忍び寄る負の影
兄弟とあまり感動的ではない再会を果たしたあと、ガーラは一旦また今までの仲間のもとに帰ることにした。
これからは兄弟とともに過ごす事に決めたのだが、荷物はまだ向こうに置いたままだ。それに、弟達の借りている部屋はとても狭くて、ついでに泊まると言う事もできなさそうだった。
兄弟に少しの間の別れを告げて、ガーラは宿の外に出た。
ゆっくり歩きながら、ガーラはふとした疑問に顔をしかめた。兄弟をこの街に導いたのは、恩人であるつかさだという。
なぜ彼はその翼を隠し村を出てきたのだろう。
聞いてみても、彼は目を逸らして黙っているだけだった。
彼の表情は曇り、あの穏やかな微笑みは見ることができなかった。
自分が村を出てから彼の身に何かあったのだろうかと、ガーラの心に不安がよぎった。
借りている宿の建物が近くに見える公園の前まで来て足を止め、来た道を振り返ると、つかさは一人後を追ってきていた。
「一人になるのを待っていたんだ、ガーラ」
回りに人がいると話難かったのだろう。つかさはガーラに駆け寄ってきた。
二人はすぐ近くの公園に入って、適当な場所の椅子に腰をかけた。
沈んでいる様子のつかさに、ガーラは言葉をかけそびれていた。ガーラはつかさの言葉を待った。
そして告げられた彼の言葉に、ガーラはわが耳を疑った。
「村が……滅んでしまった。俺を残して、みんな消えてしまったんだ。父さんも……」
「なんだって?」
信じられないといった表情で、ガーラは思わずつかさの肩を掴んだ。
つかさは静かに、ガーラに村で起こってしまったことを語った。
ガーラが助けられ、心を癒す事ができたあの魔族の村は、得体の知れない女に襲われ、破壊しつくされてしまったという。
つかさの父リムーダーはその女に連れ去られ、今も行方がしれていない。
「どうしてそんな事が……」
そう呟いたガーラの言葉に、つかさはただ眉間にしわを寄せるだけだった。
突然の出来事の後、コテツというあの黒髪の小柄な戦士に助けられ、そしてジュネたちと出会い、ここまでたどり着くことが出来たという。
一人にならずにすんだのは不幸中の幸いだったのだろう。コテツの話になると少し穏やかな表情を見せるつかさに、ガーラはほっと胸をなで下ろした。
「人間も嫌な奴ばかりじゃなかったろう?
リムーダー様は少し警戒し過ぎだよね」
ガーラはつかさに微笑みかけた。つかさの父リムーダーは、村に結界をはってまで人間との交流を防ぐほどの人間嫌いだった。
ガーラはつかさもそうなってしまうのではないかと、心配していた。
しかしガーラの微笑みに表情を曇らせた彼は、どうやら父親に似てしまったようだ。
「父さんは正しかったよ。俺は人間が好きにはなれない……」
つかさはうつむき、拳を握り締めていた。
「俺には奴らの思考が理解出来ない。
争いを好み短い寿命を生き急ぐのは何故だ?」
つかさの言葉を聞いて、ガーラは言葉をつまらせてしまった。
長年森の中に隔離されてのんびり生きてきた彼にとって、外の世界は激しく目まぐるしく映っているのだろう。
しかし生き急いでいるのは何も人間だけではない。ガーラもついさっきわざわざ自殺未遂をしたばかりだ。
塞ぎ込んでしまったガーラに、つかさはっと顔を上げて視線を彼に向けた。生まれた時から人間と暮らしているガーラは、もはや人間に近い存在なのだろうということを、彼は察した。
悪いことを言ったと、つかさは反省した。
「ガーラ……。記憶は、戻ったのか?」
つかさは、話題を変えた。ガーラはゆっくりと顔を上げて、また優しくつかさに微笑みかけた。
「ああ、まだはっきりしないところもあるけど、少しは戻ってきたみたいだよ」
「そうか、よかったな」
つかさはガーラに穏やかな微笑みを見せた。
久しぶりに見る彼の微笑みに、ガーラは森の静かで穏やかな生活に想いを馳せた。優しさに包まれて、光満ち溢れていたあの頃に。
「つかさ……君に会いたかった。実は、森に戻りたいって思った事もあったんだ。
そんな……哀しいことになってしまうとは。もう帰る場所が無いんだ……。リムーダー様……どうかご無事で」
ガーラは首から下げている月の護符を握り締めて、神に祈った。
「次はリムーダー様を探す旅に出ないといけないな」
ガーラは何気なく呟いた。するとつかさが、そっと肩に手をかけてきた。
「これは俺の問題だ。ガーラは兄弟に会えたんだから、それ以上のことはしなくていいよ。
休んだほうがいいよ……ガーラ。なんか、昔より更にやつれてるよ」
つかさの優しい言葉を聞いて、ガーラの目頭に熱いものがこみ上げてきた。自分の知らない間に、幼くて未熟だった少年は大人になったのだろう。そこには苦難の道のりがあったのだろうと推測すると、更に胸が締め付けられるような想いに駆られた。
「つかさ……」
「積もる話はまた後にしよう。もう夜もだいぶ遅いし、あまり帰らないと、君の仲間も心配するだろう」
つかさはそういうと、椅子から立ち上がった。つかさを抱き寄せようとしたガーラの腕が、空を切った。
「そ、そうだね。気遣ってくれてありがとう」
にっこりと微笑みながら、ガーラも立ち上がって、宿へと帰ることにした。
公園を出て、つかさと別れて宿へと続く細い道に入ったところだった。
突然、地中から黒い不気味な腕が現れて、ガーラの両足首を掴んで拘束した。
「うわあああああ!」
突然のことにガーラは思わず絶叫した。人ならぬその腕の力に、地の中へと引きずりこまれそうになる。
前を向くと、何か黒い影が近づいてくるのがわかった。その存在の姿は闇に溶けて、決して友好的ではない気味の悪い気配を漂わせていた。
ガーラは戦慄を覚え、無我夢中で神への祈りの言葉を唱えた。
「闇をはらう光の矢よ! 邪悪なる闇の獣に降り注げ!」
印を切ると、淡い光がガーラ手から浮かび上がり、矢になって目の前の黒い影に放たれた。光の矢は目の前の存在に刺さることなく弾かれたが、その闇の衣をはがすことができた。
現れたのは、女だった。
黒い衣を身に纏い、黒い髪が肩のところで乱雑に切り揃えられている。
無感情な虚ろな双眸と、そしてもう一つ、額にひときわ大きな目玉があった。それはまがまがしい光をぎらぎらと放ち、ガーラの心理を深く揺さぶった。
女はガーラの攻撃にも少しも動じた様子はなく、ゆっくりと彼のもとに歩み寄っていった。
このときガーラは、体の奥底から恐怖に陥った。
女はガーラの頬に手を延ばし、くすくすと笑った。女から発せられる、力を吸い込まれてしまうような負の波動にガーラは身を強ばらせた。
ガーラは蘇ったばかりの記憶を探り、この女に関する情報を必死で引き出した。
「おまえは……死の賢者、レイア……!」
ルイムを支配していた七賢者のうちの一人、死霊魔術師のレイア――賢者の中でも最も残忍で、冷酷な死の番人。
「一体……俺に何の用だ?」
彼女から発せられるまがまがしい気配に、怖気が立つ。ガーラは月の護符を握り締めて、必死で自我を保とうとした。
レイアは冷たく笑い、その手をガーラの額にあてがった。
「かわいそうなガーラ。
だけどあなたは、もがく姿が一番お似合いよ」
そう告げるとレイアは、その手から黒い光をガーラの体に注ぎこんだ。
体中をかけ巡る痛みにも似た邪悪な波動に、ガーラは必死で抵抗した。
しかしレイアは、容赦なくガーラに魔の言葉を囁きかけた。
「憎みなさい……あなたを守れず、酷い目に遭わせた父を。
呪いなさい……あなたを助けなかった母を。
この世のすべて恨みなさい」
ガーラは頭を抱え込み、その場に倒れ伏せた。悪意に満ちた黒い感情が、頭の中をかけ巡る。
生まれた時から、曖昧な存在だった。
父だと思っていた人物に陵辱され、苦しみもがき続けた。
信じ続けた神はなにも、救ってはくれなかった。
自分は呪われている。罪に塗れながら生きている。
存在そのものが悪であり、誰からも認められることはないのだ。
「うわあああああ……!!」
絶叫とともに、ガーラは自らの真の姿をさらけ出すことになった。
熱くきしむ背中から、まるで烏の濡れ羽のような漆黒の翼が四枚、姿をあらわしていた。
苦しみに地を這うガーラの姿を、レイアはうっとりと眺めていた。
「ああ……あなたは本当に美しい。あなたの存在はこの世の皮肉そのもの。
わたしと来なさい、ガーラ。
あなたを苦しめた全てのものに復讐を果たさせてあげる。全て黒に染めてしまえば、痛みも何も、感じなくなる……」
くすくすとわらいながら、彼女は従えるようにガーラに手を差し伸べた。
かけ巡る心の痛みから逃げるように、ガーラはすがるようにその手を取ろうとした。
その時、背後から声が響いた。
「ガーラ!? そこにいるのか?」
聞きなれた友の声が響く。声のするほうを振り返ると、ルインフィートが暗がりの中できょろきょろと辺りを見回していた。ガーラの叫び声を聞いて、宿から出てきてしまったのだろう。
そのときガーラは、レイアの不気味な微笑みがわずかにひきつったのを見逃さなかった。
「いけない!! 来るな! 来るんじゃない!!」
「暑苦しい、太陽神の寵児め。目が眩む……」
レイアはガーラに差し伸べていた手で額の目を覆った。そして周りを黒い影の壁で覆った。
ルインフィートはガーラたちを見つけることが出来ないのか、考え込んでしまった。
その間にもう一人、ガーラの叫びを聞いた者が姿を現した。
姿を現したのは、つかさだった。彼もルインフィートと同じく、ガーラの悲鳴が聞こえて、ここに戻ってきたのだ。
「お前は……あの時の……!!」
憎しみの込められた声が響いた。黒い壁に包まれていても、つかさの目にははっきりとレイアの姿が確認できた。
つかさはガーラの元に駆け寄った。
途端にレイアは苦しみだし、唸りながら額の目を抑えて瞬時にその姿をくらましてしまった。
「まただ。また、逃げられた」
つかさは訳がわからず、呆然と立ち尽くした。
レイアが去って、ガーラを見つけることが出来たルインフィートが駆け寄って来た。
「どうした、何があったんだ? 大丈夫か? ガーラ」
優しい声が、ガーラの耳に響いた。優しく肩を抱えあげられ、やわらかい金の髪が頬に触れる。
「寝つけなくて布団の中でゴロゴロしてたら、お前の声が聞こえたんだ」
ガーラは心地よい肩に身を預けた。暖かい日の光に包まれるような、優しい温度がルインフィートから伝わった。
「なんだよ、お前は……。
もう少しで楽になれるところだったのに……」
ガーラの消極的な呟きに、怒りを見せたのはつかさだった。
「ふざけるなよ。あの女が村を襲い、父さんをさらったんだ。ガーラまで取られてたまるか!
許さない……絶対に……」
つかさはうつむいて、唇をかんだ。
ルインフィートは初めて見るつかさに、きょとんとしながらも微笑んだ。
「君は……ガーラの知り合いかな?」
声を掛けられ、つかさはルインフィートの顔を見た。状況を把握していない、緊張感の無い穏やかな笑顔が、妙に腹立たしかった。
「ガーラ、じゃあ、また明日」
ルインフィートの事を無視して、つかさは逃げるようにその場から立ち去った。
「な、なんだよ、あいつ。返事も出来ないのか」
つかさの態度にルインフィートは気を悪くした。
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