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開放
 来る日も来る日も祈り続けた。天井の無い城の中庭が彼のささやかな安らぎの場所だった。
 閉じ込められたこの空間で、唯一空に繋がる場所。
 孤独な王が寂しげに笑いながら、祈る彼に問いかけた。
「君は……誰かのために、犠牲になれるか?」
 まだ幼さを残した少年は、祈りをやめて王に答えた。
「僕を愛してくれるなら、捧げます」
 迷いのない、あどけない笑顔が月明かりに淡く照らされる。
 王はさらに少年に問う。
「愛してくれなかったら……?」
 少年は王に向かって、両手を広げてみせた。
「僕が、愛します――」
 風がふわりと巻き上がって、地に生やされた芝がそよいだ。

 まっさらな時間はやがて暗闇に閉ざされてゆく。
 心は塞ぎこみ、出口を探すこともままなら無い。
 縋りつくものを探していた。誰かが明かりを灯すのを待っていた。

 忘れていた遠い情景がぼんやりと浮かび上がる。
 失ってしまったものはもう二度と取り戻せない。
 涙の筋が一つ二つ、とどまることなく流れていく。
「すまない……」
 ガーラはルインフィートの両腕を手にとり、その痛々しい傷の残る手首を指でなぞった。
「すまない……本当に酷いことをした」
 ガーラは険しい顔をしながら、神聖な言葉を紡いでその傷口の前で印を切った。すると彼の手の平から淡い光が浮かび上がり、部屋の中に広がって消えた。同時に、ルインフィートの受けた傷は跡形もなく消え去っていた。
「まだ残っているんだ……」
 そう呟く声は震えていた。青白い顔が更に青味を帯びる。ただならぬ雰囲気に、ルインフィートは息を飲んだ。震えるガーラの身体を、再びそっと抱き締めた。
 ガーラは一瞬、脅えてびくりと肩を震わせたが、ルインフィートの暖かい腕に身を任せた。
 緊張がゆっくりと解かれてゆく。
「あの人を……刺した……。
 感触が……手に……残っているんだ……」
 ガーラは誰にも言うことのできなかった心の奥底の暗い塊を、外に吐き出しはじめた。

 ガーラは全てをルインフィートに打ち明けた。国王を殺害したことと、兄弟を欺いていることを。
 いつも心と身体は裏腹で、望まない現実を引き起こしてしまう。
 自分は神官の皮を着た悪魔に他ならないんだと、ガーラは自らに恐怖した。
 そんなガーラの不幸な生い立ちを聞かされて、ルインフィートは涙腺が緩みぽろぽろ貰い泣きをしてしまう。
「そっかあ……お前もいろいろ大変なんだなあ」
 さっきまでこっぴどく犯されていたことなんかすっかり忘れているらしく、ルインフィートは励ますようにぽんぽんとガーラの肩をたたいた。
 そして彼は言葉を付け足した。
「ガーラ……お前はたぶん、病気だな」
 唐突に病気だといわれ、馬鹿にされたような気がして、ガーラはルインフィートを睨みつけたが、ルインフィートは真顔そのものだった。
「お前は悪魔なんかじゃない。病人なんだ」
「病人……?」
 馬鹿にされている訳ではない。そう汲み取る事ができたガーラは、注意深くルインフィートの言葉に耳を貸した。
「神だ悪魔だ言ってる場合じゃない。
 お前に必要なものは、心の療養なんだよ、きっと」
 彼の言葉を聞いて、ガーラはきょとんとなってしまった。どうしょうもない位の現実的な言葉に、返す言葉が見つからない。
「ガーラ、お前は繊細すぎるんだ。王を殺してしまったことを悔やんでいるようだけど、正当な理由があったんだから、別にそんなに気に病むことなんてないよ」
「憎しみや怒りに任せて、人を殺してはいけない……それが月の神の教えだ」
「だから、神とかなんとか言ってる場合じゃないっていうんだよ。お前はカミサマの教えに縛られて苦しんでいるんだ。
 勇気を持って敵を倒して自由を勝ち取ったんだ。立派なことじゃないか。そういう行為はうちの国では称えられることだよ」
 ルインフィートの言葉を聞いて、ガーラはいつのまにか苦笑いを浮かべていた。
「俺は自由になった。だけど弟たちは……国民は……。苦しい生活を強いられて……」
「そうやってお前は鬱になっていくんだな。なんでも背負い込みすぎだよ。
 俺はお前のしたことが悪かっただなんて思わないぜ。ルイムは今の状態になる前からもうとっくに賢者に乗っ取られて、腐敗していたんだ。
 どっちにしろ国民は苦しんでいたんじゃないかな」
「そんなミもフタも無いことをよく言ってくれるな……」
 あまり気持ちを汲んでいない発言に、ガーラは少し苛ついた。しかし、何でも前向きに捉えようとしているルインフィートの言葉は理解できる。
 自分にもこういうものの考え方が出来るようになれば、今後生きていくのがぐっと楽になるだろうと思えた。
「あんまり気に病むなって言いたいんだよ。さて、俺は疲れた。寝る……」
 ルインフィートは言いたいことを言ってすっきりしたのか、再び寝台に横になった。
 いまから寝てもすぐにお迎えが来てしまうだろう。しかし全く寝ないでいるわけにもいかない。
 こんな時でもルインフィートは、ガーラを心配しつつも結局はハルマースのことを考えてしまう自分が嫌になった。
「ガーラ……お前は悪いやつなんかじゃない。お前はほんとにいいヤツだよ……。乱暴なことさえしなけりゃ」
 瞼を伏せて、呟くようにいう。ルインフィートはそのまま、少し言葉を付け足す。
「俺の腹の中なんて、真っ黒なんだぜ」
 ガーラは何も言わずに、横になっているルインフィートの柔らかい金の髪に指を通して撫でた。
 ガーラに促されるまま、ルインフィートは眠りに落ちていった。
 乾きはじめた汗や体液をそのままにして眠ってしまった彼を見て、ガーラはひとこと呟いた。
「あとで痒くなるぜ……」
 ガーラは彼をそのままにして自分だけ一人風呂に入りに行った。

 目が覚めてルインフィートは、彼の底意地の悪さをまたしても思い知らされることになった。
 隣に眠っていたガーラの安らかで清潔な様相を生涯忘れることはないと思う。
 ぼりぼりと股をかきながら、ルインフィートはハルマースに連れられて帰っていった。
 奴は病気なんかじゃない、単に性格が悪かったんだと思い知りながら。
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