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隙間
 コテツはつかさに背を向け歩きながら元気のない声で語り出した。
「そういえばヘンだったんだよ、俺が家を出る時……」
 つかさはうつむきかげんに歩く少年の話を黙って聞いた。



 常日頃屋敷は暗闇に包まれていて静寂だった。
 だが、あの日は少々様子が違っていた。
 僅か十二、三になったばかりのコテツはその日目が覚めて間もなく、母親に屋敷の裏口に呼び出された。
 火薬の匂いだろうか、焦げ臭い風がコテツの鼻をかすめる。
 屋敷の使用人たちは慌ただしく、これから戦争でも起こすがごとく武装を整え次々と庭へ外へと駆け出して行く。
 そんな回りの様子を寝ぼけつつも少々不審に思いながら、コテツは母親の言葉を半ば上の空で聞いていた。
「あなたはこれから人間として強く生きていくのよ。
 それだけを考えて今は修行の旅に出なさい」
 起きたばかりのコテツの頭には霞がかかっていて、その言葉をよく掴み取ることができない。
 ただ優しく微笑む母親はコテツに旅の荷物を手渡した。
 コテツの手を握り締める母親のか細い指が幽かに震えている。
 なんとなく家を出なければならないという事を悟ったコテツは、母親の手をぎゅっと握り、崩れそうな笑顔を励ますように言葉を帰した。
「んじゃ俺、強くなって帰ってくるね」
 その言葉かどんな風に母親の心に響いたのかはわからない。
 笑顔だった彼女は途端に涙を流しはじめてしまった。
 コテツは母の泣く姿など今まで見たことがなかった。
「かーちゃ……」
「ノブハラ!! 急いで!!」
 びっくりして母親に言葉をかけようとするコテツの声を制して、母親は有翼の従者を呼び出す。
 ノブハラと呼ばれた黒い礼服の青年はいづこからはばたきの音と共に現れ、うやうやしくコテツの母親に頭を垂れる。
「奴らが近づいてきているわ。
 早くこの子を森の外へ!!」
「かしこまりました」
 青年は彼女に一礼すると、小さなコテツを瞬時にさらうようにして抱え込むと空へと飛び立った。
 母親との別れを惜しむこともなく投げ出された空から地上を見下ろすと、屋敷に向かって見知らぬ何者かが進んでいくのを確認する。
 物々しい鉄を身にまとった者達の先頭に、一人だけ何の装備もしていない男が不思議と目に焼き付いた。
 特徴のある異国の服。
 顔を伺うことは出来なかったが何故だか今でもその記憶はやけに鮮明に残っている。
 森林を抜け樹木がまばらになってきた所でノブハラはコテツを解放した。
 自分がお供出来るのはここまでだと、彼は目に涙を溜めながら小さなコテツの手を握り締める。
 いまだわけがわからずきょとんとしているコテツに言い聞かせるようにノブハラは言った。
 坊が強い大人になったら必ず迎えに行くと。
 独りにしてしまうことをお許しくださいと、そう告げると彼は再び屋敷の方へと飛び立っていった。

 突如暗闇と静寂の森から連れ出されたコテツには外の世界は眩しすぎて。
 昼間の光に目をくらませながら手探りで日々を繋いでいく旅が始まってしまった。
 とりあえずは父を探すことにした。
 連れ戻したらきっと母親は喜んでくれるに違いない。
 そう心にしまいこんであてもなく各地をさまよっていった。


 つかさはその話を聞いて衝撃とともに自分の中に何か黒い物が渦巻いていくのを感じた。
 コテツはそこから何も結果を導き出せずにいるのだろう。
 弱音を吐いている場合じゃないやとコテツは笑顔を作って首を降る。
「まだまだ修行がたんないや、俺。
 いらんこと話しちまったな、つかさ」
 そう健気に振る舞うコテツの背中がやけに小さく見えた。
 つかさは震える肩を抑えることが出来なかった。
 コテツはたぶん、自分と同じような存在なのだろう。
 特性もあるのだろうが、人里離れた森の中でひっそりと息を潜めて暮らして、そして奪われた。
 きっとコテツの母親はもう生きてはいないだろう。
 自分が何であるかも知らされずに修羅場を生かされている。叶うことのない帰省を望んで。
 どうしてこんな目に遭うのかつかさはこの世の理不尽を呪った。
 何も悪いことはしていないというのに人間との衝突は避けられない。
 人間を嫌っていた父の言葉が今になって脳裏に蘇って、つかさは行き場のない怒りに捕らわれていた。


 つかさがそう思っている矢先のことだった。ちょっとした心の隙が災いしたのだろう。
 いつのまにか二人のまわりを野盗がぐるりと囲んでいた。
「どーするよ、金目の物もってなさそうだぜ」
「バーカ、丸ごと売れば金になるんだぜ!」
 男達の下品な笑い声が森に響く。コテツはさっと斧を構えた。
「やっべ……人数多いな……」
 ざっと見回しただけでも十数人に囲まれている。うっかり油断したぜとコテツは舌打ちした。
 しかも……連れのつかさは何も武器を持っていない。
 絶体絶命に陥った。
 しかしコテツは自分ひとりならなんとか出来る自信はあった。まずはつかさを逃がさないといない。
「つかさ……おまえはさがってろ……
 ていうか逃げろ!!」
 コテツは戦斧を大振りに振り回し連中を撹乱させようとした。
「で……でも……!!」
 話にならなかった。武器も持たない者が野盗から逃げられるはずがない。
 つかさがあっけなく取り抑えられると、コテツも武器を捨てて投降した。
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