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試練の時
 やがて彼らは、呪われたルイムの地をなんとか抜け出して、ワートという民主主義の国家の地にたどり着いた。
 いまだ古代の遺跡が数多く残る未開の地で、多くの冒険者たちがその遺跡……地下迷宮や洞窟などの発掘や探索で生業をたてていた。
 ひときわ巨大な地下迷宮は、首都の評議会議事堂の地下にある。その迷宮の奥に、数年前何者かがこの国の聖堂に奉られていた古代の秘宝を奪いたて篭っているという。
 その宝は、ありとあらゆる厄災を退け、持つ者に多大な力を与えるという『護符』である。
 その力が悪しき事に利用されるのを恐れた評議会は、莫大な賞金をかけ、護符の奪還を冒険者に募った。
 多くの冒険者がその地下迷宮に挑み、そしてその中で果てていった。迷宮最下層奥までたどり着き、帰還した者はまだいない。
 しかし皮肉なことにこの地下迷宮で、中に棲まう怪物たちとの戦闘で冒険者達は鍛錬され、発掘される宝物で街は潤っていた。

 彼らは出会ってから既に二年の年月を経て、幼かったルインフィートの顔つきもやや精悍な顔立ちになり、だいぶ男らしさを帯びてきていた。
 ハルマースはこの街でルイムのものと思わしき魔法書などを手に入れ、ますます魔法の腕前を上げた。彼が携えている刀は、本当に飾り物のように扱われてしまうようになった。
 日々の修羅場をくぐり抜け、鍛錬された彼らでさえ、未だ迷宮の探索は最奥まで果たされていなかった。迷宮内は極めて危険であり、自分の力量の判断を見誤ることが命取りになる。
 急ぐ必要は無い。迷宮の探索はじっくりと、そして確実に力をつけながら進められていた。

 賑わう街の昼下がり、外で休憩を取ることができる雰囲気の良い喫茶店で、ガーラとルインフィート、そしてハルマースはしばしの休息を取っていた。
「見つからないな……お前の兄弟」
 ルインフィートがふと、ガーラに声をかけた。時々兄弟を探して旅をしていることを忘れているのではないかというほど、ガーラの兄弟達の情報は手に入らず、ガーラ自身も探すことに執着していなかった。
 ルインフィートの問いかけにガーラはうっすらと微笑みを浮かべた。
「手がかりが少ないからな……仕方無いよ」
 ゆっくりと紅茶を口に運びながら、ガーラは言葉を続けた。
「俺……本当はこのままでもいいと思っているんだ。
 不安が無い訳じゃ無いけど、過去より今を大事にしたい……」
 ガーラはひどく穏やかな表情をして言った。諦めとも取れるガーラの発言に、ルインフィートは励ますように言葉を返した。
「あきらめちゃ駄目だよ、きっと見つかるよ!
 記憶だって戻ってくるよ、きっと……」
 それが根拠の無い言葉だという事は、ルインフィートにもよくわかっている。しかしそう思わなければ前に進むことは出来ないのだ。無責任な励ましの言葉に相違無いが、諦めたらそれで終わってしまう。
 ガーラはそんなルインフィートの気持ちを汲み取って、柔らかな眼差しを彼に向けた。
「ははっ、ありがとう。お前はいつも前向きだね」
 彼らの間に穏やかな沈黙が流れたそのとき、ふと側の席で話をしていた冒険者達の声が、彼らの耳にも届いた。
 どうやら旅をしてきたらしい若い戦士が、その見聞を話している。彼はルイムを経て、ここにたどり着いたばかりらしい。
 話を聞いていた若い魔術士風の女が、机に肘をつきながら男に言葉を返した。
「へー、やっぱりまだ荒れてるんだ」
「ルイムはもはや無法地帯。何をしたって捕まらない、誰にも裁かれないところだから、子悪党が暴れまわって、町中死体がゴロゴロしてるぜ……。
 この世の末とは、ああいうのを言うんだろうな」
 肩をすくめて話す男に、女は辛辣な一言を述べた。
「いい気味じゃん。ルイム人なんてロクなやついないんだから……」
 かたり、とガーラは持っていた紅茶の器を皿に落とすように置いた。
「気にしてたらキリがないぞ、ガーラ」
 ガーラの気持ちを察したハルマースは、視線だけを彼に向けて言った。
 ルイムの地の不評を耳にしたのはこれが初めてではない。行く先々で数え切れないほどの心無い言葉を耳にしてきた。
 その度にガーラは明らかに気を落とした。
「あ……うん……」
 どこか虚ろな目をしながら、彼は再び紅茶を口に運んだ。
 気分が重い。心が塞ぎ込んでいて、ものを考えることが苦痛になっていた。二人と話をすることも億劫で、虚ろに虚空を眺めていた。
「今日はもう宿に帰るか」
 ハルマースが少し心配そうな表情を浮かべながら、ガーラの肩を軽く叩いた。心ここに在らずといった様子のガーラが、心配になったのだろう。
 ガーラとハルマースの仲は、出会った頃よりも少しは打ち解けていた。お互い嫌いあっているそぶりを見せることもあったが、旅を共にするうちにお互い「仲間」として認識されたのだろう。
「そうだな……なんだか、気分が悪い」
 ガーラはうつむいたまま、呟くように返事をした。
 彼らは迷宮探索に行くのをやめて、借りている簡素な宿に戻ることにした。


 この頃、ガーラはよく悪い夢を見るようになっていた。
 疲れから来るものなのか、なにか悪いものが喉につかえてまとわりついているような感覚に苛まれる。
 封じられた過去の記憶が、徐々に蘇りつつあった。記憶は夢の中に姿を現し、彼を不安に陥れていた。
 目が覚めるとほぼ同時に夢の記憶は薄れ、漠然とした不安だけが残る。心理的な恐怖から、ガーラはこの頃不眠を訴えるようになっていた。
 旅に出るべきではなかった。全てを忘れ、リムーダーの加護の元で穏やかに暮らしていたほうが、自分にとって幸せだったのではないかと考えるようになっていた。
 二人に事情を話し、村に戻るか……と、ガーラの心は不安にくれて揺れ動いていた。

 夜、寝台に伏せ布団を顔までかけながら、じっと窓の外の空に浮かぶ月を見ていた。目元だけを表に出して、微塵も動かずに一点をひたすら凝視する姿は、傍から見ると少し不気味に思われた。
 ハルマースが彼の脇に立ち、静かに声をかけた。
「お前は夜になると月ばかり見てるな……」
 その問いかけにもガーラはぴくりとも動かず、言葉だけを囁くようなか細い声で返した。
「闇……。暗闇を照らす淡い光が……俺を……誘う……。
 俺は闇の生き物なのか……」
 あまりにも唐突で不審な発言に、ハルマースは眉を寄せ怪訝な顔をする。ガーラの眼差しは虚空を見つめていた。
「何のために俺は生き長らえているんだ……。
 こうしている間にも、俺のせいで人々が……!!」
 体は動かず、語気だけが強くなっていく。自分の寝台から様子を見ていたルインフィートが、すぐさま反論する。
「昼間の冒険者の話を気にしているのか?
 なんでお前のせいなんだよ。お前は被害者じゃないか……」
 彼の故郷の国が荒れてしまっているのを気に病んでいるのだろう。ルインフィートもハルマースもそう思って疑わなかった。
 ハルマースはそっと、ガーラの目前に手をかざした。
「このごろお前は虚ろな目をしている。
 つまらない事は気にしないでもう寝るんだ、いいな……?」
 言い聞かせて、ハルマースは眠りの魔術の言葉を唱えた。抗えない強烈な眠気がガーラを襲う。
「あ……」
 そのままガーラは瞳を閉じ、意識を失った。強制的なハルマースのやりかたにルインフィートは疑問を投げかける。
「いいのか? いつも無理やり寝かしつけて……」
 こうして眠らせているのは今日が初めてではない。ガーラの挙動が不審な時に、ハルマースは強制的な眠りの術を施すことがあった。
 ルインフィートはハルマースの魔力が、ガーラに何か悪い影響を及ぼしているのではないかと心配している。こうして寝かしつけた時のガーラは必ず、うなされている。
「仕方無いだろ。奴の話を聞いてると、こっちまで頭がおかしくなりそうだ」
 ぶっきらぼうに言い放つと、ハルマースは自らも寝台に横たわり休息を取ることにした。
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