問答
空気が張り詰めるとはこういう時のことを言うのだろう。ガーラは心底そう感じた。
何の警戒もなくザハンの側に行ってしまったライを見て、ローネは構えを解いて呆然となっていた。
ライは穏やかに微笑みを浮かべている。ローネはその表情や雰囲気が、目の前の憎むべき魔術師……ザハンとよく似ているということに気づいてしまった。
そしてライにそっくりなセリオスという少年は、ザハンのことを「オヤジ」と呼んだのだ。
ガーラが説明をするまでもなく、ローネとジュネはザハンとセリオス、そしてライの関係を理解した。
「な、なんなの……」
今の彼女につい先ほどまでの荒々しさは微塵もなかった。みるみるうちに顔色が青ざめてゆくローネの肩に、それまで黙り込んでいたジュネがそっと手を置いた。
ジュネはザハンの瞳を真っ直ぐに見つめた。その瞳に表情はなく、人形のように無機質だった。
「ライはあなたの息子だったんだな。ライを返せとでもいうのか?」
問いかける彼の声に普段の暖かさは無かった。しかしザハンはまた、笑顔でやんわりと受け止めた。
「仰るとおり、ライ君は私の子供です。
でも、あなた達から引き離そうなどとは思っていませんよ」
ジュネの表情が徐々に険しくなっていく。あくまでも笑顔で通そうとするザハンの態度が気に入らないのかもしれない。
「いきなり俺たちの前に姿を現して、一体どういうつもりなんだ」
ジュネの口から苦々しく言葉が吐き出された。そしてその視線は、ガーラのほうへと向けられる。
どこともなく視線を泳がせていたガーラもまた、不安と怒りに揺らぐ弟と視線を合わせた。
「突然で悪いな、驚いただろう」
「どういうことなんだ、兄さん」
不安に曇る目で問いかけられて、ガーラは言葉に詰まってしまい、思わず逃げるように黙ってザハンのいるほうへと歩いてしまった。
「兄さん!!」
強い語気でジュネが再びガーラに問いかけた。ガーラはザハンの側に立ち、無表情で弟たちに告げる。
「ごめんな……」
ガーラの頭の中は真っ白になってしまって、うまく言葉が思いつかなかった。
「何がごめんなんだ」
一言謝られただけでは流石に納得がいかないのか、ジュネはじりじりとガーラと距離を詰めた。
「何のつもりなのか答えるんだ、兄さん」
睨みつけるような鋭い眼差しを向けられたが、ガーラは何も答えることができなかった。何も言えなくなってしまった彼のかわりに、ザハンが口を開いた。
「あのですね」
「あんたにはきいていない!!」
ジュネはかつて発せられたことが無いような大きな声でザハンを一括した。その勢いにザハンは身をすくめて、ため息をついた。
気性が激しいのは妹だけではない。ジュネもいざとなると恐ろしく気が荒くなるのだ。
どうやら本気で怒り出したらしい弟を恐れ、ガーラはゆっくりと、考えながら言葉を紡ぎ出した。
「この人をあまり責めないでくれ。俺の本当の父さんなんだ」
その言葉はジュネにとって衝撃的だったのか、彼は表情を変えた。目を見開いて、言葉も無い。
ガーラは深く呼吸をしたあと、ゆっくりと言葉を続けた。
「母上はザハンの子……俺が胎内にいる時に、父上……ラージャと結婚させられる羽目になったらしい。
だから俺はルイムの名を持つことになってしまったんだけど、俺はお前たち王族が憎む賢者、魔の血を引いているんだ」
話しながら、ガーラは気持ちが徐々に塞ぎこんでゆくのを感じていた。
「俺がこのことを知ったのは十七……だったかな。それから俺はずっと、お前達を騙していたことになる……」
真実を告げられたあの夜のことを思い出してしまい、ガーラは声が震えてしまった。父親だと思っていた男に、突然陵辱された夜のことなど忘れてしまいたかった。
そして記憶は連鎖的に掘り起こされる。忌々しい陵辱の夜は、その後も度々訪れたのだ。
出生の真実よりも、もっと大変な事実を教えられてしまった。神に仕えるこの身の内に、淫魔が潜んでいると言う事を。
「兄さん……そんなこと気にしないで。兄さんは何も悪くないじゃないか……。
俺達のことを思って、黙っていてくれたんだろう?」
不意にジュネに手をつかまれて、ガーラははっと我に帰った。心配して瞳を潤ませる弟に、何故か無性に腹が立った。
同情などされたくなかった。優しくされる資格など、持ち合わせていないと思っていた。
ガーラはわざと、いてつくような冷たいまなざしをジュネに送った。
「今、俺のことを哀れだと思ったな?」
自然と口を出てしまった自分の言葉に、ガーラは嫌気がさした。これではまるで、あのときの義父と同じだ。
ガーラの雰囲気が急に変わったのを察したのか、ジュネははっと息を飲んで手を離した。
「哀れだなんて思っていないよ。ただ……兄さんは俺達に対してどこか引け目を感じているんじゃないかと思って」
純粋に自分を慕うジュネの気持ちをひしひしと感じる。しかしそれはガーラにとって荷の重い気持ちだった。
ジュネはそんなガーラの気持ちに気づくわけもなく、さらに言葉を続けた。
「父王とザハンの間でさぞかし苦しんだことでしょう。そして今はザハンと俺達の間に入ってザハンを庇おうとしているんだろう?
兄さんは本当に、つらそうで……」
「お前は何か勘違いしている」
ガーラは冷たい声で、ジュネの言葉を強制的に遮った。暗い感情がふつふつと湧き上がってしまう。自分の犯した罪の重さを考えると、慕われるよりも恨まれたほうが気持ちが落ち着くのではないかと思い始めた。
勢いに任せて全て話してしまおう。ガーラはそう思い、酷い言葉を選んでジュネに投げつけた。
「本当にお前はお綺麗だよ。俺のこと崇拝でもしてるのか?
俺は誰の事も考えちゃいない。国だってなくなってよかったと思ってるんだ。
父さんがゴミみたいな連中を一斉に片付けてくれて、清々してるんだよ!
はははははは……!!!」
もやもやとくすぶっていた様々な気持ちが、薄雲に風が吹いたかのような勢いで取り払われた。悪意の篭った高笑いが部屋に響く。
ジュネは兄の態度に驚いて少し身を引いたが、怒りだす気配はなかった。
なにか思うことがあるのか、はっと息を飲み込んで、ガーラから目を逸らし、そしてまた彼の顔を伺う。
「兄さん……もしかして……」
「ゴミはお前だクソ兄貴!!」
今にも泣き出しそうなジュネの声を遮り、我に返ったらしいローネが兄を一喝した。ジュネは慌てて、殴りかかろうとする妹を、羽交い締めにして止めた。
「何故止めやがる殴らせろごらナヨ兄ー!!」
爆発しだしたローネはジュネに抑え込まれながら暴れ出した。
「ろ、ローネ、落ち着くんだ……!!」
しかしジュネの必死の拘束も空しく、ローネは腕を振りほどき兄に向かって殴りかかった。
「いけません!!」
その時、黙って兄弟たちの問答を見守っていたザハンが、とっさにガーラの前に立ちローネの渾身の一撃を手に受けとめた。拳圧でザハンが身に纏っているローブが、ふわりと派手に翻った。
いくらローネが並はずれた格闘技術を持っているにしても、最強の賢者たるザハンの前では通用しなかった。と、おもいきや、受け止めた手のひらは相当痛かったらしく、ザハンは涙目になってしまった。
「恨まれるのは私だけで結構。
ガーラ君に拳を向けるのは筋が違うでしょう」
さすがにその時、ザハンのいつもの笑顔はなかった。
「うるさいわね、あんたから血祭りになりたいの?」
ローネはきつくザハンを睨みつけ、腰を落とし脇を締めて構えをとった。
完全に戦闘態勢に入ってしまった妹の脇で、ジュネは動けずに茫然自失となっていた。
部屋の空気は最高潮に張り詰めていた。
しかしその空気の中で、ライはちょこんと椅子に座ったまま、セリオスがいつのまにか容れてくれたお茶を楽しんでいた。
「お茶入れるの上手だね。セリちゃん!」
「お、おうよ……」
にこにこしているライにセリオスは照れ笑いを返した。いつのまにか二人はまったりと和んでいた。
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