お化け屋敷へ
次の日、ガーラはすっかり寝坊して、日もだいぶ高くなったころに妹の拳の一撃で目を覚まさせられた。
なんて乱暴な妹なんだと、打たれて痛む頭を抱えながら寝台から降りる。寝起きで霞む耳元に金切り声が響きわたる。
「いま何時だと思ってるのよ!!
新種のお化け屋敷に行くっつったの、あんたなんでしょう!?
はやく起きなさいよ!!」
「新種のお化け屋敷……?」
はてなんのことかと一瞬頭が白く霞んだが、すぐに昨晩、ジュネに言ったという事を思い出した。新種とまでは言わなかった気がしていたが。
「お化け屋敷なんて、この街にあるんですね。
たまには兄弟四人で遊びに行くのも、悪くないかもですね」
ガーラの思いつきの言葉を、どうやらジュネは真に受けてしまったらしい。ガーラは妙な焦りを覚えて、慌てて着替えを始めた。側に控えていたジュネが、それを手伝う。
こころなしかジュネは嬉しそうな素振りを見せている。あんまりにも素直に騙されている弟は、まだ子供の心を持っているのだと思った。
しかし、遊びにゆくわけではない。
果たして向こうについた時に、弟と妹はどんな反応を見せるだろう。特に妹の一挙一動には注意を払わなければ、また殴り飛ばされかねない。
気をつけて連れてゆかねば……ガーラは気持ちを引き締めつつも、いささか不安に揺らぎながら部屋を後にした。
変な冗談を言ったことをいささか後悔しながら。
しかしいざ外に出て、歩き出してみたものの、あの屋敷までの道のりの記憶がない。昨晩は無我夢中でライを追いかけてたどり着いた場所なのである。
帰り道も、どうやって帰ったのか全く記憶が無かった。はてどうしたものかと、ガーラはライの方を振り返った。
ライの方もガーラの顔を不安げな笑顔で見つめていた。彼もあそこへどうやって行ったのか、覚えていないのだろう。
しかしもたついてここに留まっているわけにはいかない。とりあえずガーラは一歩ずつゆっくりと歩き出した。後をついて、兄弟たちも歩き出す。
その時、何者かが突如、一同の背後から飛びかかって来た。
「何だ!?」
あわてて振り返った隙に、襲いかかってきたものは、目にも止まらぬ速さでガーラの腰に括りつけてあった財布を抜き取っていった。
「コラ待て!! 貴様!!」
賊はゆったりとしたローブをはためかせながら逃げていった。ガーラは必死で彼を追いかた。
賊の体格は小柄で、まだ少年と予想される。街の路地ををうろついている小悪党だろう。
「まったく、だらしがないんだから!!」
ガーラを追い抜いて、ローネが物凄い速さで走り去る賊に迫ってゆく。その速さに賊も驚いたようで、必死で身体を傾けながら逃げてゆく。
しかし、常日頃足腰及び腕力を鍛えているローネに、その賊はかなわなかった。こういうときに、この妹はこの上なく頼もしかった。賊は程なくして取り押さえられ、鳩尾に深々と拳を埋められた。
がはあっ、という呻き声とともに、賊はその場に倒れた。しかしローネは容赦なくぐったりしてしまった賊の胸倉を掴み、無理に立ち上がらせた。
「とったもの、出しなさいよ。
さもないとその細っこい首をへし折る……」
ローブの中の賊の素顔を見たローネは、そこで言葉に詰まってしまった。
その顔があまりにもライに似ていたからである。
「な……」
思わずローネはその賊を突き飛ばした。
「どうしたんだローネ」
厄介ものの始末は任せたとばかりに、ゆっくりと走ってきた兄弟たちがやっとその場にたどり着く。
一発を受けてげほげほ咳き込んでいる賊の顔を見て、ガーラはなぜかぎくりとした。
「セリオスじゃないか」
思わず口にした名前に、ローネとジュネが一斉にガーラに視線を向けた。ガーラは迂闊なことを口走ってしまったと思い、ぎくりと肩を強張らせた。
しかしライは平然と、瀕死になってしまったセリオスに近寄り、その背中をさすってやった。
「だれよ、セリオスって」
ローネがじりじりと歩み寄ってくる。妹を相手に、強烈な圧迫感を受けてしまうのはなんと情けない事かと思いつつ、思わずガーラは後ずさってしまった。
突然のことでどう説明をつければよいのか、全く思い浮かばなかった。余計なことをしてくれたなと言わんばかりに、ガーラは横目でセリオスのことを恨めしく見つめた。
「黙ってないでなんかゆったらどうなのよ!!」
胸元を捕まれ、いまにも殴りかかりそうな妹の目を直視することができない。いつもは止めに入るジュネも、この時ばかりは黙って妹の動向を見守っている。
「い……言っただろ、お化け屋敷に連れてゆくって……。
こいつがその案内人だ。
そいつは化けてるんだよ……ライに」
そう言い終わるや否や、ガーラはローネに、平手をくらいぶっとばされた。
「嘘をつくな!!
お化け屋敷に行くなんて、ハナっから信じてたと思ってるの!?」
どうやらローネは始めからガーラの言葉など信じていなかったらしい。しかしジュネは本当に信じていたらしく、エッという驚嘆の声をあげてしまった。
あわててライがガーラとローネの間に入って、これ以上の暴力沙汰になるのを防いだ。
「ごめんねローネ、僕……知ってて黙ってた。お化け屋敷に行くなんて嘘だって……」
ライの涙ぐんだ瞳を見て、ローネは更に眉間にしわを寄せてしまった。
「まったくこのクソ兄貴! 一体なに企んでるのよ! どういうことなのか説明しなさいよ!」
ローネはライの手を振り切り、尻餅をついて倒れている兄に更に蹴りを入れる。その光景を見て、路すがる人々は彼らから離れてそそくさと去ってゆく。
ジュネは通りすがる人々の視線に気づいて急に恥ずかしくなり、あわててローネを宥めに入った。
「も、もうこんな所で暴れないでくれ、恥ずかしいだろ……」
ローネは舌打ちをしたが、ようやくおとなしくなった。ガーラはよろよろと立ち上がり、衣服についたほこりをはらった。
「わ……悪かったよローネ、ジュネ。お化け屋敷に行くというのは嘘だ。
お前達に会わせたい人物がいるんだ。その人はこの先の屋敷に住んでいて、俺達を待っているんだ。セリオスの事も、そこで話そう」
もはや疲れ果てたという声で、ローネにボコられてよれよれになっている少年に声をかける。
「案内してくれるんだろう、セリオス」
セリオスは黙ってうなずくと、こっちに来いと一同の先頭を歩いた。
「とった物出しなさいよ」
背中からかけられた少女の声に、セリオスは恐怖を感じ、素直にガーラに財布を返した。
程なくして、屋敷にたどり着いた。昨晩は暗くてよく見えなかったが、塀の至る所に刺状の装飾が施されており、独特の雰囲気を持った建物だった。どちらかというと近づきたくは無い、むしろ中に入るなどもってのほかといったような外観に、ガーラは冷や汗をかいてしまった。
セリオスは門を開け、屋敷の敷地へと兄弟たちを案内した。わけも解らぬまま得体の知れない民家に案内され、苛立っているローネの視線が痛いほどにガーラの背中に突き刺さっている。
「なんだか……あやしい屋敷だね……」
ジュネが呆然としながら、ぼそりと呟いた。その傍らのローネの苛立ちが、殺気へと変わっているのをガーラは感じ取った。視線を感じる背中がじりじりと焦げ出しそうな気さえしだした。
セリオスは警戒している二人に構わずに、彼らを屋敷の中へと引き入れた。
「オヤジー連れてきたぞ」
玄関を抜け、セリオスは客間へと兄弟たちを導く。ガーラの緊張は頂点に達していた。
ここまできたらもう運を天に任せるしかない。そう決心して、ガーラは部屋の中へと足を運んだ。
部屋の中には、窓枠にもたれるように一人の男がたたずんでいた。
「やあ、待っていましたよ」
微笑みを湛える、不思議な雰囲気を持つ魔術師。
日の光に照らされるその姿は、虚像や幻などではない。まぎれもなく、ルイムの賢者のザハンがそこにいた。
祈るような気持ちでガーラは兄弟のほうを振り返った。ジュネとローネは驚愕を通り越してしまったのか、凍り付いてしまったかのように固まってしまっていた。
「まあ、かけてくださいよ」
ザハンはゆっくりと彼らに歩み寄り、椅子を机から引き出した。
差し出された椅子にはっとなり、ローネは反射的に腰を低く落として戦闘の構えをとっていた。
ジュネは微動だにせずに、じっとザハンの顔を険しい顔つきで見ていた。
ガーラはあまりの緊張に気が遠くなりかけていた。
そんな三人の脇をするりと通って、ザハンの差し出した椅子にライが躊躇いもせずに座った。
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