生活の格差
ふとした眩しさを覚えて、ガーラは目を覚ました。添い寝をしてもらったせいなのか、悪い夢は見なかった。彼にとって、久しぶりにすがすがしい気持ちで迎えることができた朝だった。
すぐ隣ではまだルインフィートが穏やかな表情をで眠っていた。その隣で眠っていたはずの、ハルマースの姿は無い。先に目を覚まして、朝食を作っているのだろう。直ぐ隣の部屋の簡易的な調理場から音が聞こえる。
ガーラは身体を起こして、側に眠るルインフィートを見つめた。柔らかい金髪が朝日に照らされて、穏やかな光を纏っている。彼の髪にそっと指を通して、優しく撫で上げると、ルインフィートはうっすらと目を開いた。
「あ……もう朝か……」
「おはよう。今日はよく眠れたよ。お前のおかげかな」
大きなあくびをしているルインフィートに、ガーラは優しく微笑みかけた。
「誰かと一緒に寝ると、安心してよく眠れるものだよ」
そう言って微笑むルインフィートの姿が、ガーラの目には少し眩しく映っていた。気味の悪い感情が、ガーラの心にふつふつと沸き上がる。
「今度からお前はあいつと二人きりだな。毎晩一緒に寝るのかな?」
「ま、まさか、馬鹿いうなよ。いくら俺がなんでもハルマースに頼りっきりな馬鹿王子でも、一人で寝る事位はできるぞ」
彼は笑いながら起き上がり、寝台を降りてガーラから離れた。ひやかしが通用しない。あくまでも純真なルインフィートが、ガーラの気持ちを更に苛立たせた。嫌味のひとつも言ってやりたかったが、通用しなかったときの心境を思い、そのまま黙ってしまった。
会話はそこで途切れて、二人は隣の部屋でハルマースの作った朝食を食べた。黙っていてもハルマースは小皿に料理を取り分けてくれる。ガーラに対してだけ、とても面倒そうな表情で。
いつもと変わらない朝の風景がそこにあった。決して居心地がいいとは言えなかったが、悪くもなかった。ハルマースの嫌味な態度には苛立つこともあったが、料理の腕は確かで、冒険者としてはとても贅沢な暮らしをさせてもらっていた。
しかし、自分の居場所はここではない。改めてそう自覚して、ガーラは二人に別れを告げることにした。
「お前たちのおかげで、兄弟に会うことが出来た。俺は今日からジュネたちと暮らすよ。今まで世話になったね」
「ガーラ……」
ルインフィートの寂しそうな表情がガーラの目に映る。ガーラは彼を安心させるように、穏やかに微笑んだ。
「昨晩も言った気がするけど迷宮探索は付き合うよ。自分の用が済んだからサヨナラ、なんて、俺はそんなに薄情じゃない。それに、ルイムに帰る気もないし」
明らかに縁を切りたがっているハルマースからは冷たい視線を浴びせられたが、ルインフィートは表情を明るくした。
荷物をまとめて、ガーラは今まで二人と暮らしていた宿を出た。これからはあの二人を、妬むことも無い。探し物を見つけ、これで自分も心落ち着く生活が送れるに違いない…そう信じて、新しい生活に希望を抱いた。
ガーラが合流して、ジュネたちと行動を共にしていたコテツとつかさの二人は、自然とルイム兄弟からは離れ二人で生活を送るようになった。
ジュネたちの借りていた宿は、とても質素なものだった。部屋は基本的に寝るためだけの寝台が置いてあるだけで、浴室や洗面所などは他の部屋の者たちと共有だった。
サントアークの二人組と比べて、弟達が随分貧しい生活を強いられていると言う事にガーラは胸を痛めた。特にジュネはルイムの正当な後継者であり、こんな地べたを這うような生活を送るべき身分ではないのだ。
しかしジュネに言わせて見れば、これが冒険者の標準の生活だという。冒険者のなかにはちゃんとした部屋が取れずに、馬小屋で眠るような者たちも大勢いるという。
迷宮探索のためにまたあの二人に会う度に、ガーラの心が雲ってゆく。今まで全く気がつかなかったが、きっとハルマースが、サントアークから何らかの支援を受けているのだろう。思い出せば二人と居る間は、資金に困ることが一度もなかった。
ジュネはその見た目に似合わず男らしい性格をしていて、その貧しく質素な生活に文句のひとつも言わずにしっかり適応していた。そしてその下の兄弟のローネとライも、あたりまえのようにたくましく生きている。
兄弟と再会し、合流して得られるかと思っていた心の平静は訪れなかった。かわりにどうしようもない自責の念と、後悔ばかりが積み重なっていった。
そしてガーラの心配事は、更に増えてしまった。夜、眠りにつく頃、弟のライが毎夜のように酷くうなされているのだ。
なにか悪い夢でもみているのかと尋ねても、彼は笑うばかりで何も答えようとはしなかった。
そんな、ある日の夜。
ガーラは弟のライが、憔悴した様子で部屋の外に出てゆくのを目撃した。ガーラは慌てて起き上がり、部屋の中を見回した。他の兄弟はすっかり眠っていて、まるで起きそうな気配が無い。
安らかな表情で眠るジュネとローネを起こさないように、ガーラは急いで、しかし静かに部屋を出て、ライの後を追いかけた。
特に、ローネには気づかれてはいけないと思っていた。彼女が寝ている隙にライの身に何かあったらただ事では済まない。ローネはライを溺愛しているのだ。
あてもなくふらふらと歩くライには、すぐ追い付いた。ライは心ここにあらずといった様子で、きょとんと兄ガーラの顔を見つめた。
「僕、誰かに呼ばれた気がしたんだけど……」
寝ぼけ眼でぼんやりとガーラにいう。ガーラは、はてどうしたものかと、考えてしまった。
自分も時々、挙動不審な行動をとるとよくルインフィート達に言われたことがあるが、流石に徘徊をするまでに及んだことはない。
「誰も呼んでないから、皆の所に帰ろう? な?」
ガーラはライの小さな手を握り、来た道をひきかえそうとした。しかし、ライは抵抗してガーラの手を振りほどいた。
「ライ……!?」
びっくりして振り返るが、ライは駆け出してどこかに行こうとしている。あわてて、ガーラも後を追った。
「どこに行くんだよ! おい!!」
夜中だというのに大声を出してライを引き留めようとした。しかしライの足は意外と速く、なかなか追い付けない。
しばらく走った後、ようやくライはその足を止めた。ぜえぜえと息をきらせながら、ライはある一軒の家を見上げている。
そこはまだ真新しい、こ綺麗な一戸建だった。赤煉瓦の塀に囲まれ、その中はほどよい広さの庭が広がっていた。結構な資産家の家に違いない。
こんなところに立ち止まって、何のつもりだろうとガーラは戸惑った。
まさかこんなおとなしい顔をしてこれから泥棒にでも入るつもりではないだろうなと、余計な心配ばかりが胸にくすぶる。
「おい、帰るぞ!!」
ガーラは力一杯弟の腕を引っ張った。しかしそれでもライは、激しく抵抗した。
「兄さん、待ってよ!」
またしてもガーラの手を振りほどき、ライは一歩一歩おそるおそる家の門に近づいていった。
すると堅く閉ざされていた門が、まるでライが訪れるのを待っていたかのように、ゆっくりと開いた。
吸い込まれるように中に入っていくライをほっておく事もできず、引き留めてもきかないので、ガーラは弟に付き合うことにした。
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