偽りの事実
宿に帰ると、ジュネとローネの二人はまだ眠っていた。ガーラとライはほっと胸をなで下ろした。
もしローネが起きていたのなら、きっとすごい剣幕で怒り出すに違いない。ライの突然の徘徊の責任をガーラに押し付け、夜な夜な弟を外に連れ歩くなんてと、厳しく問い詰められるのが目に見えている。
兄として情けない話だが、ガーラは妹のローネにおそれを抱いていた。
ザハンの元で暮らすとは行ったものの、果たしてそれをどう説明つければよいのかと、ガーラは思案に暮れた。彼らにとってみればザハンは、国を滅ぼした敵なのである。
それが大いなる誤解であることは、ガーラ自身が一番良く知っている。しかし真実を告げる勇気はなかった。
それは新たな憎しみを生み、余計な面倒ごとを増やすだけだからだ。
取り敢えず今日のところは眠りにつこうと、ガーラとライはそれぞれの寝台の上に戻った。
目を閉じると、脳裏にあの時の映像が鮮明に甦ってくる。今でもしっかりとその手に感触が残っている。
狂気に捕らわれていた養父の胸を、銀の短剣で刺した。
あからさまに殺気だった自らの未熟な一撃を、何故ラージャは受け止めたのか。なぜ避けてくれなかったんだと、皮肉な思いがガーラの胸にくすぶって消えることがなかった。
刺された後に、ラージャは最後の力でガーラの過去の記憶を封印した。それは今思うと、彼の最期の優しさだった事を知る。
なにも思い出せない時の方が、幸せだったと思えるからだ。
何も知らずにのうのうと生きてゆくことを許してもらえなかったのは、神が自らに与えた罰なんだと、ガーラはそう思うことにした。
ジュネやローネたちに、真実を言うことはできない。兄弟たちに嘘をついている以上、罪を償うこともできない。
償えない罪ほど、重いものはない。
自分の凶行は父ザハンにとっても予想外のものだっただろう。ザハンは王家に反旗を翻すつもりなど全くなく、逆に王家の者をあの閉鎖された城から、救い出すために破壊をしたのだから。
実の父親に罪をかぶせたまま、なにも知らないふりをして被害者と接触できるなんて、なんて腹黒い人物なのだろうとガーラは自分で自分を呪った。
そんなことを考えている内に、ガーラは眠れなくなってしまった。ふと、ライはちゃんと眠れているだろうかと心配になり、寝台から起き上がって部屋の中を見渡してみる。
小さな弟はすやすやと安らかな寝息を立てて、ぐっすりと眠りこけていた。先ほどまではあれほど脅えていたのに、なんて大物なんだとガーラは驚愕した。
すぐ隣の寝台で寝ているジュネが、寝返りを打った。長い金髪が肩からはらりと流れ、寝苦しいのか身体にかけてあった毛布を蹴り避けてしまう。
「風邪をひくぞ……」
そっとつぶやき、ガーラはジュネの毛布を掛け直した。するとジュネはうっすらと目を開け、ぼんやりと目を覚ましてしまった。
「あれ……兄さん……」
ジュネはふわああとおおきな欠伸をつくと、ごしごしと眠そうに目をこすった。
「悪いな、ジュネ。起こしてしまったな」
ガーラはすまなそうに、穏やかな笑顔を見せた。するとジュネも穏やかな微笑みを返した。
「ああ、やっぱり……側に兄さんがいるっていいな……」
まだすこし寝ぼけているのかジュネは、自らの寝台に横になろうとしたガーラの、上着の裾をぎゅっとつかんだ。
「寂しかったよ、俺。
何であの時自分だけザハンの所に行ったんだい?
兄さんはいつも何でも一人で背負い込んで……」
突然よくわからないことを言い出したジュネに、ガーラは困惑した。そしてその言葉はガーラの胸にちくりと何か刺すものがあった。
「おいおい、ジュネ……寝ぼけているのか?」
よしてくれよとガーラはくすりと微笑んだ。するとジュネははっとしたように、碧い瞳を見開いた。
数回瞬きをしたあと、またじっとガーラを見つめてきた。
「ああ、俺……あの時の夢をみていたんだ。
城がザハンに襲われた時の夢を」
ガーラは、ぎくりとした。よりにもよって今さっき、そのザハンと会ってきたのである。
あの時のことは、今もジュネの心の中の傷となって残っているのだろう。
ザハンが用意した邸宅で一緒に暮らそうなんて、どう説明すればいいだろうか。そう悩んで言葉を詰まらせていると、ジュネが淡々と語り出した。
「兄さんは俺たちを城の外に転移させた後、父上を助けようと一人で城に残ってしまったね。
あの時すごく悲しかったんだ。
城が崩れてしまった時、兄さんも死んでしまったと思ったよ」
最後には声が震えて、ジュネは必死で涙をこらえていた。そんな弟を見て、ガーラは強い焦燥感に襲われた。
自分への嫌悪が、とぐろを巻いて胸の中に揺らめいている。父上を、ラージャを、助けにいった訳じゃない。
殺しに行ったんだ。
自らの手で、とどめをさしに。
「俺が死に損なっていなかったら、星になってお前を護れたのにな」
どうにもやりきれない思いに駆られて、ガーラの口から自暴自棄な言葉が漏れてしまった。
思いがけない、質の悪い兄の冗談にジュネは思わずかっとなった。
「何言ってるんだ!!
兄さんは、いつも、いつも……!!」
ジュネはすがりつくように、ガーラの胸に泣き伏せた。ガーラは自分の腕の中で震える美しい弟の髪を、優しく撫でる。
「綺麗だな、お前は」
ジュネは今度はかっと頬をあかく染めた。
しかし構わずに、ガーラはわざと、意識させるようにジュネの耳元で囁いた。
「心配するな、ジュネ。
もう二度とお前を置き去りになんてしない。離したりするものか」
その言葉に安心したのか、ジュネは涙に滲む瞳で兄の顔を見上げた。銀の髪が月明かりに照らされて、青白い光沢を放っている。
ジュネは昼間とは違う兄の美しさに、ぼんやりと見とれてしまった。
「どうした? 寂しいんだったら俺と一緒に寝るか?」
ガーラは意地悪く笑い、ジュネを抱きすくめた。ジュネははっと我に帰り、あわててガーラの腕から離れた。
「もももももう兄さん!!
俺をからかうのもいい加減にしてください!」
慌てながらジュネは寝台に横になり、乱暴に毛布を被った。そのあわてっぷりがおかしくて、ガーラは声に出して笑ってしまった。
「サントアークのあの二人は、よく一緒に寝ていたぞ。一緒に寝ると安心するんだそうだ。
お前もなにか悪い夢を見るようなら、俺が一緒に寝てやってもいいんだぜ」
「そ、そんな……。それはちょっと、普通じゃないよ……」
ジュネの身体が更に縮こまる。
なんの躊躇いもなく、一緒に寝たルインフィートとは全く違う弟の反応に安心した。男同士が一緒に寝ることは、やはり普通ではない。
あの二人は異常だった。何をするにも一緒で、決して離れようとはしない――ここでまた彼らのことを思い出してしまい、ガーラは心の中で舌打ちした。
今は自分にも守りたいものがある。くだらない感情に捕らわれるのは、もう終わりにしたかった。
この謙虚で健気な弟に、楽をしてもらいたい……彼は自分のせいで、こんな冒険者生活を強いられているのだ。
父ザハンのもとに連れて行くことが本当に正しいのかどうか、疑問に思わないわけではなかった。しかし、今よりも確実に楽な生活ができるようになるはずだ。
それに、ザハンと対峙する事で良かれ悪かれ、ジュネの気持ちに決着がつくことだろう。彼は今もあの出来事を引き摺っているのだ。
会わせてみるしかないと覚悟を決める。気持ちが鈍るのを恐れたガーラは、明日にでもジュネをザハンの元へと連れて行くことにした。
「明日、お前を良い所に連れて行こう」
またしても突然の言葉にジュネは、毛布から顔を出してガーラをきょとんとみつめた。
「どこへ?」
弟の問いかけにガーラは真面目そのものな表情で、こう告げた。
「お化け屋敷さ」
「………………」
また俺をからかっているんだと思ったのかジュネは、また毛布の中へと潜った。
ひと呼吸ついて、ガーラも寝台に横になり眠りについた。
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