惨劇の始まり
一年で一番月が美しく見える夜が来る。
月の神を崇拝する宗教の信者はその夜に家族や友達を招いて宴を開くという習慣があった。
神の象徴である月の前に丸い形をした菓子を積み上げて供え、安らかな生活の営みを願い、そして今までの加護に感謝をする。
そういった習慣を踏まえ、神官を務めているルイム兄弟の身を保護しているザハンの家でも宴が開かれることとなった。
いつものように地下迷宮の探索を終えた帰りに、ガーラはルインフィート達を誘った。
「今日はうちでお月見パーティーをするんだ。遊びに来いよ」
「……大丈夫なのか?」
ガーラの笑顔にルインフィートは疑わしい眼差しを送った。何故ならばこのガーラという男は、神官でありながら満月の夜は強い性的衝動に駆られるようで、今まで何度もルインフィートは彼の餌食となっているのである。
「大丈夫って、ナニが?」
ガーラはわざとらしくルインフィートの腰に手を回して、顔を首筋に寄せる。ルインフィートの側に控えていたハルマースが鋭い目付きで彼のことを睨みつけた。
「大丈夫だよ、今日は母さんも来るんだ。
彼女の前で神官としてあるまじき行為に及んだら、恐ろしい体罰を受けそうだからな」
ガーラはわざとらしく身を竦ませた。ルインフィートは聞きなれない言葉にきょとんとした。
ガーラの母親の存在など、今まで聞いたことがなかったからだ。
「お前に母さんなんて居たんだ」
「そりゃいるさ。何から生まれたと思ってるんだよ。
お前達にだっているだろう? お母上が」
「…………」
ガーラの言葉に、ルインフィートとハルマースの二人は揃って黙って俯いてしまった。
彼らはお互い物心がつく前に母親を亡くしており、思い出というものは全くなく、その顔も肖像画などでしか見た事がなかった。
「お、おい……」
ガーラは何かまずいことを言ったのだと悟り、息を呑み込んだ後に無理矢理笑顔を作って見せた。
「ま、まあ、気が向いたら遊びに来いよ、じゃあな」
そういうとガーラは、二人から離れて自宅へと戻っていった。
残った二人は少々暗い雰囲気のまま、黙って自分達の借りている部屋へと戻っていった。
部屋に入り、沈黙を破ったのはハルマースのほうだった。
「実は、ガーラの母上のローラ妃には一度お会いしたことがある」
「え?」
ルインフィートにとってその話は寝耳に水だった。ガーラの母親はルイムの王妃である。なぜそのような人物を、サントアークの騎士であるハルマースが知っているというのか。
「お前は知らされていなかったかもしれないが、あの親子は一度、建国記念祭にわが国に訪れているのだ。
俺の父上が彼らの世話というか、見張り番をして、そのときはうちに泊まったんだ」
「ふぅん……知らなかったな、その話は」
ルインフィートは少々むくれた表情になり、ハルマースから顔を逸らした。
ハルマースが自分に隠し事をしていたような、そして他にもなにか秘密を持っているような、そんな感じがして面白くないのだ。
ハルマースはルインフィートが不機嫌になったことを悟り、慌てて彼の肩に手をかけて顔を覗き込む。
「隠していたわけじゃない。俺にとってはどうでもいいことだったから、言う機会がなかっただけだ」
「何慌ててんの? 俺にとってもそんなことどうでもいいよ」
ルインフィートはますますむっとした表情になった。彼のそんな態度にハルマースも癪に障り、思わず語気を強めて言いかえす。
「怒ってるじゃないか」
「怒ってないよ」
「嘘だ」
「うるさい!」
ルインフィートの苛立ちが最高潮に達し、思わずハルマースを怒鳴りつけてしまった。
「たまにはお前があいつんち泊まって来いよ。俺に秘密の知り合いに挨拶も兼ねてさ。
朝になったら俺が迎えに行ってやるよ」
ルインフィートの悪辣なものの言い方に、ハルマースも頭にきて彼から顔を背けた。
「わかった」
それだけ言い残すと、ハルマースはルインフィートを部屋に残して一人で出て行ってしまった。
部屋に残されたルインフィートは、椅子に座り机の上に上体を伏せ、頭を抱えた。
(何でイライラしてるんだろう)
彼は思わずハルマースを怒鳴りつけてしまったことを後悔した。素直に謝ろうと思い、部屋を出ようとして玄関に向かった。
しかし扉に手をかけようとしたとき、突然外側から開けられた。
扉の前には酷く青い顔をして具合が悪そうなハルマースが立っていた。
今にも倒れてしまいそうな細い柱のような姿にルインフィートは呆然となってしまった。
「だ、駄目だ、お前のことが気がかりで。俺のいない間に何かあったら……」
「おいおい……」
ルインフィートは心配性が過ぎる自分の連れに苦笑いをした。
「さっきはごめん」
ルインフィートは目の前のハルマースにぎゅっと抱きつき、顔を寄せた。ハルマースはほっとしたような表情になり、ルインフィートを優しく抱き締め返した。
あっさりと仲直りした二人は、結局二人でガーラの家の宴に行くことにした。
夕暮れ時にザハンの邸宅に行くと、庭が飾り付けられており小さな魔法の明かりが可愛らしく点滅を繰り返していた。
いつもは殺伐としている屋敷の景観が、今日は幻想的な雰囲気に包まれていた。
「やあ、良く来たね」
優しい微笑みを浮かべながら、ガーラが二人を家の中へと案内した。二階に上り、外に突き出した広い円座へと行く。卓の上には料理と飲み物が並べられ、宴の準備はすっかり整っていた。
宴の準備はザハンの息子のセリオスがやらされたようで、彼はすっかり疲れてしまったようで卓の上にぐったりと伏せていた。彼の直ぐ側に、双子のライとルイム兄弟の紅一点のローネもつく。
「片付けもしっかりやるのよ」
容赦のないローネの声にセリオスはびくりと身体を震わせた。
ルインフィートとハルマースはガーラに促されるまま席についた。程なくして、仲間のつかさとコテツもやってきた。挨拶を交わして、彼らもルインフィートたちの直ぐ側の席に着いた。
「何? 今日、宴会でもするのか?」
コテツは呼ばれた理由がよくわかっていないようで、きょろきょろと辺りを見回していた。
「まあ、似たようなものさ」
微笑みをたたえながら、ガーラはコテツの隣で黙ってしかめっ面をしているつかさの肩に手をかけた。
「ああ、なるほど」
ガーラの様子を見て、ルインフィートは一人で納得した。ガーラは今日は自分ではなく、本命であるつかさのことを狙うつもりなのだろうと。
ガーラは昔魔族の村でつかさの世話になり、それ以来彼に片想いをしているらしかった。
ルインフィートの予想を裏付けるように、ガーラは物凄い数の酒瓶を運び込んできた。
「ちょっといいかい」
そう言うとガーラは、ルインフィートの腕を掴んで席を外させ、隅のほうへと誘い込んだ。ハルマースが怪訝な顔をしてガーラを睨みつけたが、ガーラは構わずにルインフィートの耳元に顔を寄せた。
「な、なんだよ」
「俺達であの二人を潰そうぜ」
「はぁ!?」
思わず大きな声を上げてしまったルインフィートの口を、ガーラは慌てて手で押さえ込んだ。
「酔っ払って朦朧としたところを部屋に連れ込んでやっちまうのさ。
素敵だろう?」
うっとりと微笑むガーラの顔がルインフィートの目に忌々しく焼きついた。
「そういうところはサイテーだなお前。母上が来るから大人しくするんじゃなかったのかよ」
ルインフィートはガーラを睨みつけ、付き合っていられないとばかりにその場から離れようとした。
しかしすぐに腕を掴まれて、強引に引き戻されてしまう。
「あの酒は弱いのと強いのと、二種類ある。
赤いラベルが強い酒で、弱いのは青だ。強いやつを彼らに飲ませろ」
「だから、知るかって言うの」
ルインフィートはガーラの手を振り払い、ハルマースの側に戻った。そして、戻るや否や彼に問い詰められた。
「何の話をしてた?」
ルインフィートはハルマースの耳元に手をあてて、ひそひそと彼に言う。
「赤いラベルが強い酒で、青いのは弱いらしい。
強いやつをつかさに飲ませて潰そうぜ」
その言葉を聞いて、ハルマースは眉間に皺を寄せた。
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