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銀の獣
 骨がきしみそうなほど強く絡みつく。激しく上下する胸が悲鳴をあげているのがわかる。
 狂おしく絞り出される声はどこか遠く聞こえ、すべてのものがゆっくりと進み、その場の時間が滞っているように見えた。
 理性というものは失われ、己が求めるまま激しく腕の中の青年を貪っていた。

――熱く燃えるような身体。このまま融けて無くなってしまえればいいのに。

「ガー……ラ……」
 やっと絞り出されるような掠れた声で自分の名前を呼ばれ、ガーラははっと我に返った。意識を失いかけていたらしく、記憶が少し飛んでいる。
 身体にまとわりつく汗や体液はまだ暖かく、独特の臭いが鼻についた。
 腕の中の、両腕を拘束されたルインフォートの鼓動は速く、意識が飛んでいたのはほんの一瞬だと知る。
 ルインフィートは泣きはらした瞳で、何処を見る訳でも無く虚空に視線を泳がせていた。その両手首は、赤く腫れ上がり擦り切れた傷口から血が滲み出ている。
 両足は力無く投げ出され、時折びくりと痙攣を起こしていた。傷ついた素肌には、さらに爪で引っかかれたような新しい赤い筋が走っていた。
 あまりにも惨たらしい有様にガーラは息を飲んだ。
 自分が彼をそこまで痛めつけたというのに、彼を直視することが出来ずに寝台から降りた。
 不快な匂いが篭る部屋の空気を入れ換えようと、窓を開けた。空の彼方が、うっすらと白み始めている。
 もうすぐ、日が登る……月の狂気の呪縛から解放される。
 ガーラはふうっとため息をついた。気持ちが徐々に落ち着いてくる。
 しかし、足元はどこか不安定で膝下から崩れ落ちそうになる。

――怖い。理性を失った時の自分が。

「ガーラ……」
 窓の外を見ているガーラの背中に、もう一度掠れた声がかけられた。虫の息、まさにそんなか弱い声。
 途切れ途切れ、傷ついた声帯から声が絞り出される。
「どうして……」
 発音するのも辛かろうに、それでも何かを言おうとしているルインフィートを振り返った。
 ルインフィートもまた心を落ち着かせようとしているらしく、深い呼吸を繰り返している。
「どうして?」
 言いかけている言葉をききたくて、ガーラは促すように彼のもとに歩み寄った。ルインフィートはゆっくりとガーラに視線を合わせた。
 つい先ほどまで虚ろだった瞳に生気が蘇っている。ガーラは何故だか彼の眼差しに威圧感を覚え、一瞬体を強ばらせた。
 ルインフィートはゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「かわった……? 旅の途中、一体何を思い出した?
 どうして、お前は変わってしまったんだ」
 ルインフィートの言葉に、ガーラはハッと、あざけり笑って見せた。目を細めて、意地悪な微笑みを浮かべる。
「変わってなんかいない。コレが本当の俺なんだ」
 開き直ったようなガーラの態度に、ルインフィートの瞳が悲しみに淀む。
「そんなのウソだ……。お前またなにか悩んでるだろ……。
 悩みがあるなら言ってくれって、言ったじゃないか……」
 彼の言葉にガーラはごくりと息を飲んだ。こんなに酷く犯されて、まだ自分を気遣う余裕があるのかと。
 ガーラは再び寝台に上がり、ルインフィートを組み敷いた。
「まだそんな事が言えるんだ。本当にお前は面白いよ」
 耳元で囁き、舌を這わせるとルインフィートはぞくりと鳥肌をたてた。
「まだ……やり足りないのか? ケダモノだぜお前は」
 ルインフィートは呆れたような笑顔を見せた。
 これだけ痛めつけても全く恐れないルインフィートに、ガーラは焦りを覚えた。何をやっているのだろう……自分はと。
 そしてこの青年は何でこんなに強いのだろうと疑問に思う。
「何で笑えるんだ。何故俺を恐れない?」
 自然と言葉が口に出てしまった。
 その問いかけに、ルインフィートはきょとんとガーラの苦渋に満ちた瞳を見つめた。
「なんでって、言われても……」
 彼は返答に困ってしまったようで、ガーラからそっと目を逸らして俯いた。
「俺、笑うのがクセなんだよね。とりあえず笑っとけばいっかなぁ……みたいな」
 そう言って、ルインフィートはまた微笑んだ。いまだ拘束を解かれずに、生々しい陵辱の跡を晒しているというのに。
「クッソ……! お前のその生ぬるい笑顔がムカつくんだよ!」
 ガーラの焦りは苛立ちと変わり、感情が再び高ぶって抑制がきかなくなってしまう。ルインフィートの顔の両脇に手をついて、真っ向から睨みつける。
 ルインフィートは変にキレ出したガーラをぽかんとみつめていた。
「俺、よっぽどお前に嫌われてるんだな……」
 ルインフィートの表情が寂しげに曇った。
「ガーラ……。俺はずっと、お前に憧れていた。初めて会った時の事を今も良く覚えてる。
 ガーラの姿がとても眩しくて綺麗で……天使なんじゃないかと思ったくらいだ。仲間になってもらえて本当に嬉しかった」
 そこでまた、ルインフィートの表情が微笑みに変わった。ガーラは何も言う事ができず、ただルインフィートを睨みつけていた。
「だけど俺はお前のことをなんにもわかっていなかったんだ。どんどんお前はどこかおかしくなっていって……。
 なんで俺にこんなことするんだろうって思ったけど、こうすることでお前の気が休まるなら……好きにしてくれ。
 別に俺を殺そうとか思って無いだろう? 俺は頑丈なのが取り柄なんでね。こんなことぐらい、我慢できる……」
 彼の言葉を聞いてガーラは呆然となった。
「こんなこと……?」
 改めてルインフィートの身体を眺めてみる。彼がなんらかの理由で負ったという傷跡が、薄暗い部屋の中でもはっきりと見て取れる。
 この傷がどうやって出来てしまったのかは知らないが、彼が経験したその何か悲惨な出来事に比べれば、男に尻を掘られることなど些細な問題なのかもしれない。
 再び彼の顔に視線を向けると、彼は眠そうにあくびをかいていた。
「ルイン」
 不思議と静かな気持ちで、彼の髪を優しく撫でた。ルインフィートはガーラの手に心地良さそうに目を細めた。
「お前は……人のために自分が犠牲になっても構わないんだな」
 ルインフィートは不思議そうな表情を浮かべた。
「犠牲? そんなこと考えたことも無いな。俺は俺のやりたいようにやってるだけ」
「……お前って、ホントにバカだな」
 ガーラは深々とため息をついた。
「バカで悪かったな」
 ルインフィートはふてくされて、ガーラから顔を逸らした。その瞬間、ルインフィートの頬に滴が落ちてきた。ルインフィートははっとして顔を上げた。
「ガー……」
 ガーラの瞳から涙が零れ落ちていく。彼はそれをを拭うこともできずに、ただ打ちひしがれてしまっているようだった。
「なんで泣くんだよ、ガーラは本当に訳わかんないよ」
 散々酷い目に遭わされたにも関わらず、ルインフィートはいたたまれない気持ちになって、貰い泣きしそうになっていた。
 そっと、ガーラの両手がルインフィートのふっくらとした頬に添えられる。
「俺はなんて臆病で心の狭い男なんだろう。お前の側に居るといつも思い知らされるんだ。
 どうすればそんなに強くなれるんだ? 俺はなんでこんなに弱いんだろう……」
 ガーラの声が僅かに震えていた。思いつめた表情で、とめどなく涙が溢れてくる。
「怖いんだ……。俺は自分が犯した罪と向き合えない。
 お前のような寛大な心を持っていたら……こんなことには……」
 泣きながらガーラは、ルインフィートをぎゅっと抱き締めた。
「ガーラ」
 ルインフィートが名前を呼ぶのと同時に、ガーラの頭上でこきりとなにかがこすれる音がした。
 はっとなってガーラは顔を上げると、そこで信じがたい光景を目にした。
 いともたやすく拘束から逃れて、自由になっていたルインフィートの腕を。
 その腕はガーラの背に回されて、力強くガーラの身体を抱きしめていた。
「全部吐き出せよ。俺が聞いてやるから」
 ガーラは妙な脱力感に襲われた。この腕の中の青年は本当にわざと自分に犯されていたのだと思い知る。
 その胸に別の男への想いを秘めながら。
 つい先ほどまで彼を貫き、泣かせていたと言う事がまるで信じられなくなる。完全に彼の身体に踊らされていたのだ。
 ガーラは呆然としてしまい、彼に抱かれたまま暫く動けなかった。
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