺害されたと思い込んでいた。
しかし復讐を果たそうとザハンを追う道中に、ガーラを知る魔族の少年と出会った。
兄ガーラはこの自由都市ワートを目指したという少年……つかさの言葉を信じて、彼らと共にこの街に来たのである。
しかし、街は予想以上に広く、兄の足取りと手がかりが掴めずにいた。
数多くの冒険者を擁するこの街には、登録所や酒場などに名簿が置いてある。ジュネはしらみ潰しに兄の名前を探した。
いくつかの登録所を経て、本日この一角にきたばかりである。あしたの朝一番で彼は兄の名前を探すつもりだった。
いままでに一度だって兄のことを思わない日はなかった。
この世界中のどこに紛れていようとも必ず見つけ出し救い出せると信じて……。
その願いが天に通じたのか、兄は突然姿を現した。散歩先、突然空から降ってくるという奇跡の出来事であった。
感極まって抱き締めた兄の口から、ジュネにとって衝撃的な言葉が出てしまった。
ガーラは、弟に向かって妹の名を呼んでしまったのである。
男でありながら女性のような容姿をしてるということは、ジュネの望むところではなかった。
何にも屈することの無い、屈強な男らしさに憧れる彼にとって、女に魔違えられるということはかなり屈辱的なことだった。
ジュネは反射的に、兄の頭を殴ってしまった。
「俺はジュネだよ!!
しっかりして!! 兄さん!!」
「あ……ああ、そうだったな」
少し戸惑ったように、ガーラはきょとんとして返事をした。
ガーラはぼんやりと、弟の姿を眺めた。さらさらとゆれる長い金髪が月と街灯に照らされて、幻想的に揺らめいていた。
立ち上がらせようと、差し出された手が妙に眩しい。
この光を纏う手を、取ってもいいのだろうかとガーラは何故か躊躇した。
「ガーラ!! よかったな!!」
聞きなれた声が、意識がおぼろげだったガーラを我に帰らせた。辺りはいつもと変わらぬ夜の町並みに戻っていた。
かがみ込んでいるジュネのすぐ後ろに、ルインとハルマースの姿が確認できた。
「妹さんなんだろ!? 美人だなー!!」
一寸の躊躇もなく発せられたルインフィートの言葉に、ジュネはまた拳を振りあげた。
「バカッ!! 彼は男だぞ!!」
ハルマースのとっさの訂正により、ルインフィートは一発の洗礼を受けずにすんだ。ルインフィートは驚きを隠せずに、思わずジュネの顔を見つめてしまった。
「あの……あなたたちは……?」
ジュネにとっては彼ら二人は見知らぬものである。ジュネはおそるおそる彼らに尋ねた。
「ああ、俺たちはガーラに……」
ルインフィートはこれまでの旅の経緯を簡単に彼に話した。
途中、ガーラは早速、「そいつサントアークの王子様なんだよ」とルインフィートの正体をバラしてしまった。
再会の喜びも束の間、ジュネはとりあえず宿に戻らなければならないという。弟と妹、そして仲間を宿に残してきたからだ。
しかしジュネの兄弟は当然ガーラの兄弟でもある。ガーラはこれからジュネのとっている宿に行ってみるという。
ルインフィートの笑顔がふと、苦笑いに変わった。
在るべき場所を見つけたということは、同時に別れを伴うからだ。
「俺たちとはもう、お別れかな……」
ふっともらした言葉をガーラは聞き逃さなかった。
「やっぱりお前、可愛いなー」
ガーラはまたルインフィートの頬を両手でつねった。たまらずルインフィートが抗議の声を上げた。
「や、やめろって!」
また主君に悪戯をする輩にハルマースは憤怒し、彼を主君から引きはがした。
「まだ、護符は見つかってないからな。これからも俺たちは一緒だよ」
優しい笑顔を浮かべて、ガーラはルインフィートを優しく抱きしめた。
その微笑みは、初めてガーラを見たその時の様に輝いていた。ルインフィートもにこりと、つられて笑みを返した。
しかし、ハルマースは一人、しかめっ面をしていた。
むしろガーラを睨みつける勢いで。
「すぐに戻るよ」
笑顔を浮かべながら、ガーラは二人にそう告げて、ジュネの後をついて行った。
ガーラの表情は、いまだどこか虚ろな目をしていた。
彼の心の風穴は、記憶が蘇りつつある今でも、ぽっかりと大きく開いていた。
宿に戻ったハルマースは、寝台に横になりながら思案に暮れていた。
突然の兄弟との再会によってかき消されてしまったが、なぜガーラは、とっさに身を投げたのか……。
どんな悪夢を見ていたのだろう。
彼が抱えている苦悩は、なにも解決していないのではないだろうかと思う。
死を望むほどの苦悩を抱えたままで、はたしてガーラはこれからも問題無く生きてゆけるのだろうかと思う。
……別に、自分が案ずることでもないだろうと、ハルマースは目を細めた。
むしろいなくなって貰ったほうが、都合が良いとすら思えた。
これからはガーラの突然の奇行などに惑わされずに済むのだから。
ハルマースはほっと安堵のため息を漏らし、その切れ長の瞳を閉じた。
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