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裏と表

 手に残る感触を思い出す。漠然としたそう遠くない過去の記憶の断片が、おぼろげに脳裏に映った。
 それは罪人であることの証。
 ガーラは自らへの嫌悪感から激しい胸灼けに教われ、嘔吐しそうになるのを必死で堪えた。
 何か大変なことを思い出してしまいそうで、開きかけた記憶の扉を自ら塞ぎこんだ。
「ガーラ、待っててって言ったのに……」
 エストファールが沈痛な面持ちで、そっと彼の肩を抱いた。今さっき殺戮を行った少年の腕の中は暖かく、皮肉にもガーラに落ち着きを取り戻させた。
 しかしマディオラはなおも刀を抜いたまま、自ら斬り裂いた物言わぬ肉体を険しい顔で見つめていた。
「油断するな……」
 彼は躯に向けて刀を構えた。はっとしたように、エストファールも立ち上がり血に濡れた剣を胸元に構えた。
 先刻からこの場に立ちこめる暗く湿った空気を、ガーラもひしひしと感じていた。背筋が凍るような、ひどく冷たい青い光の小さな塊が目に映る。
 それは不浄なる負の力、死した肉体をも動かすこの世に許されざるものであることを悟る。
 ガーラは先ほどの若い魔術士の言葉を思い出した。
――死の賢者、レイア様に。
 そのレイアという人物について、ガーラはリムーダーから話を聞かされたことがある。
 ルイムの七賢者の一人で、最凶最悪の死霊魔術師……邪悪な女であることを。
 ガーラは死したと思われた彼らの肉体に、死霊魔術の呪いがかけられていることを悟った。
 このまま放っておいては、彼らはこの世を彷徨う悪霊として、様々なものにとりついて悪さをするだろう。
「俺に任せろ……」
 青ざめた顔のまま、ガーラはゆっくりと立ち上がり、呪いを解き放つ神聖なる言葉を紡ぎ出した。
「さ迷える悲しき魂よ、在るべき光のもとへ還れ……」
 彼は両腕をまっすぐ前にさしだし、手のひらをかざした。その手は白い光をまとい、その光は地面へと筋を残しながら吸い込まれて行った。
 ガーラを中心にしながら、地に放たれた光は辺りに環状に広がり、斬り裂かれた肉体を包み込んだ。
 神聖なる解呪の光は負の力の青い光をも包み込み、昇華するように暗雲立ちこめる空へと融けこむように消えていった。
 こうして辺りに立ちこめた不快な空気は取り払われたが、なおもガーラは若くして命を捨ててしまったものたちに、供養のための祈りの言葉を捧げていた。
「嫌なものを見せてしまったね」
 不意に、エストファールに声をかけられる。
「俺たちのこと、いつかちゃんと正直に言わなきゃって、思ってたんだ……」
 少年の沈んだ声がガーラの耳に響く。彼は普段見せることのない憂いを含んだ瞳でうつむいていた。
「流石だなガーラ。おかげで死体を焼き払う手間が省けた」
 対象的にマディオラは悪びれもせずに、しかめっ面のまま刀を鞘に納めながらガーラに言う。ガーラはその言葉を背中で受け止めた。
 なんとなく場の空気が悪くなっていることを察したエストファールは、笑顔を作って二人の肩を叩いた。
「とりあえず宿に帰ろう。
 ご飯、食べかけだったろう? おなかすいたよね」
 こんな凄まじい惨殺を行った後に、物を食う気分になれるとはとガーラは半ば呆れたようにため息をついた。
 自分たちが行ったことがどういうことなのか、わかっているのだろうかとガーラは思った。

 宿に帰り、ガーラは何も口に運ぶ事ができなかったが、食事を終えると三人は部屋に戻った。
 その宿の部屋はとても質素で、寝るためだけのつくりだった。余計なものは何もなく、ただ寝台と小さな台があるだけだった。冷たい魔法の明かりが、部屋を薄暗く灯していた。
 部屋に入るなり、マディオラは刀を携えたまま寝台に横になってしまった。
「悪いが、先に寝かせてもらう」
「マディ……」
 エストファールが心配そうに彼に布をかけてやった。ガーラはその光景を、いかんともしがたい気持ちで見つめた。
 この男……マディオラはいつもこうだった。疲れやすいのか、体力が無いのか、夜になるとすぐに寝てしまう。
 ほど無くしてマディオラは規則的な息をしはじめ、深い眠りに落ちてしまったことを証明する。エストファールは彼の寝台に腰をかけて、そっとその長い髪に触れた。
 彼の物憂げなまなざしにガーラは何故か苛立ちを覚えた。
「彼が本気で戦う姿を初めて見たよ。すごく強いんだね。正直、ぞっとしたよ。
 いつもは力を加減しているのかな」
 その問いかけにエストファールは、どこか悲壮感のある微笑みを見せた。
「こいつは昔から体が弱くてな。
 剣を持って戦うのには向いてないんだ……」
 彼の言葉にガーラはますます苛立ちの度合いを強くした。何故こんなにもむかむかしてくるのか、本人にも理由はよくわからなかった。
「サントアークっていうのは、いい国なんだろう?
 こんな……ルイムの荒れ果てた所とは違って、法と秩序に護られて、土地も豊かだという話を聞いた。
 そこの王子様が悪い賢者に命を狙われながら、体の弱いお供をつれて危険な冒険を続ける理由は何……?」
 国にいればたいそう豊かな生活ができるだろうにと、ガーラは羨望にも似た感情を向けエストファールに問いかけた。
 彼らは自分とは違い、わざわざこんな危険な旅をする必要が感じられない。恵まれているのに、道楽で旅をしている……ガーラはそう思ってしまった。
 ガーラはエストファールに、強い眼差しを向けられた。
「正義なんてどこにも無いんだよ。俺は自分の好きなように生きると決めたんだ。まわりから俺は頭がおかしいと思われてるよ。でもいいんだ、別に」
 ガーラは言葉を失った。サントアークの王子から、正義を否定する言葉が出るとは思わなかった。
 リムーダーの言っていた言葉は偏見ではなく、本当だったのかと、気持ちがささくれていく。
 エストファールは人当たりの良い少年だった。いつも大らかで笑顔を絶やさず、困難にもくじけず立ち向かっていく。しかし、今まで知らなかった彼の本当の姿を垣間見て、ガーラは困惑した。
「見てはいけないものを見てしまった。法や秩序は民を縛って従わせるものでしかなかったんだ。
 そんな国のやりかたに反感を抱くものが邪教に手を出して、俺を……」
 エストファールはそこで声を詰まらせて、ぎゅっと腕を組んだ。彼が険しく、苦渋に満ちた表情に変わってしまったのを見て、ガーラはごくりと息を飲んだ。
「すまない、辛いことを思い出させてしまったかな……」
 少年の言葉の先は、彼の体の傷と関わるような事なのだろう。そのおびただしい数の傷跡は、彼がどんな目に遭ったのかを物語っている。
 ガーラは浅はかな羨望を抱いた自分を恥じた。
「でも不思議だね、何故ルイムの賢者が君を狙うんだろう」
 その問いかけに、少年は苦笑した。
「よくわからないけど、ウチの国に潜む邪教と、そのルイムの賢者が繋がってるんじゃないかな。
 サントアークの地下に、かつて君臨していた魔王が封じられている。その魔王を復活させる為に、俺が必要みたいなんだ。
 でもさ……お城の外では、俺のオヤジこそが魔王だって言われてたんだぜ! おかしいよな!」
「エストファール……」
 声を出して笑い出した少年を、ガーラは哀しい目で見つめた。まだ少し幼く見えるこの少年は、自分よりもよっぽど辛い現実を見てきたのかもしれない。そう思うと、胸が締め付けられるような感覚に苛まれた。
「ああ……悪いね、余計な事まで喋っちゃったかな」
 ガーラの表情が暗く沈んでしまったことを察したのか、エストファールはガーラのほうを見てにこりと微笑んだ。
 エストファールは本当に良く笑う。しかしその微笑みは、自分を隠すための盾なのではないかとガーラは思った。ガーラの最初の問いかけに、エストファールは答えてはいない。はぐらかされるのを良く思わなかった彼は、再びエストファールに尋ねた。
「それで……君を冒険へと駆り立てるものはなんなんだ? 君はサントアークの王子様だ。冒険者じゃない。こんなところで、ぶらぶらしてていいのかな……」
「大丈夫さ、俺にはとても優秀な弟がいるんだ。そっちが国を継いだほうが、サントアークのためになるよ」
 重さが全く感じられない彼の発言に、ガーラは呆れてしまった。自分が王子だった時の記憶は未だ失われたままだが、エストファールが身勝手で無責任な行動をとっていると言う事は、理解することができた。
 自分がもし彼と同じ状況にいたとしても、きっと自分は弟を置いて無責任に逃げ出したりしない……ガーラはそう感じていた。
 呆れるガーラに構わずに、エストファールは話を続けた。
「俺は……ワートの地下に眠るという護符が欲しいんだ。それを探しにワートまで行く」
「護符?」
 初めて聞く話だった。エストファールは、また笑顔を作る。
「ありとあらゆる災いを跳ね除ける力を持っているらしい。俺はその力が欲しい。それさえあれば……」
「それがあれば……何?」
 ガーラが続きを聞きたがっているのを察して、エストファールはちらりと連れの青年の方を見た。マディオラは相変わらず、青い顔をして眠っている。
 エストファールはガーラに顔を寄せて、小さな声で囁くように言った。
「こいつの病気も、治せるんじゃないかって」
 その言葉を聞いて、ガーラは思わず目を見開いて、エストファールの顔を凝視してしまった。エストファールは少し気まずそうに、頬を染めてうつむいた。
「大事な友達なんだ。彼の病気は、何故かどんな医者にも神官にも治せないんだ。彼が病に伏せて弱っていく姿を、もう見たくないんだ。
 俺一人でワートに行くつもりだった。でもこいつ、勝手についてきちゃって……黙って城を抜けてきたのに」
 エストファールは苦笑いをしながら、横たわる青年の長い髪を優しく撫でた。エストファールの眼差しが、いとおしげにマディオラに注がれる。
 そんな彼を見て、ガーラの心は何故か、いらついた。
「そう……彼のためなんだ。色々教えてくれてありがとう。
 これでこれからも仲よく一緒に旅が出来るね……」
 ガーラは自分の気持ちを隠して、微笑みながら少年の金髪を撫でた。
 エストファールは、にこにことガーラに微笑みを返した。
「名前も本当のを教えた方がいいよね。
 俺の名前はルインフィートっていうんだ。で、マディがハルマース。ハルマースの父親はうちの国の将軍なんだ。
 さっきの護符を求める理由は、彼には内緒だよ。言ったらきっと、連れ戻されちゃう」
 ハルマースが心配なのか、エストファール――ルインフィートは寝ている彼のすぐ隣に横たわった。
 仲よく添い寝する二人に、ガーラは苛立ちを抑えることが出来なかった。
――なんて恵まれた者たちなんだろう。そして、身勝手だ……。
 自らも寝台に横になり、埃っぽい敷布をぎゅっと握り締めた。
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