惨劇の始まり

 悪戯好きな若者達が悪巧みをしているうちに、陽はすっかり沈んであたりは暗くなり、空の満月がより美しく輝きだした。
 ガーラの母親のローラが円座へと姿を現した。美しい長い銀髪が風に揺れ、月明かりをまとって幻想的に彼女の姿を彩っていた。
 初めてその姿を見たルインフィートは、今まで見た事のないような美人の姿にうっとりと魅入られて呆けてしまった。
 彼女と共にジュネと、彼の正式な配偶者としてルイムの国王に強引に即位させられたコータという青年も現れた。
 彼らは揃って卓について、ルインフィート達に笑顔で軽く礼をした。最後にザハンが現れて、ルインフィート達に穏やかに微笑みかけると、ローラの隣の席に座った。
 ガーラは円座のへりに立ち、月を背に向けて、集まった家族と友に向けて言葉をかけた。
「今日は皆集まってくれてありがとう。こうして穏やかに暮らせることを、神に感謝しよう」
「ちっとも穏やかじゃねえぞ」
 ルイムの新国王として日々復興に努め、こき使われているコータがガーラに野次った。
「君は元から働くことが好きだっただろう。労働こそが悦び。
 それも神のお導きというものだよ」
 優雅に微笑むガーラに、コータはフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「なにはともあれ、乾杯だ。今日は飲めるだけ飲んでってくれよ」
 ガーラはグラスを手に持って、軽く頭上に掲げた。出席者が次々に同じようにグラスを掲げ、軽く合わせて音を鳴らした。

 それは惨劇の始まりの合図だった。

 ガーラとルインフィートは真っ先に、つかさのグラスにアルコール度数の高い赤いラベルの酒を注いだ。
「まあ、飲んでくれよ」
 ガーラはにこにこと笑顔を作りながら、つかさに酒を勧めた。つかさは少々戸惑っているようで、なかなかグラスに口をつけようとしなかった。
「実は、俺達酒って飲んだ事がなくて……」
 つかさはコテツと顔を見合わせた。そしてコテツは興味深そうに、くんくんと酒の匂いをかいだ。
「変なにおいがする」
 やや警戒しつつも、コテツはグラスを口に運び、酒を喉に流し込んだ。その瞬間にゲホゲホとむせ返り、彼は喉を手で覆った。
「な、何だこれ、こんなもん飲めねえよ! 熱い! 喉が焼ける!」
「情けないなコテツ君。まだまだ子供なんだね」
 ルインフィートが意地悪く微笑み、自分のグラスに青いラベルの酒を注ぎ、ぐいぐいと飲んで見せた。
「な、なんだとー」
 コテツはムキになり、自分のグラスに注がれた強い酒を一気に無理矢理飲み干した。
「ッカ――!」
 コテツは声にならない声を出し、叩きつけるようにしてグラスを卓に置いた。あまりの反応に、ルインフィートはその酒の度数が一体何度なのかと不安になったが、魔族なので急性で死ぬことはないだろうと勝手に思い込んで煽り続けることに決めた。
「初飲酒おめでとう、コテツ。
 さあ次はつかさの番だよ」
 ガーラはにやにやと薄笑いを浮かべながら、つかさにグラスを持たせた。つかさはごくりと喉を鳴らして、恐る恐る口を付けた。
 つかさはまるで水でも飲むかのように、ごくごくとその酒を飲み干した。ガーラの笑顔がそのまま固まってしまった。
「あ……れ?」
「なんだよ、ふつーの水じゃないかよ、これ」
 つかさの言葉にはっとなり、ガーラは赤いラベルの酒を自らのグラスに注ぎ、飲んでみた。
 途端にガーラはむせ返って派手に口から噴出し、周りの失笑を買ってしまった。
「はははははは! あっはははははは」
 特にコテツは笑い上戸だったようで、ひっきりなしに笑うようになってしまっていた。
「何だよガーラ、だらしないな。ほらつかさ君どんどん飲みなよ」
 ルインフィートは次々につかさに酒を勧めた。ハルマースは悪戯をする主君に怪訝な表情をしていたが、止めさせようとはしなかった。
「ちゃんとつまみも食べないと、悪酔いするぞ」
 酒ばかり勧める彼らにハルマースは警告した。しかし既に彼らは酔っ払ってしまっているようで、人の話を聞かずに酒ばかりを煽っていた。
 そして、つかさの異常に気がついたときには既にもう手遅れだった。
 彼は火がつきそうなほどの強い酒を次々と飲み干し、しまいには瓶を抱え込んでラッパ飲みをするようになった。
 さすがにまずいと思ったルインフィートは、苦笑いをしながら酒を勧めるのをやめた。
「も、もうやめたほうがいいよ」
「なんだとコノヤロウ!」
 つかさは持っていた酒瓶を卓に叩きつけて割った。硝子の破片が飛び散り、派手な音があたりに響いた。
「ヒエエ!」
 ルインフィートは悲鳴をあげてハルマースにしがみついた。
「もっと酒もってこいコラー!」
 つかさは割れた瓶を振りかざしてわめき散らした。
「あはははは! わははははは!」
 なにが面白いのか、コテツはひたすらに笑っていた。
「酒乱だ、酒乱がいるぞ!」
 向こうのルイム家の卓から声が飛び交った。
 想定外の状況にガーラは血の気が引いて、つかさの視界に入らないように背後に回ってしゃがみこんだ。
「もう、しょーもない悪ガキたちね」
 ローラが颯爽と立ち上がり、つかさの前に立ちはだかった。
「正気にお戻りなさい!」
 一括すると、ローラは思いっきりつかさの頬を平手ではたいた。物凄い音と共に風が巻き起こり、つかさの身体は円座の端まで吹っ飛んで、脇に積まれていた空の酒瓶の中に突っ込んだ。
 つかさは一撃で伸びてしまい、意識を失って大人しくなった。
 ローラは振り返り、今度はルインフィートのほうへと歩み寄ってきた。
「ひえええええ……」
 ルインフィートは恐怖した。ローラの怒りの形相はこの世のものとは思えぬほどの迫力だった。
「飲ませたほうにも責任があるわ」
 ローラはそういうと、手を振りかざし、平手打ちを放った。
 先ほどと同様にものすごい音と共に風が巻き起こった。つかさとは逆の方向の円座の端に身体が吹っ飛ばされる。
 しかし吹っ飛ばされたのはルインフィートではなく、ハルマースだった。
 ハルマースは咄嗟にルインフィートを庇い、自ら彼女に打たれたのだ。
「ハルマース!」
 ルインフィートはハルマースに駆け寄った。しかしハルマースはつかさと同様、一撃で意識を失ってしまいぐったりとしていた。
「優しいお友達ね」
 ローラはルインフィートを見下ろし、先ほどの恐ろしい形相から一転微笑みを浮かべていた。
「よ、よくもハルマースを……!」
 次の瞬間、ルインフィートの身体も吹っ飛んでいた。
 そしてルインフィートもまた、一撃で伸びてしまい気を失ってしまった。
 ローラは最後にガーラのほうへと歩み寄り、隅っこで震える息子の肩をぽんぽんと叩いた。
「ガーラ、悪ガキどもは片付けたわ。もう大丈夫よ」
 優しい声で言うと、ガーラはほっとしたような表情で母親の顔を見上げた。
「か、母さん……」
「……あんたが黒幕でしょう?」
 ローラは引きつった微笑みを見せると、「天罰」と小さく唱え、この二階の円座から彼を下へと放り投げた。
 息子に罰を与えた後、ローラは振り返って自らの卓へと戻った。
 その場に残ったものたちは、皆とても楽しい気分で宴会をしようという気分にはなれず、青ざめて黙々と食事をするのみとなってしまった。
「ははははは! ははははは!!!」
 コテツだけは笑いを絶やさなかった。

 ローラの一撃を受けたものたちは、全員玄関で雑魚寝させられていた。彼らの意識が戻ったのは宴が終った夜更けのことだった。
 体中に痛みが残り、ローラの凄まじい勢いの体罰を思い出して身を竦ませた。
「だから言っただろう、俺の母さんは怖いって」
 ガーラは腰を押さえながら起き上がり、ルインフィート達に言う。
「怒らせたのはお前だろう!」
 ルインフィートはガーラに怒鳴りつけた。しかし自分のその声が頭に響き、顔をゆがめた。
 つかさに酒を勧めるうちにいつのまにか自分も飲みすぎていたという事を彼は自覚した。
「うー、頭が痛いな……俺、飲み過ぎたのか……?」
 つかさも頭を抱えながらむくリと上半身を起こした。彼は自分が暴れたという事を全く覚えていないようだった。
「もうこんなバカな真似はよすんだな」
 ハルマースもよろよろと起き上がった。起き上がるや否や、ルインフィートがその身体をぎゅっと抱きしめた。
「お前何も悪くないのに、俺を庇って……」
「結局打たれたのであれば、庇った意味がなかったな」
 ハルマースもルインフィートの身体をぎゅっと抱きしめた。二人の様子を、ガーラとつかさの二人は忌々しいといったような目付きで見ていた。
「あらあら、仲がよろしいのね」
 くすくすと笑いながら、ローラが現れた。彼女の姿を見て四人の身体が一斉に強張った。
「今日は楽しかったなあー」
 ローラの後ろから、コテツがひょっこりと顔を出した。つかさに歩み寄り、手を差し出した。
「さあ、帰るかー」
 コテツはつかさを立ち上がらせると、ローラに軽く礼をした。
「どうもゴチになりました!」
 そして彼はガーラのほうを向き直り、ニカッとサワヤカな笑顔を見せた。
「また呼んでな!」
「あ、ああ……」
 ガーラは酷く引きつった表情を浮かべながら、消え入りそうな声で返事をした。
「またいらっしゃい」
 優雅な微笑みを浮かべながら、ローラは彼らに手を振った。
 コテツはつかさを半ば支えるようにしながら、外へと出て行った。
「さてじゃあ俺達も帰るかな……」
 ルインフィートもハルマースを連れて、とっととこんなところから帰ろうと外へと向かった。しかし強い力で肩を掴まれて引き戻されてしまう。
「何言ってるんだよ、これから二次会だぜ」
 ガーラが不吉な微笑みを浮かべていた。ルインフィートは危険を察知してすぐさま彼から離れた。
 獲物に逃げられた腹いせに、きっと自分になにかしでかすつもりなのだろうと彼は予想する。
「帰るよ、具合悪いし、なあ?」
 ルインフィートはハルマースのほうを見上げた。ハルマースも深く頷き、この場からとっとと去りたいという意思を示した。
 しかしハルマースの前にローラが立ちはだかり、恐ろしく優しげな笑顔で話しかけた。
「具合がよろしくないのでしたら、治療いたしますよ。あなたをはたいた事を酷くジュネに非難されてしまいましてね。
 よろしければもう少しお付き合いしていただけないかしら?」
 誘いを断ったらこの恐ろしい魔女に何かされるに違いない。本能的にそう感じ取った二人は、仕方なく二次会に参加することとなってしまった。

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