佇む青
門の中に入ると、その扉は自動的に閉まってしまった。なんとなく危険な臭いを感じたが、構わずに進むライの後を追うしかなかった。
庭の敷石沿いに進み、いよいよ邸宅の入り口の扉の前に立つ。するとまた、その扉は内側から開かれた。
家の中からこぼれた明かりが、二人を照らし出す。そして、中から少年と思しき声が聞こえた。
「やっと来たな、待ってたぜ」
声の主の姿を見て、ガーラもライもびっくりして固まってしまった。
中からもう一人、ライが出てきたのかと思わせるほど、ライの容姿によく似た少年が出てきたのである。
びっくりして声もでない二人に、少年が声をかけてきた。
「なんだよ、ライはともかく、兄貴までびっくりするこたぁねーじゃねえかよ。
そっか、そういえば兄貴はアタマがおかしくなっちまったんだっけな」
ライとは似てもにつかない言葉遣いで、下品に笑う少年の態度に、ガーラのぼんやりとしてた記憶が鮮明に蘇った。
ライと再会した時、もう一人似たようなのがいるのではと感じた記憶……そのもう一人が、恐らく目の前にいる少年だ。
――名前は、たしか……。
「セリオス……だっけ……?」
ようやく名前を思い出してもらえて、ほっとしたのか少年は、家の中へと二人を導いた。
「君がずっと、僕を呼んでいたんだね」
ライはようやく、微笑みを取り戻し、セリオスという少年に話しかけた。
「ああ、そうだ。オヤジに頼まれてな」
セリオスはぶっきらぼうに言い放った。ガーラは肩を竦めて、やれやれとため息をついた。
「何か魔法を使ったのか? どうしてこんな呼び出し方をしたんだ。
俺はてっきりライがおかしくなってしまったのかと……」
ガーラは文句を言いながらセリオスのあとをついて歩いた。そしてあることに気がつく。
セリオスの父親は自分の父親でもあると言う事に。
ガーラは急に言葉が出なくなってしまい、黙って導かれるままに居間のような部屋へと入った。
そこにはゆったりとした青い衣をまとった、小柄な青年が佇んでいた。
「久しぶりです、お二方……」
青年は穏やかな微笑みを見せていた。彼の顔を見て、ガーラの頭の中は真っ白になってしまった。
「ザハン……!」
ライが目を見開いて、彼の名前を叫んだ。彼は本能的に脇に手をやったが、日中ならいつもそこに携えている刀は、今そこにはなかった。
ライはガーラが見た事も無い怒りの形相で、きつくザハンのことを睨みつけていた。
ガーラは震える声で呟いた。
「父……さん……?」
ガーラはリムーダーの言葉を思い出していた。父親は気が狂っている。探すべきではない、と……。
しかし、目の前の父親は慈愛に満ちた微笑みをこちらに向けている。とても気が狂っているようには見えなかった。
ガーラはもう一度、父を呼んだ。
「父さん……!」
駆け寄って、自分よりも小さな父の身体を抱きすくめた。心が歓喜に満ち溢れて、自然と涙が頬を伝っていた。
ザハンの手がガーラの背中に回されて、顔が胸に押し付けられる。
「よかった……私を、父と呼んでくれるのですね」
「勿論です父さん……。ああ、こんなところで逢えるなんて」
ガーラとザハンの二人が歓喜に震える傍らで、ライは呆然と立ち尽くしていた。
「う、嘘だ……! ザハンはルイムを滅ぼした、僕達の宿敵じゃないか!」
ライは頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。ガーラは混乱している様子の弟の肩に、そっと手を置いた。
「ライ、今まで黙っていてすまなかった。君は……君と俺はザハンの子供なんだ」
「そんなこと急に言われても……!」
ライにとってザハンは、兄のジュネが必死になって探していた憎むべき対象だった。それが自分の親だったなんて、信じたくもなかった。
怯えるライとは対照的にガーラは、ひどく穏やかな顔をしていた。ライはここ最近見た事の無い兄の心からの安らかな表情に戸惑った。
ザハンが静かにライに歩み寄り、脅えている彼の小さな肩を、そっと抱き締めた。
「大丈夫ですよ、もうあなたたちに苦しみは与えません。脅えないでください。
私の可愛い子供達……あなたたちを迎え入れる準備がやっとできました」
ライはザハンの胸に不思議な安堵感を覚え、目を細めて身を委ねた。暖かい鼓動が、聞こえてくる。
「ガーラ……そしてライ。やっと取り戻しました。私の可愛い子供達……」
「そんな……僕は……」
ライが混乱している間に、更に追い打ちをかけるように、ザハンの口から思いもよらない言葉が吐かれた。
「ここで、わたしたちと一緒に暮らしませんか?」
ライは戸惑った。目の前にいる人物は、いままで自分たちを苦しめてきた仇以外の何者でもないはずだ。
いまさら仲良く手を取り合って一緒に暮らそうというのか。ライは顔を上げて、兄の表情を伺ってみた。
「俺は……父さんと暮らすよ」
なんの迷いもなく、ガーラはライに告げた。ライはどうにもならない感情に打ちひしがれて、言葉を失った。どうしよう、といった様子で、回りの三人の顔をきょろきょろと見回した。
「ぼ、僕……どうしたらいいかわからないよ……!」
ライは悲痛な声で訴えた。混乱しているライの頭を、ガーラの手がそっと撫でた。
「お前の好きにすればいいよ」
「ジュネ兄さんとローネはどうなるの? 僕はずっと、二人と一緒だったんだ。
僕はジュネ兄さんを見て育ってきた。ジュネ兄さんは苦労して僕達をここまで連れてきてくれた。
ガーラ兄さんへの想いと、あなたへの憎しみを胸に秘めて……。
一緒に暮らすなんて無理だ! ふたりと離ればなれになるのは、嫌だよ……!」
それがライの精いっぱいの回答だった。彼の胸中を思うと、ガーラは胸が締め付けられるような想いに駆られた。
突然すぎるザハンとの対峙と、明かされた事実はライにとって苦痛以外の何者でもないだろう。
しかしザハンは、更にライを戸惑わせるようなことを言ってのけた。
「もちろん、あの二人も一緒ですよ。
でもまあ、嫌がられてしまうでしょうけど……」
ザハンは自嘲するようにふふふと笑った。
「あなたが何を考えているのか、僕にはさっぱりわからない……」
ライはうつむいて、首を横に振った。ガーラは、戸惑い震えている弟の肩をそっと抱いた。
「ライ……気持ちが定まらないのなら、俺を信じろ」
「兄さん……」
ライは兄の顔を見上げた。ガーラは何の迷いもないというような、穏やかな表情を浮かべていた。
ふと視線を感じて振り向くと、セリオスが黙ったままじっとライを見ていた。それは願うような眼差しだった。
「君は……」
なにか話しかけようとしたが、ライは口閉じた。黙ってセリオスのほうへと歩み寄って、至近距離でじっと顔を見つめた。
セリオスはなんとなく照れてしまって、ライから視線をそらした。
「な、なんだよ、あんま見るなよ」
「本当に君は僕とそっくりだ……。そしてザハンに似ている。
反論のしようがない。僕もザハンの子供なんだ……。ローネと双子だといわれるより、ずっと納得がいく。
僕はずっと悩んでいたんだ。自分は何者なんだろうって」
落ち着きを取り戻したライは、冷静に事実を受け入れた。否定の仕様の無いものが目の前に存在する以上、受け入れるしかない。
ライは軽くため息をついた後、今度はガーラのほうを向いた。
「明日、二人を連れてこよう」
ライの何時もの微笑みが、戻っていた。
「ローネになんて言えばいいだろう」
「う……。そ、それは……」
ガーラは本気で返答に困った。再会を果たしたあの日の夜を思い出す。おかしなことを言うと、半殺しにされてしまうことが目に見えていた。
一瞬、静寂が訪れたが、すぐにセリオスが沈黙を破った。
「ライと兄貴だけこっちに来ればいいんじゃねーの?
ラージャの子供らなんてかまっちゃいらんねーよ」
「こらセリオス、なんてことを言うんです」
終始柔和な表情だったザハンが、険しい顔つきになった。
「あの子達には何の罪もありません。本当に、申し訳ないことをしたと思っています。
城を追われてから、地を這うような苦しい生活を送ってきていたことでしょう。
私は彼らに使って欲しいと思って、この家を建てました。部屋もちゃんと用意してあります。
そしてなによりも兄弟の絆を断つわけにはいかないのです。みんなで仲良く平和に暮らすことが、最上の喜びだと思うのです」
「父さん……。必ず、二人を説得します」
父の想いを聞いて、ガーラは目頭を熱くさせているようだったが、セリオスは肩を竦めて、どこか疑わしいという眼差しを送っていた。
宿に戻ろうと家を出た時は、もうかなり夜がふけてしまっていた。二人複雑な思いで歩いていた。
一回りも年齢のちがう小さな弟の手を、ガーラはそっと握って歩いた。
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