白と黒
ガーラは自分が病気だと言われた事について、父ザハンに相談を持ちかけた。
「父さん、俺病気なんだって」
地下の研究室の中、ザハンは何か細かい機械のようなものをいじりながら言う。
「今ごろ気づいたのですか」
にこにこしながらけろりとそう答えた父にガーラは唖然となった。唖然となりつつ、もう一つ言葉を付け足す。
「あいつ、神官の俺に向かって、神の教えのことはあんまり考えるなって言うんだ。話を聞いてやるって言われたから話したのに、そんな返答するなんて酷いと思わないか」
「あはははは」
息子の言葉を聞いて、ザハンは声を出して笑った。ガーラは父親の態度が気に入らず、ふてくされてそっぽを向いた。
「あの王子様は何も考えていないようで、案外しっかり現実が見えてるんですねえ」
ザハンは作業をやめ、大きなため息を一つついた。
そして机の引き出しの中から、小さな金属的な光沢を放つ物を取り出した。
なんだろうと、ガーラはなんとなく興味をそそられてザハンの手に持つものをよく見てみた。
それは、髪止めだった。小さな四角い金属の板が緩やかに半円に曲げられ、その表面は小さな貴石で控えめに飾りたてられている。
その髪止めの裏側に、ザハンは先ほどまでいじっていた機械のようなものを、魔の言葉とともに封じ込ませた。
「父さん、それは……」
ガーラはそれを見て不安を覚えた。
何故ならその髪止めは、とても見覚えのある形をしていたからだ。
ザハンは素直に、息子の言葉に答えた。
「これですか? これはですね、ちょっと知人に頼まれましてね。発信機のようなものです。これと、別に用意する地図を使えばこれをつけている人物がどこにいるのか、一目瞭然なのです。
すごいでしょう?」
ものすごくうれしそうに、にこにこしながらザハンは言う。対称的にガーラの顔は、青ざめていた。
「知人って、誰さ……」
いつまでもにこにこしながら、ザハンは答える。
「あんまり大きな声では言えないんですけどね。某国の将軍様に頼まれたんです。何に使うのかは知りませんけどね」
不安が的中して、ガーラは言葉を失った。
この髪止めの形は、ハルマースがいつも付けているものと全く同じものだった。
「ちなみにこれは二代目でしてね、これと同じものをどうやら彼は所有してるようでしてねえ。サービス精神旺盛な私としましてはいろいろ機能を付け足して……」
ガーラは、はしゃぐ父の声がどこか遠く聞こえていた。
「……ガーラ君、どうしました?」
血の毛が引いてしまっている息子の姿に気が付いて、ザハンは彼に心配そうな眼差しを向けた。
ガーラは思い切って、父親に疑問をぶつけてみた。
「サントアークの将軍のせがれが、これをつけている。ルインの行動は……見張られているのか?」
「あ、そうなんですか?」
ザハンはきょとんと、息子の顔を見た。すぐ俯いて、神妙な顔つきになる。
「見張るっていうのは違うんじゃないですかね。どっちかっていうと、見守るというかんじじゃないかと……。
だって、王子ですよ? 行方不明にでもなったら大変じゃないですか」
「それは……そうだけど……」
ガーラの心は曇った。二つの疑問が頭をよぎる。果たしてハルマースがこの事を知っているのかと言う事と、何故自分の父親がサントアークの将軍と通じているのか。いつのまにか意識せずに、疑わしい目で父親のことを見ていた。
「な、なんですかその目は」
ザハンは困ったような表情を浮かべて、少し俯いた。
「べ、別にあの、か、彼とはあ、あああやしい関係ではないですよ。ダルはもともと、ルイム出身なんですよ。ちょっと、面識がありまして……」
ザハンは何故かしどろもどろになって、頬を真っ赤に染めた。ガーラはますます疑心暗鬼に陥った。
「ルイム人……か」
ガーラが前から疑問に思っていたことが一つ、明らかになった。本来魔力を持たないサントアーク人のハルマースが、何故魔法が使えるのかと。ハルマースは父親の魔力を受け継いだのだろう。
「ハルマースはそのことを知……らないんだろうな……」
ハルマースはルイム人に対して少なからず偏見を持っている。そのことをまざまざと思い知っているガーラは自然と答えを見出した。
「ガーラ君、あの……誰しもいろんな事情を抱えてるものなんですよ。辛いこととか、よからぬことが起こっても、前向きに生きていくしかありません。そうでしょう?」
表情がどんどん沈んでいく息子を見て、ザハンは笑顔を作って彼の肩を抱いた。
「でも常に前向き、っていうのもあんまり良くないですね。時には諦めも必要です。いろんなことを選びながら人は生きていくんです。
私がやったことは間違っていたのかもしれません。でも、私はいつでもあなたの味方ですよ。ガーラ」
ザハンの言葉はガーラの胸に優しく響いた。胸にくすぶっていた不穏な感情が徐々に和らいでいく。自分よりも小柄な父親の身体を、そっと抱きしめ返した。
「うん……そうだね」
ルインフィートはハルマースのためにここまできたというのに、当のハルマースは彼を監視する役目についているのかもしれない。そう思うとちくりと心が痛んだが、どうする事も出来ない。
なによりルインフィートは自分の自由が期限付きであることを、きっと知っているに違いない。自由を勝ち取ったんだから立派じゃないかという声が、今になって胸に響いた。
今まで散々羨ましいと思っていた彼の立場が、急に哀れなものに思えてきた。ものの観かたによって世界はがらりと変わってしまう……ガーラはそのことを肌で感じ、学んだ気がした。
「ルインも結構苦労しているのかもしれないな……」
これからはありのままの自分でいよう。ガーラはそう心に誓った。
無理をして聖者たる振る舞いをしても、苦しいだけだということに気がついた。
開き直ってしまったガーラは、ますます問題行動を起こすようになった。
ルインフィートとの性行為は関係がハルマースにばれるまで続けられた。
わがままや自分勝手な振る舞いもしつつも、自分を演出することも怠らない。
見た目完璧、中身ドロドロな神官が今日もワートの自由都市を闊歩する。
そんな彼の天敵はただ一人、妹のローネだけだった。
⇒END